• うたかたの記INDEX
  • 01
  • 02
  • 03
  • 04
  • 05
  • 06
  • 07
  • 08
  • 09
  • 10
  • 11
  • 12
外伝1
外伝2
外伝3
外伝4
外伝5
外伝6
外伝7
    • うたかたの記7
    • 立体映像を投影してみる。来たばかりの頃、撮影した物だ。三兄弟でレイモンに言わせると「猿団子」の様だと言われた姿。何かと言うとジョージもエドワードもべたべたと触ってきた。消えてしまわないだろうな、と言われた事さえある。ジョージが何かと言うと引っ張り出して来た本が手元にあった。
       「これで、人間・・・ここの部分で失格、と読むんだ」
      それだけを覚えたと言うジョージ。
       「何故、これを」
       「ぶっ壊れた人間の話だから」
      そう言うとエドワードが悪趣味だとたしなめる。まだ治療も始まっていない頃。三週間くらいしか間がなかったが、二人ともそばについていた。大人だと言っても二人とも引かない。
       「頼むから・・・好奇心旺盛なのは勘弁してくれ・・・」
      ジョージの泣き事にエドワードが笑う。アレ何、コレ何と聞きすぎて二人ともかなりめげていた。
       「その作家は・・・確か女と心中三回ほど計って三回目に成功したんじゃなかったか」
       「そういうのは成功って言うのか・・・」
       「一人で死ぬのは当たり前なのに、なんで出来なかったんだろうな・・・」
       「壊れているからさ」
       「かわいそうだな、一緒に死んでくれと言われた女達」
       「ある意味幸せかも」
      リチャードの言葉にエドワードが止めろと言ってもキスと抱擁を繰り返す。「馬鹿か」と怒りながら。
      レイモンが言ってた、と言う歌をジョージが英訳して呟く。タブレット片手に。遷都した日の歌人の歌、待ち続ける女の歌・・・。


      味酒 三輪乃山 青丹吉 奈良能山乃 伊隠萬代 道隈 伊積流萬代尓 委曲毛 見管行武雄 數々毛 見放武八萬雄 情無 雲乃 隠障倍之也

      うまさけ みわのやま あをによし ならのやまの やまのきはに いかくるまて みちのくま いつもるまてに つはらにも みつついかむを しはしはも みさけむやまを こころなく くもの かくそうへしや

      味酒 三輪山は、あをによし奈良の山の、山々の間に、隠れるまで、長い道のりを経て、曲がり角を幾重にも重ねても、何度も振り返りつつ、存分に、眺めたい山です。だのに、意地悪な雲が三輪山を隠してしまうなんて、そんなことがあってもよいのでしょうか


       「うまさけって何」
       「・・・三輪山はその銘酒のな・・・」
      ジョージがもにょもにょ言うが。
       「枕詞と言って三輪山に必ずつく装飾語なの、あおによしもそれ。甍が並んでる様を言う。奈良の都は甍が並んでいたそうで」
       「甍って何」
      リチャードがそう聞くとレイモンが笑った。
       「そこからかい・・・」と。

      ありつつも 君をば待たむ 打ち靡く わが黒髪に 霜の置くまでに

      ありつつも きみをはまたむ うちなひく わかくろかみに しものおくまてに

      白髪が生えても待っているわ、とは怖いな、とエドワードが笑う。
       「裏切られても待ってるんだからちっとでいいから帰ってやりゃいいのに、悪い亭主だ」
      ジョージが笑って言う。ジョアンナと子ども作ろうかって話していたんだよ、それがさーとジョージが言う。
       「真っ黒焦げの片腕しか帰ってこなかった、俺待っていたのにさあ・・・」
      事故死した妻を待っていた日を突然口にした。ジョージはその後、マージョリーというジョアンナの母親が違う妹と結婚したと言った。娘がいると言う。それでも、ジョアンナを待っていたかったんだ、と言う。リチャードがジョージの腕を掴んで背中にこつんと額をつけたら、苦笑していた。そしてまたレイモンが笑っている。 「ほら、また猿団子だ」と。
      昔は間に権力だの財産だのが絡んで三人ともこんなに仲良くしたことはなかった。間に何もなくなり、知己もいないこの世界では三人でいることが心強く思えた。来たばかりのリチャードは何故か高熱を出すことが多く、その度に二人の兄が交代でつききりになった。平気だと言うと、駄目だと返ってくる返事。

      籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岳に菜摘ます兒 家聞かな 告らさね そらみつ大和の国は おしなべてわれこそ居れ しきなべてわれこそ座せ われにこそは告らめ 家をも名をも

      こもよ みこもち ふくしもよ みふくしもち このたけになつますこ いへきかな のらさね そらみつやまとのくには おしなへてわれこそおれ しきなへてわれこそませ われこそのらめ いへをもなをも

       「何それー」
       「俺は王様だー、さあ妻になれーと言ってる歌」
      ぶっとエドワードが飲んでいたソフトドリンクを吹いた。リチャードは爆笑している。
       「そんなん無茶だー」
       「ネッドはやったんと違うか、ほれ、義姉上」
       「ああ、なるほどー」
       「そんなことで感心すんなっ」
      それを見聞きしていたレイモンがまた「猿団子」だと笑った。雪の中、固まって寒さをやり過ごす奇跡の猿。スノーモンキーとあだ名される猿たちはレイモンが研究対象にしている東洋の島国にいたと言う。今も動物園にいると言うが。


      懐かしい映像だった。その後、治療のため、姿が変わってしまった。おっさん三人の「猿団子」はあまり見られた物ではないが、それはそれなりに面白い映像でもあった。笑っている顔。微笑んでいる顔、それなりの年齢の顔だった。その後、復元したリチャード三世の顔とそれはあまりにも似ていた。気付いて指摘してその映像を見せてみる。大抵の人は驚いたものだ。



