• 泡盛さん・長編INDEX
星の海にて1
星の海にて2
ロックガーデン1、ロックガーデン2、ロックガーデン3
幻の泡盛さん1、幻の泡盛さん2、幻の泡盛さん3、幻の泡盛さん4、幻の泡盛さん5、幻の泡盛さん6
かぽちゃ1、かぽちゃ2、かぽちゃ3、かぽちゃ4、かぽちゃ5
    • ロックガーデン・1
    • 「こんな物、殿下にさしあげるつもりか、愚か者」
      居丈高にその男は小柄な巻き毛の少年の横っ面を張倒した。その物音にベッドの人が手を上げて制した。
      「かまうな、私の食事の邪魔をするつもりか」
      弱々しいがはっきりとした物言い。
      「ですが、これは庶民の」
      食事を担当する召使いのすきをついてこの少年は蜜で煮た野菜と果物を柔らかくつぶしてフレッシュチーズで和えたデザートに似たものを床にいる人に差し出していた。この当時、庶民で器を持つものは少ないが、弱った祖母のために作られた器を彼は祖母が亡くなっても持っていた。
      「この子は体の弱った祖母に作ってやったと言ってる。美味だったぞ、それに」
      「殿下」
      「その、そなたが潰した器はこの子の祖母の形見、この子にわびろ、よくも取り返しのつかぬ事してくれたな」
      きつい眼差し。足元の床には食べ物と思しきものと踏み潰された木の器のかけらが散らばっていた。その傍らに怯えきったかの少年がいた。
      「は…申し訳…」
      「私にはではない、この子に、と言ったはずだ」
      毅然としてはいるが、か細い声が侍従の耳に届いていた。


      「済まなかったな」
      侍従の男はそう言った。
      「そんなに泣くな、殿下がおかわりをお望みだ」
      張倒したはずの侍従にすがりついてべそをかきつづける少年の肩を侍従は揺すぶった。
      「しっかりしろ、動揺したら殿下が悲しまれる」
      「でも…こんなに弱っておられるなんて…」
      「もう長くはない、ウエストミンスターに移られたのも、王命だ」
      「そんな…」
      「そなたは子供だ、動じるなと言っても無理だろうが、耐えてくれ。何より殿下ご自身が御自分を責めてしまわれる、そんな事はなんとしても避けたい」
      「はい…」
      「ダニエル、すまんな」
      けれど、次に持ち込んだその食事は半分も減ることはなかった。もう一口と懇願する少年に弱々しく微笑むだけだった。


      その後何日かして、家臣たちは全員部屋に招かれていた。最後の一時まで一緒にという主人の最後の心遣いだった。祈りの、最後の言葉が流れ、その人の手は落ちた。泣き叫ぶ声が部屋に響いた。ダニエルもあの、壊れてしまった器を固く両手に抱え込み、声をあげて泣いていた。膝に力が入らない。あの侍従までもが、宮殿の床に手をついて涙をこぼしていた。扉が開かれ、足音高く入ってきたのは年老いた王だった。その人の従者達はよろよろと立ち上がろうとしたが、王は黙ってそれを構うな、という仕草で制した。そして、ベッドに駆け寄り、息を引き取った息子をしばらく見つめていた。それから、王は膝をつき、手を息子の頬に手をのばした。物言わぬ息子の頬をいつまでも撫で続けていた。その逞しかった肩は年老いて頼りなくなり、壮健な騎士の面影はなかった。その肩が震え、慟哭が漏れていた。ダニエルは手にしていた木の貧相な器を握りしめ、ただ、立ち尽くしていた。美しい彼の妃と幼い子がベッドにしがみついて泣いていた。

      契り仮なる一つ世の、
      契り仮なる一つ世の、
      そのうちをだに
      添ひもせで
      ここやかしこに
      親と子の
      四鳥の別れ
      これなれや…。
      観世元雅・隅田川より

