人工の太陽、人工の雨、でも夜の星空だけは天然の・・・不思議な世界。それとなく散歩に出る。学園都市の治安は良く、学生と彼らを預かるアパートメントのオーナー、それに大学直営の商店、そして教職員の住居。わざわざこのコロニーに移住する定年退職した老夫婦らも多いと聞いた。飲食店もあるが、品行の悪い酔いどれはほとんどいない。ヘンリー・テューダーはそんなコロニーの、ある街角をあてどなく歩いた。夜の散歩に出て、道に迷い、帰れなくても職員のカードで宿泊施設を利用出来た。その安心感から一人で歩き回る事をいつの間にか覚えた。夜だけは自然の星空が見える。引力を生み出すためにゆっくりと回転するコロニーの仕組みなど覚える気力もない。コロニーと呼ばれるが、ある意味宇宙船と言ってもおかしくはない。少し前までは宇宙船だったらしいが、そんな事はどうでも良かった。
「何度見てもおかしな星空だ」
機械の誤作動で今夜はオーロラが輝いていた。
「何だ・・・」
オーロラというかつて地球でもあった現象に似たもので、みんながオーロラと呼んでいたが、正確には違うらしい。教職員の住居が並ぶ一画についたらしい。同じ平屋建ての庭に、初老の男が立っていた。片手は機械だった。
「また誤作動か・・・今日のは激しいな」
オーロラ爆発に近い動きだった。
「工学部の連中が大変だな」
傍らの婦人に彼は話しかけていた。
「あなたはお休みなの」
「いや、出勤するよ、行政から依頼があった」
「でも工学科の事は解らないのでしょう」
「責任者だからね」
「大変ね」
その婦人は生身の方の手を握った。
「無理しないでね、ジョージ」
「ああ・・・」
銀髪に整った顔の老人。彼に似ている事に気付く。その彼がふとこちらを見ている事に気付く。
「・・・天文学の図書館の人か」
職業を言い当てられ、戸惑う。
「うちの学生も世話になっている、知らないとは言えない」
彼もまた移民ならではのイントネーションを持っていた。
「この間、弟に会ったそうだな」
ぽつんと言い、そして気付く。クラレンス公。
「暮らしにくいでしょう、ここは」
返事がしにくかった。
「私は弟が羨ましい。あの子は適応能力が高いし、好奇心も旺盛だ。自分から進んで学ぼうとする。その心根だけは・・・私はなかなか獲得できなかった。十年くらいかかったよ、アル中なものでね」
「過去の事よ、ジョージ」
横にいた彼の妻らしき女性が笑ってそう言った。
「寄りませんか」
「いいえ」
「リース家に行ったそうですね」
「・・・ええ」
「話しかけましたか」
「いいえ」
「ジゼルに迷惑かけるのなら、今の職の権威、使います」
「ジゼル・・・」
「弟の母になった人の事ですよ」
庭で仕事をしていたあの婦人。優しく穏やかで、けれど力強い女性。
「何もしませんよ・・・ここには私の関係者は誰もいない」
「探せば見つかりますよ、ただ前の身分で接すると・・・大やけどを負いますけどね」
「それが出来ない」
「ここではやるしかないと思います」
機械の手を彼は見つめていた。
「ベスに会うとしたら・・・ただの男として会って下さい。私も、これでもあの子の叔父ですから。お忘れなく・・・入ろうか、そろそろ冷えてきた」
妻に呼びかけ、二人は家に入っていった。ヘンリーはそのまま、その区画の奥まで歩く。リース教授の家がある。前に見かけた時はもっとあっさりした感じだったが、奇妙に愛らしいボードが掲げられていた。トールペイントとか言うホビーだろう。ポピーの花に囲まれた区画の名前と番号が描き込まれていた。隣のメールボックスも華やかに塗られてあった。蔓薔薇の模様。それに驚いているといきなり玄関の扉が開いた。大柄な男が出てきた。
「マイクー」
「何だよ」
「トールペイントの失敗作うちに置いて行くなよ」
「成功作品だっ」
「マジ、おまえの趣味ってわかんねーわ」
「うるさいな、退屈だったんだよ、教えてやろうか」
「いらねーよ」
「そう言うなって」
「あいにくと絵心はない」
「だったら下地作り手伝えよ」
「やなこった」
「いいじゃん」
