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- 所長室をノックする音。
「いらっさいー」
見事な青あざだらけの男。
「激しくいきましたねー、まったく」
「何なんだ、今日も朝飯食った途端に機嫌が」
「ちょー低気圧になったようですわね」
「解ってたけどね」
「咳がひどいんだが」
「知ってるよ、今、申請出してるとこ。背骨と胸の病と内臓疾患とー」
「それ完治出来るのか」
「身体の入れ替えは申請しないとね。ただ下りるかどうか一か八か・・・ここに来て劇症化したみたいで、対処療法しか出来ないんだよねー」
「フランシーおまえなあ」
所長がそう言った。
「このまま死なせろと機関が示したら仕方ないわさ」
「連絡待ちって事か」
「そういうこと」
レイモンド博士はその部屋に行く。いつものように遠い国の言葉の歌を口ずさみながら。化石の写真ばかり載っている写真集を片手に。
「フランシー・・・」
寝たきりになった彼はひどくやつれて見えた。
「この間まで戦場に行っても平気だったのに」
ここに来て間もなく血痰がでた。それから二日目に喀血した。
「劇症結核というんだよ」
「劇症?」
「急激に悪化するやつで・・・移民局の許可が下り次第する治療法しか助かる術はないんだ」
「許可が下りないでいたら、いいのに」
「ご冗談」
「アンと同じ病だね・・・」
目を閉じて、夢見るように呟いた。
「ミドラムの小さなエディとアン・・・」
「んー、それって家族って事か」
「会いに行ける」
レイモンドは何も言わず、化石の本を見ていた。
「ティラノサウルス・レックス・・・」
「暴君のとかげ・・・の王」
「なんだか解るかな」
「何、それ」
「6600万年前に絶滅した動物の名前」
「絶滅って全部死んじゃったってこと・・・」
「そういうこと。この本は化石といってその骨や殻が石になって残ったものの図柄ばっかり載ってるんだ」
「化石」
戸棚からレイモンドはある石を取り出した。丸い石で、それを手で割る。割れていたらしく、簡単に二つになった。
「これ、面白いよ」
手渡す。
「虫・・・これ」
「三葉虫っての。かじられた痕がついてる」
「ほんとだ・・・」
「誰がかじったんだろうねえ」
「これ、おいしかったのかな」
「・・・それはどうだろう・・・」
変な感慨を持つものだな、とレイモンドは思う。
「ただの石に見えるけどな・・・」
手の平に収まってしまう程の小さな石。
「カブトガニというのに似ているんだけどね」
3センチ程度の小さな小さな生き物の姿。撫でてみるとそれさえも石になっている。
「石・・・」
「ホントの色はわかんなくなった」
「そう・・・」
「骨になっちゃうと本当にどんな色の生き物なのかわからなくなる。人間も骨になれば東洋人か西洋人か一目じゃ解らない」
「それが何」
「兄ちゃん達と接触していたからある程度はあなたの事は解っていたけど・・・実際実物見ると面食らうよ」
「負けた王だから、どんな悪評だって・・・」
差し出した写真。
「これは何」
「レスター大聖堂のリチャード三世の霊廟の写真」
「これが・・・ステンドグラス、内陣、最上段・・・」
「およそ五百年目に改装されたんだとさ」
「本来ならウエストミンスター大聖堂なんだけど、アキがないとかで」
「あそこじゃちょっと嫌だな・・・負けた相手もいるってわけだ、ヘンリーも」
「そうヨークのエリザベスと並んで」
「かわいそうに」
「は・・・何ソレ」
「アレと同じ墓なんて、なんて気の毒」
「・・・何かあったん・・・」
にっこり笑って、言う言葉。
「さあねー」
「何を言った・・・アンタ」
「さあねー」
エドワードが入ってきた。
「ベスに何を言った、リチャード」
「アンタに言う必要なんかないね」
「わ、またかよ」
レイモンドが頭抱える。機嫌がいいときは構わないのに、低気圧気味の時は・・・。
「アレが男だったら面白かったのになー」
「・・・ジゼルの旦那が言ってたな、リチャード三世が長兄だったらヨーク朝は続いていたって」
「なんで」
「女性関係、外交、それから行政、商業・・・北部の状態から見て彼が長男だったらヘンリーが王位に就くことはなかっただろうってさ」
「そんなことない、そのジゼルの旦那は変人だな」
「・・・夕べ、また喀血したろ、私、医者なんですけどお、隠すことねーだろーーー」
「あ、ばれた」
「連絡してくる、移民局に」
化石の写真を置いたまま、レイモンド博士は出ていった。起き上がってその写真集を見る。
「こんなのが生きてたっての・・・」
レイモンドの文字で書き付けてあった。天然色の化石、と。