       「久しぶり」
      レイモンド博士の特別ゼミに現れた彼はまだ幼い少年のままだった。
       「ラヴェルサボったんかい」
       「違うよ、また薬に適合しなかっただけ。ここ二年足踏み状態。それに・・・値段が上がって下がるまでは投薬中止だって」
       「なるほど、そっちがあったかいな、んで、今は」
       「リース教授が養子にしてくれたんで、その家から通ってるんだ、この大学に」
       「よく受かったな・・・」
       「基礎知識叩き込んだの、そちらさんでしょ」
       「え」
       「東洋の宗教の事、ちょいと論文にしたら簡単に入学許可下りたんですけど」
       「忘れてた・・・アンタ、教養のある身分の高い人間だったなー」
      学生達は驚いて、小さな少年を見つめている。リース教授の養い子はみかけは少年だが、本来は大人だという噂だ。
       「ラテン語、取ったら、みんな読めるし、サンスクリットに変えたんだ、それからゼミを作れって言われたの」
       「あ、さよで」
       「レイモン・・・何見ようとしてるの」
       「日本の衣装の変遷・・・だけど」
       「あーアレ」
      立体映像をレイモンドは映し出した。
       「総重量二十五キロ、ブッつぶれるかと思った・・・」
       「え」
      笑顔の印象的な少女が十二単を着て、房飾りのついた簪をし、長い黒髪が床まで伸びている。重そうな扇を危なかしい手つきで持っている。音声は意識的にカットしたのだろう。彼女の声はない。
       「伊勢の斎宮の衣装だ、色の重なりは紅の薄様、唐衣は紫、裳の模様は皇族の女性以外許可はおりない・・・」
       「可愛い、先生、この子紹介して」
       「・・・紹介って」
       「あのなあ・・・衣装が重くて女学生に逃げられて当時勤めていたラボにいた男の子、とっつかまえて着せたんだよ、コレ」
       「うそっ、この子男っ。この笑顔、すげーチャーミング、この笑顔向けられたら何でも言うこときいちゃうなあ、それこそ・・・かぐや姫みたいな願い事されても叶えてやりたくなるよーな」
       「かぐや姫の願い事ね。それって不可能な事のたとえだぞ」
       「知ってるよ、でも、それこそ宇宙の果てに飛んでいっても欲しいものかき集めてやりたいって思える笑顔じゃないか。現実にいるんだ・・・残念、男かっ」
      苦笑していたリチャードが爆笑していた。
       「ちょっと待て、おい、ジョナサン、見ろよ、ほれ」
      先ほどから力説していた学生の横にいた別の学生が注意をリチャードに向けさせた。
       「え・・・マジかよ・・・本人か、うわーーーっ、マジ、そうゆー笑顔してんだ・・・」
      その言葉にリチャードが戸惑う。
       「え、何、レイモンの生徒ってみんな立派な変態なのっ」
       「違う・・・なんていうか、そこだけ無意識ってのはマジ怖いよ、アンタは」
      頭抱えてレイモンドが言う。
       「自覚ねーんだ・・・そら恐ろしや」
       「何が」
       「うーん・・・ラヴェルに同情するよ、つくづく」
       「よく言われるんだけど、意味わかんない・・・この衣装、まだ持っているの、レイモン」
       「あるよ、研究室にね。曜子のは自宅に持っている」
       「こんなすごい衣装二種類も持っているなんて・・・」
       「片方は資料にならない特殊なものだからね・・・仕方ないだろう」
      立体映像の少女に見える人物は座り姿も投影されている。
       「あっと、切り忘れていた」
      もう一度立ち上がったその姿、それに駆け寄った人影。ワンピース姿の婦人とスーツ姿の男性がかがみ込んで、少女の手にキスをしていた。何事か言った唇からの音声はない。
       「あーこんなとこまで・・・」
      立ち上がった婦人は美しかった。その横にいる男は平凡な容姿の男だったが、誠実そうだった。
       「音声、聞いてみるかい」
      レイモンドはそう言って笑っていた。
       「うん、面白いかもね」
      リチャードが苦笑して言う。レイモンドは巻き戻して音声のスイッチを入れた。


      くぐもった声で婦人が呼びかける。
       「陛下(ヒズグレース)」
       「セシリー・・・ここは身分はない」
       「承知しております。でも・・・叔父様、陛下・・・私、申し上げたい事がございますの」
       「それは・・・リチャード三世として聞かねばならぬ事か」
      威厳のある声。容姿は少女に見えるが、もっとも着ている衣装は東洋の女人の品物だ、明らかに少年の声ながらもそれは犯しがたい気品のあるもの。
       「はい」
       「叔父上のおっしゃった事、私、実行しましたのよ」
      婦人は豪華な衣装から辛うじて見えるその人の手をおしいだいていた。
       「恐ろしいな、それは・・・さぞかしヘンリーを怒らせたのであろうな」
      見下ろす目の厳めしさと裏腹に衣装の生地はなよやかに床に広がっている。
       「ええ、とっても。でも姉様は好きになさいとおっしゃいました」
       「そのものか」
      そばの男に振り向いて見せた顔。ふわりと微笑んでみせた。魅力的な笑顔。
       「はい」
       「自由に生きて好きな男と一緒になって幸せになれたか、そなた」
       「はい。姉様の分まで」
       「なら、よかろう、立ちなさい、その方も」
      王の威厳を持って告げられた言葉。袖に隠れていく小さな手。広げられた扇を片手に抱え、微笑んだ顔は端正で凛々しい。そこでレイモンドは投影機のスイッチを切った。