「・・・そう言えば、七度目の彼女どうした、マイク」
「順調ですっ。聞くんじゃねーよ」
「へー・・・それはめでたい」
「おまっ、顔がめでたくなくなってるぞ」
「そりゃ、他人の不幸は」
「俺の失恋で何回盛り上がったんだ、てめーらは」
「さあ・・・」
「頼むから指折り数えないでくんねーか」
「それはいいとして・・・オーロラ、すごいな、ジョージ、二晩は帰れないねー明日から」
「ああ、安眠妨害かもなー」
「ブラインド下ろしても無理ぽいもんなー・・・この間、レイモンドにね」
「何もらった」
「星野道夫の写真集もらった。こういうの、写真にあったよ」
「・・・動物写真家だって聞いたけどな」
「風景もすごかったよ・・・すごい値段らしくてね・・・誕生日プレゼントなんて言ってたけどいいのかね」
「まさか原本・・・」
「うん」
「恐ろしい物もらうな、おまえ・・・」
「研究の品物じゃないところがレイモンもよく解らないな」
「何考えてんだかなー、あの天才様は」
「明日の講義、どうする」
「・・・カラスだっけ」
「日本神話にもカラス出るよ、三本足で、太陽の鳥。カナダの原住民、極東ロシア、にもカラスの神話がある」
「まさか」
「はい、それの説明です」
「たはー・・・。トマスの課題、ゆるくなんねーの、あいつまた喧嘩してコニーに停学食らってんだけど」
「無理。何回言っても提出しないんだもん」
「手書きのアラビア語とサンスクリット語で十ページ以上のレポートを書け。俺だったら泣く」
「とっくにトマスも泣いてる。ついでに言うと・・・二回生の時、これやらされたもん。無理じゃないって」
「・・・マジですか」
大柄な男が気付いた。
「リチャード、知り合いか」
「知り合いって言えば知り合いだけど」
「関わり合いになりたくない知り合い」
「・・・イングランド国王ヘンリー七世だよ」
「そら、また・・・是非とも無関係でいたい間柄で」
「ベスに会いたいんだって」
「無理だろ」
マイクはそう言って肩をひそめた。
「さあ、無理だかどうだかやってみなきゃわかんないよ」
「・・・何年かかると思う」
「三十年はかかるんじゃない」
だよな、とマイクと呼ばれた男は言う。
「ここは一発ぶちあてて稼げるコロニーじゃないし、移動願いは・・・よほど実績ないと無理だし・・ちまちま貯金するしかねーもんな」
「移動許可、僕が申請しても無理だもんねー」
「無邪気に言うなよ、教授様でも博士号持っていても許可はおりねーもんなー」
まさか、教授の資格を持つ社会的にも名の通った彼も無理だとは知らなかった。一気にしぼんでいく心。それとは反対にいっそう明るく輝くオーロラもどき。
「来るんじゃなかったな」
そうつぶやく。リチャードが苦笑し、呟いた。
「他の女引っかければいいじゃん」
そうは簡単にいくか、と叫ぶと、敵だった男はけらけらと笑った。
「あーあんたにもファムファタルだったのか、そりゃお気の毒様」
「貴様、あの女に何を言った」
「生き延びてヨークの血を残せ。それだけ」
その言葉にヘンリーは絶句した。この男は魔物だ。そう思った。それに何故、今、気付くのだろう。忌々しくなった。
「マイクー明日の天気は何」
「晴れだとさ。にせもんの太陽が輝くぜ、きっと」
大柄な男はそう言うと手を振って帰って行った。
「あと五つ区画通り過ぎないと宿泊施設ないよ、リッチモンドさん」
親切とはとても思えない台詞にヘンリーは溜息をついた。仕方ない、ヘンリーはまた歩き出した。
「そっちじゃないんだけど、まっいいか」
リチャードの言葉はヘンリーの耳には届かなかった。翌日、彼は無断欠勤する羽目になったが、コロニー内の地理をわきまえていなかった事で係長に嫌味も言われた。
「負けるもんか」
「何言ってんだ、まったく」
もう一度、あの男に接触してみよう、そう思う。絶対、エリザベスの事を知っている。ヘンリーはそう思い込んだ。
漱石の草枕より梶井の檸檬の方が影響受けてます。笑。ヘンリー君、がんばれ。かつての妻に会えるのか。それは私にも解らない。
草枕その2