夢の世になれこし契りくちずしてさめむ朝(あした)にあふこともがな
夢のように果敢ない世で親しんできた縁がこのまま朽ちることなく、迷妄の夢から覚めて成仏する朝に、あなたと再び逢いたいものだ。
「また、かい、好きだねえ・・・」
エドワードが言う。
「レイモンはいつも、そうだよねー」
うつぶせに寝転んで、上半身を軽く起こして、頬杖をついて、リチャードはエドワードを見上げていた。
「これ、誰の歌」
「崇徳天皇、戦に負けて流刑になって・・・流刑地で詠んだ歌。家臣にこの世ではもう会えぬからあの世でお会いしましょうっての。ちなみーにーこの君主は日本の三代怨霊のひとりってされている人なんですよー・・・近代まで何かあると天皇自身がここにお使いやってお祈りしたという神殿に祀られるというー」
「だって敗者なのでしょう」
「彼の地では、あなたみたいな事になったら、神殿作って、尊い名前送って、望みの地に埋葬して、命日はお祭りになって・・・ってなるでしょうね、日本って国は天災が多く、その災いは全て無念の涙を流した魂が行うと信じられていますから」
「魔物じゃないか」
「それも神と呼ぶんですよ、日本神話には魔物はいない」
「・・・わけが解らないな」
「アニメズムと言う。全てのものに神が宿ると考えられているのですよ、ちなみに天然痘を流行らせるものも疱瘡神といって神様でーす」
「なんか・・・」
「気味悪い、それとも・・・」
「じゃあ・・・その国は」
「地震や津波、嵐、火山災害にも神々がいるって言うのです、信じられないでしょ、人間は大自然の片隅にぽつんと存在を許された物品なわけですよ」
「神が作りたもうた、ではなく」
「それは傲慢でしょ、人間の。自然は人間の言うこと聞くものじゃない。本来なら僕らは死ぬべき存在ですよ、母星をあんなものにしちまったんだから」
「止められたの」
「無理ですね、だから言ったでしょ、淘汰されたのですよ、僕らは。それでも生きたいからこうしてるのです、それだけ」
「それでも、レイモンは信じるの」
「一人で生きてるんじゃなく、生かされているんだからね、親、システム、友人・・・みんなにね」
「・・・それって、私達も入るのか」
「当然でしょう、関わりのある者全てによって私の生命は成り立っているんですからね」
「入るのか、では・・・この間みたいな事言ったら、悲しいんだね、レイモン」
リチャードの言葉にレイモンドは頷いた。
「ええ、当然でしょう」
「アンからもらったんだから、このままとどまらせてって言うのは、何も言わなかった」
その言葉に兄二人が驚く。何を持ってきたと言うのだろうか。この世界に。
「これを」
レイモンド博士が小さな板状の透明なペンダントヘッドを差し出す。
「アン王妃から感染した結核菌が入ってます。その結核菌は不活性の上、何の働きもない死体に過ぎませんが、必要でしょう、あなたには」
「いいの・・・」
おそるおそる伸ばす手に博士はそっと滑り込ませた。
「ええ。持っていて結構ですよ」
ぎゅっと握りしめるリチャードに二人の兄は戸惑う。
「王妃は感染する病だったそうです、血を吐き、衰弱して死んでいく・・・結核というもので、お子さんが亡くなった後、この方は妃の部屋の出入りを禁じられたそうです」
「アン・・・」
「記録によれば、人目もはばからず泣きわめき、葬儀の後三日間は妃の部屋に閉じこもっていたと」
そんな悲劇の五ヶ月後の戦死。
「感染していたのか」
「ええ、極軽く、遺体に残存する可能性も低い状態でしたが・・・元の世では二年もせずにこの人も亡くなっていた事でしょう」
「二年・・・」
「半年かも知れません、胸椎側湾症では片方の肺は・・・機能不全起こしていても不思議ではない・・・」
「戦で死ぬ方がマシだと思った・・・だけ」
「解りますが、生きて下さいね、ここで。どんなことがあっても」
「嫌だって・・・言ったら・・・」
「私も二人の兄上もジョニーもあなたの生命に関わってること、お忘れなく願いますよ」
「あなたは本当にきついことを言う・・・」
「捨てる事は出来ませんからね、犬猫だって生きてます、樹木も、ちいさなネズミも・・・生きているんです、彼らもまた私達と変わりはありません、同じ命です。キリスト教では別物扱いしますけどね、東洋の片隅の島国では、小さな虫にも魂があると言うのですよ」