       「リチャード三世・・・って言わなかった・・・か」
       「それがどーした」
       「叔父様って・・・ああ、中身は大人・・・へ」
      学生達の反応を見てリチャードは笑っていた。
       「レイモン、ギャップって面白いね」
       「言うなよ、ご本人様が」
       「この頃は今よりも弱かったから、立っているだけでもつぶれそーだった、この衣装」
       「あーははは。後で所長様にも殴られましてよ、言葉で」
       「何せ、ボズワースで着ていた甲冑よりも重いんじゃないかと言う・・・鬘もあの扇も簪もみんな重量級の上、またあの生地、滑るんだよねー・・・扇が」
       「必死で掴んでたもんなー」
       「握れないんだもん、仕方ないじゃん、あの飾り紐もずっしりしていたし」
      笑って言う。その笑顔はやはり見とれるものだ。学生達はぼーっとして見ていた。
       「なんか、おかしくなってない・・・彼ら」
       「ええの、ほっとけ」
      レイモンドがそう言う。
       「父様が後で来てほしいって。特別ゼミってやっぱ楽しいね。でも抽選にもれちゃってさ。だから、お使いって形にしてもらったの」
       「おいおい」
       「だからね、これは抜け駆け。もう戻らなきゃ。邪魔したら抽選漏れに恨まれちゃう。またね、レイモン」
      そう言って去っていく。レイモンドは溜息をついた。
       「リース教授の養子ってあのコニーの弟・・・ってことになるんだ・・・そっちのほーがある意味すげー・・・ってあの子、何か変な事・・・先生、あの子」
       「ああ、元王様だよ、ヘンリー七世以前はヒズグレース、が陛下という意味になる。ボズワースで戦死したはずなんだけど、時間移民させた」
       「・・・リース先生研究対象を養子にしたんだ・・・」
       「おかげで取りやめたんだろ、あの教授は」
       「まっさかあんな笑顔浮かべる人だなんて」
       「イメージ悪いのは本人も知ってるけどね、それを否定も肯定もしないんだから・・・」




      レイモンドが教室から離れると彼は彫像のそばに腰掛けて、ずっとタブレットを操っていた。話しかけてあの衣装の事に触れてみた。
       「あの扇の紐、床にずっているとさほどじゃないけどなー」
       「扇閉じて紐巻き付けると厚みがすごかった、重くはないけど、扱いにくいって言うか、あれ、閉じては使わないんだろ」
       「まあーそうだね」
       「ふうん・・・扇言葉なんてーあったりしたのかな」
       「どうかねえ・・・やはり短歌が中心だから」
       「ご挨拶の歌もあったりしたわけか」
       「辞世の歌もね」
       「何、それ・・・」
       「この世の最後に詠む歌のこと。俳句の人もいた、今のところ気に入ってるのは・・・おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり・・・かなー」
       「つまらないと思えばつまらなくなるって事かいな」
       「行きくれて木の下のかげを宿とせば花や今宵の主ならまし・・・(たどり着く先もなくし、木の下影を宿とすれば桜の花の方が主となり、私の場所はもうなく、そこを墓所とするしかありませんでした、の意味になる)」
       「戦死した人だろ、それ」
       「解るか、やっぱり」
       「うん・・・気持ちがね、解る・・・敗残の将の歌だろ、それ・・・花があるならまだいいじゃん、イングランドの荒野に咲く夏の花など、宿にもならない・・・ほど小さいし・・・花の影に宿れるなんて、いいなあ・・・歌のって桜、だっけ・・・」
       「なんにもねーもんなー・・・イングランドの荒野なんて・・・まー一首、こんな感じかな、荒野に咲き ほのかに揺れる 夏の花 影に宿るる 我が君悲し (荒野に咲いてかすかに風に揺れる夏の小さな花の花影に魂を宿して逝去なさったわが陛下を私は悼みます) 」
      レイモンドは夏の荒野に咲く小さな花の造花に美しく染められた和紙を引き結んでいたものをそっとリチャードの横に置いた。それを彼は手に取った。
       「それ・・・誰の心情・・・あーラヴェル達か・・・、まー何もないから遠慮なく戦場にしたんだけどねえ」
      和紙に書き付けられた文言は読めない。レイモンドが愛した女の国の言葉で書かれているため、読めないが、文字と言うより絵の様にも見えた。平仮名だけで毛筆で書かれていると言う事を彼は知らない。