      その六月の宮殿を忘れてはいない。けれど、今、ダニエルが立ち尽くすのは、新大陸の片隅にあるヨセミテの自然が広がる大地だった。
      「アルデモード夫人からの指示か、厄介だな。新人幹部の訓練の一貫ね」
      タブレットを操作し、口頭で伝えられた要請には新人幹部の名前はなかったので、確認を取ろうとした。
      「え」
      何度も瞬きを繰り返し、確認をする。とうとう映像まで呼び出して確認した。
      「あの御方が…」
      髪に手をやる。くりんくりんな巻き毛が手に絡みつく。子供の頃からの厄介な巻き毛。幼い頃は金髪だったが、今は色濃くなり、茶色。目の色はどうしたことか光の加減で変色するグレーであった。昼の光の中、オレンジ色に近い色になってるが、夕方になるとまた変色する。化物扱いする人もいたにはいたが、それをした男たちは屈強な馬丁であった祖父に袋叩きの憂き目にあっていた。両親は少年が幼い頃に母は病で、父は戦場から戻らなかった。弓の使い手だったと聞いているが、彼は知らない。顔も覚えていなかった。北方の血を薄く引く父だった。彼を育てた祖父母は母方の祖父母で、発音しにくい北方の名前は使わす、この島国の、祖父母の名字とダニエルという名前が彼に託された全てだった。
       立ち上がり彼は道具棚に向かった。クライミングロープ、カラビナ、エイト環、スリング、ビレイデバイス、ハーケン、ハンマーが整頓されて並べてある。クライミングロープは何種類もあり、色ごとにまとめられていた。ハーネスを三人分取り出す。丈夫さをハーネスから確認する。それからスリングの数を数え、梯子まで用意した。あの夫人の決めたコースにはしっかりオーバーハングの、レベル五以上の岩があった。それからカラビナの入った箱を手元に引き寄せ、空箱を用意し、ひとつひとつ点検した。ロープですり減り、危険性あるものは除外する。数が足りない。タブレットを引き寄せ、発注をかけた。
      「カラビナが傷みが激しくて取替、至急よろしく」
      「ヨセミテ・レンジャー事務所宛でよろしいか」
      タブレットから音声確認。
      「はい、よろしく。それとガイドセンターにも備品調達を。遅れていると文句が入った」
      「了解」
      あの夫人の指示を受けるとはいえ、彼はまだリーダー格ではない。一隊員に過ぎないが、ガイドでもあり、インストラクターでもあった。短時間とはいえ、宇宙軍に従軍経験もある。この地帯のレンジャーである以上銃器の取扱にも慣れていた。そんな経験豊富な彼をあの夫人が見過ごすわけがない。
      「俺、変わっちゃったよなあ…」
      あの後、彼はあの人が残してくれた紹介状を持ってウォリック伯爵領の牧場に雇われるはずだった。文盲だった彼は内容を知らなかった。蝋で封印された立派な紹介状はあのとき、あの人に雇われていた使用人のほとんどが手元に渡された。秘書が代筆したものの、手紙の最後の署名だけはあの人が力を振り絞って書き付けていた。そんなことも彼は知らなかった。それを手にウォリック伯爵の領土に行くよう指示されたが、彼はカンタベリーの大司教に願い出て寺男にしてもらった。ゆくゆくは修道僧になるつもりだった。手紙を見た大司教は彼の望みを叶えてやるべく、見習い修道士の身分を其の年の秋に与えてくれた。牧童で、保証人もなく、身寄りもない少年にはまたとない高待遇だった。あの人の埋葬儀式に彼は参加した。僧衣は着ているものの、トンスラはまだのため、特殊な被り物をし、聖歌隊に加わっていた。聖歌を歌い、あの人のために祈った。歌の歌詞はまだ半分程度しか読めなかった。その後も大司教が暇を見つけては文字を教えた。写本のために必要だった。彼は思ったよりも芸術的センスがあったのか、簡素な写本の手伝いを割合早く出来るようになったが、文章の意味はほとんど理解出来なかった。
      「もう今は関係ないことだな」
      辛くないと言えば、嘘になる。ここに来てからの彼は宗教とは一切関係を持たなかった。カンタベリーは変わってしまった。あの人の墓所はいつの間にかベケット廟の隣になっていた。そのベケット廟も三本の剣で表されるもので、墓所はなかった。後の王が破壊したという。
      「東洋の言葉で言えば、「罰当たり」だよな」
      そのためかその王の血筋は断絶し、今も続くあの王国の家系とは何の関係もなくなっていた。王の姉の血筋で王家はかろうじて残った。その後の歴史でも、今も最悪の暴君としてその王は名を残している。王の血筋の最後の女王は王への恨みを抱き続け、とうとう子孫を残すことを潔しとしなかった。それも伝聞に過ぎないが。そんな歴史の嵐を超えても尚、あの人の墓は残り続けた。ひときわ豪華になっていた。ダニエルが知っている墓とは違っていた。
      「俺は…あの地下の…」
      レディチャペルの地下から彼、ダニエルはやってきたのだ。この世界に。地下のあの墓と違っているせいなのかも知れない。カンタベリーに行きたいとは思わなかった。だから今まで一度も行ったことはない。ヨセミテの岩の中には「大聖堂」と渾名される岩もある。チャペルと呼ばれるものもある。後は動物だったり、伝説の生き物の名前だったりしている。が、彼は分類上の識別を用い、渾名で呼ぶ事はなかった。識別番号で岩を分類し、早速訓練ルートを作成する。彼の手元にはハーケンやボルトの位置まで明確に示されたデータがあった。最新式のハーケン、ボルト、ナット類は岩に与える刺激はなるべく抑えられていた。出来れば取り外すように、と公園内では取り決めがあったが、人命を賭してでも除去しろと言う訳ではなかった。もう一度、データを見直す。プリンターを起動し、紙に印刷することにした。タブレットでは理解しにくい。そう思われた。

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