「・・・嫌なものは嫌だ」
「でしょうね、もう横になって下さい、違う薬を試します」
「嫌だ、と言った。もうやめてっ、この世界でも苦痛を味わうなんて」
叫び声にレイモンド博士は冷ややかな顔をしていた。
「この次のはそんなに副作用はきつくはないと思いますよ」
「・・・私は実験動物じゃない」
「解ってます」
点滴の管、細い針と消毒薬。
「古式ですが、効率がいい方法です」
無理に寝かしつけ、腕の血管に針を通し、薬の落ちる速度を調節する。
「なんで放っておいてくれない」
「拾った以上は責任は取ります。それだけです」
「消えてしまいたいと言ってる」
「させません」
「ひどい人だ、あなたは」
「そうでしょうね」
「・・・本当にひどい人だ」
「兄上達には言いませんね」
「言って・・・どうなるというんだ」
「ええ、どうにもなりませんね」
少年の身体に作り変えて荒療治をほどこす医者にエドワードは首を振った。
「ひどい藪医者だ、なあ、リチャード」
黒い髪を撫でてそう言った。
「ありゃりゃ・・・ジョージ、戻して下さいよ」
モニターのリモコンをいじっていたジョージにレイモンド博士は告げた。
「この川の名前、なんて言うんだ・・・やけに小さい」
モニターに映ったのは、砂漠に今も消えそうな川の画像。
「サラスバティー、ですよ。砂漠の中に消えてしまう小さな川ですが、古代では大河だったそうです、女神の名前になってますから。東の島では弁財天といいます。芸事の女神です・・・琵琶をいつも抱えてますから」
「大河ね」
「ガンジスは解りますでしょう」
「ん、解る・・・これも女神か」
「そうです。一番高い山も女神です。虎に乗った貴婦人の別名があります」
「女神か・・・美人か」
「浮気したら夫を食い殺しかねない鬼にも変身してのける貴婦人です」
「怖いなー」
「女性は怖いですよ」
「離婚歴何回だっけ、博士は」
「五回です」
「五回ってそんなに博士不実なの」
ベッドの少年が言う。
「逃げられたんです、つまらない男だと言われてね」
「ああ、そう・・・」
「サラスバティも夫から逃げたというエピソードありますよ。日本では毘沙門天の妻とも言われていますが、彼女は梵天の妻です、元々は」
「砂に消えゆく小さな川・・・大河の面影はとっくになく、か」
ジョージが見つめている。
「時々、無性にイザベルが恋しくなる。二度と逢わないと決めたのに・・・この川の様に消えているのに、その水が恋しくなる」
「ジョージ・・・」
「兄上は逢いたい、あの人に」
ジョージがエドワードに聞いた。異様な光景だ、ジョージは初老、エドワードは青年の姿をしているのだが。そして末弟は十二歳の少年の姿をしている。かつての世界にいた頃とは違う姿形。
「いや・・・逢わないと決めた。もう充分だ、まわりを不幸にした結婚だったと解ってからは・・・逢いたいとは言えない」
「兄上」
「ん、何だ、リチャード」
「別にいいと思うけど」
「私の気持ちが許せないだけだ、気にするな」
髪を撫で、エドワードが言う。私の髪をすべるあなたの 指先の名残こそ 哀れなれ・・・
「嘘つき」
リチャードはそう言った。
和歌は崇徳院のもの。ある意味リチャード三世と似たり寄ったりな人生・・・敗残の上、流刑地で都を睨み付けたまま無残な死を遂げたという人。怨霊でもピカ一の怨霊。父親に忌み嫌われていたと言う。後白河天皇と同母兄弟というのだから、その辺りが驚きです。
浜ちどり跡は都へかよへども身は松山に音(ね)をのみぞなく
浜千鳥の足跡ならぬ筆の跡は都へ通うけれども、我が身は松山で千鳥よろしくただ哭いてばかりいる。
崇徳天皇ってかわいそうな人だなあ・・・しかし、宗教が違うとこうまで扱い違うものかねえ・・・。天災が多い国柄のせいかも知れない。日本三大怨霊とは平将門、崇徳天皇、菅原道真を言うそうです・・・自然物に神を見る日本と人間中心の西洋。リチャードは怨霊になってもおかしくない死に方してますけど、ならないところは本人様が敬虔なクリスチャンなせいかしら。
サラスバティー・夢の世に