      こうやにさき ほのかにゆれる なつのはな 
      かけにやとるる わかきみかなし・・・


       「そうそう、曜子の衣装で失敗作があってね、それやるよ」
       「くれるって・・・どうして」
       「織模様が失敗していてね、その上色が彼女に似合わなかったんだ・・・捩り紅葉って言う重ね色目で秋のものなんだ」
      レイモンドの部屋で広げられたそれは一番下の襲が紅、朽葉色、黄色、薄い緑、緑と重なる五つ衣のはずだったが、 紅、朽葉色と薄緑の部分しか残っていなかった。織模様はあの二番目の兄の紋章がすかしで入っていた。薄緑のものには橘と白薔薇の模様が織り込まれてあるが、ところどころ模様の崩れがある。
       「失敗してるだろ、でも、ほら、この模様は・・・君の家の徽章からのものだから他所の人には譲れない」
       「いいの」
       「うん、正絹だよ、これ」
      それは手触りで解るが。それを譲られ、自宅に持って帰る。自室で広げるとやはり、どう見ても大きく見える。袖丈だって長い。袖付はゆったりとしており、不思議な仕立ての着物だ。三枚重ねて、リチャードは寝台にそのまま置いてみた。萎れ装束と呼ばれるもので、硬さはなく、しなやかだ。似合わなかった、とレイモンドは言った。ふと見ると裏地が袖にも裾にも少しだけ見えるような仕立てになっていた。
       「へえ・・・こういうやり方もあるんだ」
      わざと見せる裏地。それにも今は亡い兄の紋章が織り込まれてあった。
       「すごいな、細かい・・・あ、ホントだ、ここずれてる・・・」
      織りのずれがあって紋章が崩れていた。三枚重ねたまま、はおってみた。相変わらず、手先はでない。そのままベッドに寝転がった。
       「これ、ガウンにもならないかー」
      襟を持って合わせる。左側が上だとレイモンドは言う。右側は死んだ人の着方だと言う。
       「生きてるから・・・左か」
      見頃も身幅が大きく、軽く合わせても布が余っている。
       「リチャード、ラヴェル先生よ、いいかしら」
      ジゼルの声に顔を上げた。診察の時間だったな、と思い返す。
       「はあい」
      起き上がるとその着物は身体の動きから少し遅れて身についてきた。
       「ああ、なるほどね・・・」
      寝間着の上に羽織っていた事を思い出し、片側を外しかけたところにラヴェルが入ってきた。
       「何ですか、ソレ」
       「レイモンにもらった。日本の・・・昔の女性の衣装だって。貴族女性の。ただ、これ失敗作なんだって。織り模様がずれているし、仕立ててみたら色が着る人に似合わなかったとか」
       「似合わなかった・・・?」
       「曜子、ほら、レイモンの・・・姪にあたる人、混血だろ、彼女。日本の姫との」
       「ああ・・・確か紫色のグラデーションでしたね、それは」
       「紅葉の色らしい。赤と黄色と緑・・・だから」
      中性的な風貌の少年が羽織っていると少女の様にも妖精のような存在感の希薄な女性がいるような錯覚を覚えさせる。もっとも、その感覚をある意味鈍感な彼が理解するわけがない。倒錯した性的な感覚さえ思い起こしてるなんて、この人は思ってもいないことだろう。
       「どうかした、フランシー」
       「いいえ、なんとも」
      この状態でこの肉体に触れて医療的行為をしなければならないなんて、これは拷問か、とラヴェルは思う。どうせ、わかりはしないのだろうけれど。さっと羽織っている着物をはだけさせ、寝間着の下へと手を入れ、背骨を確認する。治療薬を直に注入しなければならないと判断して、溜息をつく。悪くするとまた背骨を入れ替えなければならない。ストックは常に五本はあるけれど、接続手術は今のラヴェルの手には負えない。
       「薬、入れますよ」
       「えええ、それやだー」
       「曲がってもいいんですか」
       「それもやだ」
