この世界は異様だ。ヘンリーはそう思った。どこを探しても自分と同じ時間移民が見つからない。指導をしてくれた人間は一通りの生活が営めるようになると、移転してしまい、結局は一人になってしまった。専門学校の図書館に職を得て、暮らしているが、友人も知人もない。かつての地位は役に立たず、十五世紀の終わりから十六世紀初頭の国王という職業がこの世界では通用するはずもない。なのに、自意識だけ高いせいか、ろくな事にはならなかった。妻が移民している情報を得て探し回っているが、彼女の情報に行き着くこともない。ヨーク家の人間がどれだけ移民しているのか調べようとしたが、個人情報保護法で阻まれてエドワード四世の兄弟がいることだけは解ったが、今現在の名前がわからない。
「こちらにガリレオ・ガリレイの関係書物があると聞きましたが」
穏やかな声。黒髪の静かな男だ。かつての世界では長身になるだろう背格好。細身で、整った顔をした男。
「あります。どんな関係をお探しですか」
「異端裁判の記録を」
「それなら、D号室の十二番の棚にあります」
モニター、パネルを操作して検索をかけ、彼に伝える。
「原本から揃ってますが、コピーの物以外は閲覧許可出来ません」
「コピーからコピーは取れますか」
「それは、研究者のIDが必要です」
「解りました、これで・・・」
懐から出されたIDカードは隣接する総合大学史学科の教授の身分を示していた。
「取れます、このカードなら・・・」
名前を見て、おや、と思う。が、IDカードには二つの名前がイニシャルになっていた。
「Y・P・・・」
「旧名です、使う必要がないので、イニシャルだけにして登録してあるだけですよ」
「よろしかったら・・・」
「あなたには教えるつもりはありませんよ、ミスター・テューダー」
そう言って彼は去っていった。「あなたには」とはっきり言った。Y、ヨークか、そう思いついた時には彼はもう部屋に入ってしまっていた。
「君、失礼のないようにしてくれよ、あっちの大学と揉めたら困るんだ、ガリレオの資料引き上げると言われたらこっちはやっていけない」
「係長・・・彼は」
「史学科の宗教文学科の教授、リース博士だ。比較宗教論のゼミを持つ人で、副学長の弟だぞ、困るよ、君」
「どこかで会った様な・・・」
「君も時間移民だったな、彼もそうだ。ただし、彼は病身だったので、見かけは若くなっている。この世界では遺伝疾患は徹底的に治療をほどこすからな・・・前見た感じとは違うだろう」
「治せない場合は・・・」
「ほとんどないよ、そういうシステムになっている。一時は遺伝疾患は制限されていたが、それはもう解除になった」
「どこからの移民なんです、彼」
「わからん。個人情報は保護されている。本人、家族からの発表がない限りは無理だな」
「そうですか」
気になったが、仕方ない。この専門学校は天文学が専門だ。これだけは総合大学から切り離されていた。宇宙に暮らしているからには、天文学は専門コースになるのは当然のことだろう。その専門学校の図書館。それがヘンリーの職場だ。やがて彼が出てきて、一通り挨拶をし、去っていった。係長がいつになく丁寧に応対していたのが、少し気に障ったが。当番が終わり、ヘンリーも図書館から出た。総合大学へ向かう彼を見つけてそれとなく追いかけてみた。
「トマス、てめーーーっ、いい加減、課題提出しやがれっ、留年させっぞ」
彼の怒鳴り声がした。その声で気付いた。戦場で一度だけ出会った、あの男だ。
「わーせんせ、勘弁して」
「するかっ阿呆っ、明日までに提出無しの場合は問答無用で留年だっ」
「あと少しだから」
「・・・それ何ヶ月前からほざいてんだ、ヤンソン先生のも滞ってるってのは、理由を聞こうじゃねーか、言ってみやがれ」
「・・・いろいろと」
「ジョアンナにこっぴどく振られたからか」
「せんせ、悪魔みてー」
「一生に関わるんだぞ、何やってんだ」
少し、いや、かなり言葉使いが下品になっていた。それに唖然とする。小言が続いたが、暫くして生徒を開放すると溜息一つ、ついた。
「あの・・・」
「あー・・・いたの」
軽く彼はそう返事した。
「たくっ、ヤンソン先生もろくな生徒回してよこさねーなー・・・留年ストッパーじゃねえんだけどな・・・こちとら」