「変な人だな」
咳の予兆に気付いて、写真集をどかす。そばにあったタオル地に手を伸ばし、口元にあてがう。咳き込み始め、エドワードが何かの器具を取り出した。タオルが赤く染まった。横たえ、器具を口に差し込む。次々と管に赤い血の塊が吸い込まれていく。窒息予防のための吸引器具だ。エドワードの腕を握りしめる細い手。強くしがみつくように握ってきた。
「許可出た。すぐ開始する」
部屋に入ってきたレイモンドがそう告げた。
「服脱がせて。カプセルに入れるから」
いやがるそぶりを見せたが、寝間着を脱がせ、下着にも手をかけた。
「いやだ」
それが彼の、三〇代の姿をした彼の最後の声だった。 カプセルに収め、スイッチを入れ、レイモンド博士はそれに直結したコンピューターの入力装置をすさまじい勢いで動かしていた。
「間に合った・・・はーやれやれ」
濁っていたカプセル内の液体が透明になり、エドワードは驚きの声をあげた。
「何だ、これは」
「一番健康だった頃の彼だよ。まー乳幼児でなくて良かったーーー。はー・・・えーっと十二歳になったばかりか」
「じゅうに。十二歳って」
「可愛いなーもー」
「・・・博士」
「んーだって本気で可愛いっ」
「頭の中身は可愛くないけどね、ほんとにもう・・・」
「何が言いたい、博士」
「いーえ別に」
ふと本があった。
「これ・・・所長の本じゃん。あのかっるーい所長様がコレ読むのか、へー」
「生まれいずる悩みってのあるけど」
「・・・両方とも女と心中した奴の本か」
「レイモン・・・」
「そういう人達だって」
「お酒さえ飲まなければ・・・いい子でしたって、ジョージ、よく平気だね」
「エドワードにーちゃんはあの人のお父さんが悪いんですってくだりの方が気に障るそうですよー」
「そんなもんか」
「人間失格が愛読書ってどうよ・・・」
「ジョージがねえ・・・」
「これって読者選ぶんだよね・・・読めない人いるんだなー、これが」
「・・・あーーーうっとうしいっ、やってられっかーーーと放り出すとかするわけだ」
「・・・したのかね」
「ある意味してます。なんだかんだとうっとうしい奴だなーと思っちゃったら読めないね」
「・・・没落の恐怖って解るかな」
「それはもう。で、いつかは逢えるって言ったよね、レイモン」
「時間移民の候補にご子息はね、奥さんは彼女の気持ち次第。ただ、血縁関係者なので結婚の許可はおりない。ついでに・・・年齢制限がありまして」
「幾つなら」
「男女とも十八歳以上で、就職していることが条件」
「・・・それって」
「便宜上見かけの年齢で、と言う事になってますねん」
「じゃあ、無理じゃん」
「それでもっとうっとうしくなりますかね」
首筋にレイモンが触れる。
「いや、ならない・・・兄弟げんかはすると思うけどね」
「アンタもある意味「舞姫」なわけね」
ぷっとモニターのスイッチを押す。赤い振り袖の舞姫。
「松のほかには花ばかり・・・」
「花って」
「桜の事よ」
一人の女がずっと踊っている。レイモンはそれを眺めていた。
「恋した男を焼き殺した女の亡霊ってわけよ、この赤い舞姫は」
「怖いな」
「恋の手習い、山づくし、それから・・・」
レイモンは黙った。
「曜子が言ってた・・・待っても来ない人は・・・もういないものと思った方がいいって・・・白髪になっても来ない人、ここで死んでもいいと言っても死ねない人。私はそういう人間」
「ヨーコって誰」
「彼女ってわけよ、人妻だけどね」
紫の匂える妹を憎くあらば人妻ゆえに我恋めやも・・・
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
「古代だったら石を抱いて沼地に沈められる、江戸時代の日本だったら女の旦那に惨殺されても文句が言えない。ついでに姦通罪は磔だって言ってたな、確か」
「・・・レイモン」
「聞かなかった事にしといて」
彼はそう言って部屋を出て行った。 それから彼は何かと言うと「曜子」の名前を口にして、リチャードの前で泣いた。それがその博士の最初で最後の恋だった。
病床六尺。ベッドの中が全てだった世界は終わった。大学から自宅に戻る帰り道、抱き抱えて歩く父となった人の肩に頭に触れてみる。
「どうした、リチャード」
「世界が広がったなあと思って」
「そうだな」
「病床六尺っていうの、読んだの」
「ああ、あるな」
「心で見ればいくらでも広がるものなのに、掌しか見てなかったなあって思った」
リース教授はその言葉を聞いて、暫く沈黙していた。
「おまえはどこにでも行けるよ」
リチャードはその言葉に頷いた。
「翼はどこにでも広げられるもんね、父様」