      どういうやり方か知らないが、発症寸前の肉体に還元する荒療治は理解不能だ。
       「どういう方法なんですかね・・・」
       「十二歳の肉体掠ってきて脳神経に刺激与えるか、細胞から組み立て直すかどっちからしいけど、レイモンはどっちとも言わなかったなあ」
       「あの藪め」
       「フランシーまで、そんなこと・・・」
      けらけらと笑う。元の世界ではこんな笑い方はしなかった。リース家での暮らしはそれは心豊かなものなのだろうか。薬を注入するためにうつぶせにし、器具を取り付けた。
       「どのくらいかかりそう」
       「三日は続けますよ」
       「げー・・・」
      遺伝子情報書替を本人の肉体の中で行うのは、副作用もないとは言い難いらしく、極端にリチャードはいやがった。もっとも元の世界での牽引に比べれば全然楽なのだが。
       「まー吐き気のほーがマシとはいえませんけどね」
      緩和剤を静脈注射する。レイモンドは割合荒っぽい治療をする医者だが、その弟子になっただけあってラヴェルまで荒っぽい。
       「ダブルフランシー、揃って藪の上、ドS」
       「ディッコン」
       「事実じゃん」
       「さっき、おまえ、変だった」
       「何故かわかりますか」
       「わかんない」
       「そーですか」
      実践で解らせた方がいいらしい。ラヴェルはかがみ込んで器具に繋がれているかつての主の唇にキスをした。
       「・・・わかりましたか」
       「・・・趣味悪いね、おまえ」
       「この着物羽織っていると妖精の少女がいるのかと思いましたよ、そう言えば解りますか」
       「おまえ、目が悪いの」
       「・・・・・・頭痛んできた」
      来客があったらしく、居間の方から物音がする。ラヴェルはちょっと席を外し、居間に顔を出してみた。ジゼルは外出すると来客に言い残していたらしい。
       「ジゼル夫人、約束の時間があるとか言って今出かけたそうよ」
       「王妃殿下」
       「あら、グレイ夫人よ、最初の夫、移民してきたの、だから・・・」
       「え」
       「最初の夫と暮らしているの。だからグレイ夫人」
      どこか楽しそうに彼女は笑っていた。
       「ご息女は」
       「ああ、あの子は結婚したの、なんとなくもたなさそうーな予感がするのだけど・・・」
       「反対しなかったのですか」
       「無理よ、頭に血が上ってるもの」
      苦笑する。ラヴェルは彼女をリチャードの寝室に連れて行くことにした。
       「ちょっとお待ちください」
      あの器具を外す。注入時間は過ぎていた。もそりとリチャードは起き上がり、衣服を正した。そして、レイモンドからもらった古式の、五つ衣と呼ばれる着物をまた肩に羽織った。
       「どうぞ」
       「え」
      起き上がったリチャードを見て、グレイ夫人は苦笑した。
       「ラヴェル卿、あなたも苦労するわねえ」
       「・・・そりゃもうー」
      意味がわからないらしく、きょとんとしている彼。
       「そういう格好をしていると私の娘達よりも綺麗だわ」
       「は?」
       「あなたは意味解らないんでしょうねえ・・・」
      昔からそうだった、とエリザベス・グレイは思う。彼女の夫とは違う端正な顔。きらびやかさはないが、慎ましい静かな端麗さを持っていることを彼本人は理解していない。
       「その衣は・・・あなたには似合うわ」
      金色の髪には合わない色合い。それさえも彼には解っていない。
       「義姉上・・・」
       「グレイ夫人よ、最初の夫と暮らしていますのよ、陛下」
       「・・・その陛下は」
       「この間、息子達に会いましたの。二人とも若かったのね」