「あなたは・・・ヨークの」
「テューダーの名前はあまり使わない方がいいかも、ヨーク方の人間かなりここのコロニーにいるから」
「エリサベスはどこだ」
「知らない」
「知らない・・・そんなはずは」
「彼女からメールは来ていたけど・・・迷惑メールに振り分けていたから・・・今も送ってくることはないと思う。アドレス七回は変えたし」
「は・・・」
「最後に会った時はチャイニーズのコロニーの総合大学の学長夫人で、ここから確かシャトルで一ヶ月かかる距離にいるはず」
「1ヶ月」
「片道1ヶ月で半年に一度しか民間シャトルは飛ばない。滞在費とシャトル代で・・・私の給料でも半年分はパーになるほどの料金がかかるからあちらも滅多には来ないし、こちらから出かける人はまずいない・・・軍事シャトルなら1週間に1便出ているが、これは民間人には乗船許可は出ない」
「・・・どうすればいいんだ」
「これは教えていいのか、迷うけれど・・・彼女の再婚相手は・・・唐帝國の女帝のひ孫で、元の時代では母親の胎内で母親とともに死んだ人だ。母親は実の祖母に殺されたと聞いた」
「そんな男と」
「権力握ってさぞや楽しかったでしょう、ヘンリー。ベスの再婚相手は権力者に血祭りに上げられた胎児。ある意味滑稽ですね」
「おまえはどうだったと言うんだ」
「・・・出来れば王族になぞ生まれたくはなかったですね、それだけです。ベスを捜したかったら、ご勝手に。ただの男として彼女にすがればいいでしょう、私には関わりあいのない事です」
「貴様は」
「叔父でしたけれど、今はリース家の息子です。お忘れなく、失礼」
去っていく彼を見る。なんとしても彼女に会う、そう決めている。何年かかっても。そう思った。だから食い下がった。
リース家はごく普通の平屋建ての家だった。庭先に廻ると年老いた女性と彼は会話を楽しんでいた。笑顔が柔らかい。耳を澄ますとその老婦人を「母様」と呼んでいた。結構大柄な婦人で、年の割にはきびきびとした動きをする女性だ。庭の手入れに二人は熱心に取り組んでいた。カサブランカと呼ばれる百合が良い香りを放っていた。
「そろそろ、花を切って株を休ませましょう、花粉に気をつけてね、汚れたら落ちないから」
「はい、で、切ったらどうします」
「活けておいてちょうだい。水切り忘れないでね」
「はい」
カサブランカを抱えて彼は家に入って行く。暫くして戻ると手には刃物を持っていた。
「薔薇の剪定もするのでしょう」
「ええ、お願いね。かなり深く切り込んでいいわ。アーチの蔓薔薇もお願いね」
「確か、青い枝、でしたっけ・・・」
「アーチのは構わないわよ、原種に近いから大丈夫」
「じゃあ、こちらの大輪から片付けちゃいましょう」
持っていたはさみで惜しげもなく大輪に咲き誇る薔薇を切っていく。
「今年は冬が早いわ。他の物の植え付けもしてしまいましょう、どうせ、休みは今日しかないのでしょう」
「ええ」
手袋とはさみと・・・ガーデニング用のエプロン、ホースや肥料。それらの合間を動き回り、彼は庭仕事をしていた。
「姉様がね、果樹が欲しいって言ってましたけど、どうします」
「あの子の言う通りにしたら、ここは畑になっちゃうわ。駄目よ」
「でも、この梨の木は切らないんですね」
「あの人が好きだったのよ、花が」
「レイモンドが春の雨に濡れる梨の花は美人の泣き顔だって言ってましたよ」
「中国の傾国の美女ね」
「傾国ね」
「ファムファタルって知っていて、リチャード」
「いえ」
「宿命の女と言うのよ、男を破滅させる女の事よ。女には三種類あるんですって。宿命の女と聖母と乙女のね」
「母様」
「ただし、境界線があやふやなのが困りものなんですって。そうあの人が言っていたわ」
「どうかしたのですか」
「あなたにとって二人のエリザベスはファムファタルね。二人もいたのでは、どうにもならないわね」
「そうかも知れませんね・・・」
ちらりとリチャードの視線がヘンリーに向いた。
「ファムファタル・・・破滅の女、か」
ヘンリーに聞こえるようにそうつぶやき、彼は母に向かって告げる。
「ケイトという人がいたんです、そろそろ彼女を迎えようかと思うんですけど、母様はどう思いますか」
「あら」
「妻に、ですけど」
「いいんじゃないの」