       「若かった・・・とは」
       「二十歳前だったそうですわ。二人ともポルトガルの・・・聖王女様の足下にいたと・・・」
       「では、無事にポルトガルに着いたんですね・・・良かった。ドーセット侯の配下に頼んで良かった・・・いくら何でも弟に害することはないだろうと・・・配下の者から連絡が来たんですよ、彼の配下の告悔僧が巡礼に出ると聞いてそれに託すればきっと・・・サンティアゴに行くと聞いてましたから」
       「陛下・・・」
       「リッチモンドのヘンリーは・・・エリザベスを正嫡にすれば・・・あの子達も正嫡と認めなければならなくなる・・・危険すぎます。あの子達を守れる人間は・・・いませんし」
       「あなたが」
       「私では駄目です。無理です・・・統治能力が低すぎる・・・北部くらいなら何とかなります、でも、イングランド全体は私には務まりません・・・」
       「務まらない・・・」
       「エドワードがもっと・・・自分の肉体に、健康に気を配っていてくれたら・・・」
       「あの人が」
       「私は北部でグロスター公のまま、死ねたはずです、多分、病気で」
       「え」
       「義姉上はご存じないかも知れません・・・私は・・・身体障害者です、背骨の影響で・・・片方の肺はすでに機能不全を起こしていましたし、臓器にも異常があって食事が・・・ままならない時も・・・三十歳越せるなんて思ってもみなかった・・・アンの病は胸の病です、彼女と過ごしていれば当然・・・感染していてもおかしくない」
       「あなたは・・・」
       「子どもの頃から長生きは諦めていました・・・」
      この人の病の苦しみを抱えていた事を夫はどこまで理解していたのだろうか、解らない。
       「あの人はあなたのどこを見ていたのかしら」
       「さあ・・・私には解りません」
      エドワードはこの小さな弟に妄執するあまり、罪を犯し、姿を消したと言う。北部からやってきた弟を溺愛し、片時もそばから離さなかった日々。その時ばかりは安堵したものだ、他の女のところには行かない、と。ただ、それは・・・彼に多大な負担を強いる事だった。いつも祈っている姿が目に付いた。その時彼は・・・いつも罪を悔いる文言を口にしていた。その意味を察した時、グレイ夫人は・・・この義理の弟にさえ嫉妬したのだ。それに気付いた。
       「義姉上・・・」
       「あの人を暖めていてはいけないと、あなたは気付いたのね」
       「それは罪ですから」
       「なのに、あの人はあなたを離さなかったのね」
       「義姉上・・・あなたが嘆くことはありません」
       「そうではないの・・・でも、もういいの・・・あなたはあなたで・・・幸せになっていいのよ、それが解ったの・・・ここでコニーさんやジゼル夫人に愛されて・・・妻を迎えて普通に幸せになっていいって解れば・・・私もあの子も・・・もう」
       「お気にかけていただいてありがたく思います、義姉上」
       「いいえ・・・これで・・・私、失礼しますね」
       「お構いしませんで、父母がいればよいのですが、あいにくと今日は外出中で」
       「いいえ」
      グレイ夫人は義弟の頬にキスをした。初めてかも知れなかった。
       「お休みになってください、少し熱ぽい」
       「あ・・・」
      申し訳なさそうに首をすくめた少年を見る。初めて会った頃、こんな姿だった。気恥ずかしそうにしていた。公爵の位にあっても彼は物静かな大人しい少年だった。夫とはかけ離れた印象の少年で・・・あの頃から華奢で弱々しく見えた。あの姿をエドワードもエリザベスも忘れてしまっていた。覚えていれば良かった、と苦い後悔。でも、この少年はそれを受取はしない。
       「失礼いたします、陛下」
      ほっそりとした手にキスしてエリザベス・グレイは去っていった。


       「寝ていて下さいね」
       「解ってる」
      ぼそりとベッドに寝転がる。もらった古式の着物は身幅も袖もかなり大きい。
       「本当にこれ婦人物なんですかね」
       「さあー・・・レイモンが言ってたけど、宮廷女官達にはこれ着物であって布団でもあったんだって。ベッドに眠れるのは高位の人だけだったそうだから」
       「は」
       「これにくるまってればかなり暖かいし・・・何枚も重ねていたらしいとか。身分の高い人ほど軽装で、お仕えする人は正装しなきゃいけないとかで・・・正式に全部重ねるとはっきり言って甲冑より重い」
       「そんなの、女性が、ですか」
       「まあ、外にはあまり出ないし、親兄弟と夫以外には名前も名乗らない、顔も見せない、それが高位貴族の娘の生活だったらしいよ、なんでも夜に夫が通うとか」
       「そんなことも」
       「妻にするときは・・・名前を聞くのがルールで、そういう歌もあるって言ってた、名前名乗れよ、って迫ってるの」
       「面白い世界ですね」
       「その貴族達の中でも身分の低いものが武器を持ち、武将になり・・・やがて貴族から政権を奪い・・・ってだんだん武力勢力が政治を司るようになって・・・でも最高位の神官と帝王の地位はずっと変わらなかったって・・・で、この衣装はその帝王と神官をかねる君主に仕えていた人達がずっと伝統を守ってきたので残り続けたらしい」
       「そこまで勉強したんですか」
       「試験に出た。大学入学の許可下りたけど・・・通えるかどうか、まだ解らない。通信でという手もあるらしいけど」
       「ディッコン、あなたはどうしたいのですか」
       「父様が・・・出来れば通いなさいって」
       「え」
       「友達を作ってみないか、と。年齢差あるけど・・・そうした方がいいって」
       「それは・・・いいかも知れませんね。面白い世界ですし。きついけど、私はもう泣きそうですよ、課題は目一杯あるし・・・」
      泣きそうなラヴェルの顔を見て笑う。
       「そりゃ医学部はきついでしょうよ、母様もそう言って同情してたことだし」
       「ジゼルさんもひどい・・・」
       「レイモンが言ってた言葉の意味も私はわからない」
       「ディッコン」
       「あの人は違う宗教観を持っていて・・・突飛な事を言い出す。生まれてきた理由、解りますかって言ったりする」
       「それ、難しいですね」
       「それを研究テーマにしているのかもしれないし、彼は・・・西洋と東洋の考え方の違いを追求したいのかも知れない。曜子に出会ったのは、きっかけに過ぎないのかも知れない。曜子が・・・託したものを私は見てしまった・・・レイモンではなく、この私に」
       「姪とは言え、接触はないのですよ」
       「あったよ、投身自殺したあの一瞬に。微笑んで落ちてきた凄まじい一瞬を見たから。幻想だったかも知れない。でも・・・彼女が何故そうしたのか、微笑んでいたのか、少なくとも私には解るから」
       「・・・あなたは」
       「突撃じゃない・・・あれは自殺行為、神に許される事じゃない。ヘンリーに辱められても文句は言えない。シェークスピアが描いた私を拒絶するつもりはない。それだけの罪を犯したのだから仕方ない・・・死ぬためにボズワースに向かった、それだけは・・・」
       「いいとは思いませんよ、私達は・・・」
       「ごめんね、フランシー」
       「なら、ここで生きてください」
       「父様や母様、姉様泣かせる事出来ないよ、もうね・・・」
       「驚かせないでくださいよ、寿命が縮まりましたよ」
       「ごめん・・・あー母様、おやつちょうだいっ」
      がっしゃーん。ラヴェルは医療器具ごと転けていた。ジゼルは近くのパティスリーでクッキーを買って戻って来たらしい。
       「ディッコンっ」
       「あははは、ごめんーっ」
       「何やってんの、あなたは・・・」
      籠にクッキーを入れてジゼルが寝室にやってきていた。
       「飲み物、後で持って・・・ラヴェルさん、大丈夫・・・」
       「ええ、何とか。慣れてますから、お気にせずに・・・」
      厄介な。ラヴェルはそう思っていた。

  • BACK
  • NEXT
  • TEMPLATE PEEWEE