あっさりと笑って言った老婦人の顔は聖母の顔だった。それでも庭先にたたずむと、彼の声が聞こえた。母の要請で本を音読しているらしい。
「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい・・・」
穏やかな静かな声が不思議な物語を紡ぎ出す。老婦人は片付け物をしながら彼の声を聞いている。その小説も不思議な話で、ヘンリーにはよく解らなかった。それが終わらないうちにヘンリーはそっと立ち去った。
「後にしよう・・・」
彼もまた、旅の途中であることに変わりはなかった。
漱石の草枕より梶井の檸檬の方が影響受けてます。笑。ヘンリー君、がんばれ。かつての妻に会えるのか。それは私にも解らない。
「こちらにガリレオ・ガリレイの関係書物があると聞きましたが」
穏やかな声。黒髪の静かな男だ。かつての世界では長身になるだろう背格好。細身で、整った顔をした男。
「あります。どんな関係をお探しですか」
「異端裁判の記録を」
「それなら、D号室の十二番の棚にあります」
モニター、パネルを操作して検索をかけ、彼に伝える。
「原本から揃ってますが、コピーの物以外は閲覧許可出来ません」
「コピーからコピーは取れますか」
「それは、研究者のIDが必要です」
「解りました、これで・・・」
懐から出されたIDカードは隣接する総合大学史学科の教授の身分を示していた。
「取れます、このカードなら・・・」
名前を見て、おや、と思う。が、IDカードには二つの名前がイニシャルになっていた。
「Y・P・・・」
「旧名です、使う必要がないので、イニシャルだけにして登録してあるだけですよ」
「よろしかったら・・・」
「あなたには教えるつもりはありませんよ、ミスター・テューダー」
そう言って彼は去っていった。「あなたには」とはっきり言った。Y、ヨークか、そう思いついた時には彼はもう部屋に入ってしまっていた。
「君、失礼のないようにしてくれよ、あっちの大学と揉めたら困るんだ、ガリレオの資料引き上げると言われたらこっちはやっていけない」
「係長・・・彼は」
「史学科の宗教文学科の教授、リース博士だ。比較宗教論のゼミを持つ人で、副学長の弟だぞ、困るよ、君」
「どこかで会った様な・・・」
「君も時間移民だったな、彼もそうだ。ただし、彼は病身だったので、見かけは若くなっている。この世界では遺伝疾患は徹底的に治療をほどこすからな・・・前見た感じとは違うだろう」
「治せない場合は・・・」
「ほとんどないよ、そういうシステムになっている。一時は遺伝疾患は制限されていたが、それはもう解除になった」
「どこからの移民なんです、彼」
「わからん。個人情報は保護されている。本人、家族からの発表がない限りは無理だな」
「そうですか」
気になったが、仕方ない。この専門学校は天文学が専門だ。これだけは総合大学から切り離されていた。宇宙に暮らしているからには、天文学は専門コースになるのは当然のことだろう。その専門学校の図書館。それがヘンリーの職場だ。やがて彼が出てきて、一通り挨拶をし、去っていった。係長がいつになく丁寧に応対していたのが、少し気に障ったが。当番が終わり、ヘンリーも図書館から出た。総合大学へ向かう彼を見つけてそれとなく追いかけてみた。
「トマス、てめーーーっ、いい加減、課題提出しやがれっ、留年させっぞ」
彼の怒鳴り声がした。その声で気付いた。戦場で一度だけ出会った、あの男だ。
「わーせんせ、勘弁して」
「するかっ阿呆っ、明日までに提出無しの場合は問答無用で留年だっ」
「あと少しだから」
「・・・それ何ヶ月前からほざいてんだ、ヤンソン先生のも滞ってるってのは、理由を聞こうじゃねーか、言ってみやがれ」
「・・・いろいろと」
「ジョアンナにこっぴどく振られたからか」
「せんせ、悪魔みてー」
「一生に関わるんだぞ、何やってんだ」
少し、いや、かなり言葉使いが下品になっていた。それに唖然とする。小言が続いたが、暫くして生徒を開放すると溜息一つ、ついた。
「あの・・・」
「あー・・・いたの」
軽く彼はそう返事した。
「たくっ、ヤンソン先生もろくな生徒回してよこさねーなー・・・留年ストッパーじゃねえんだけどな・・・こちとら」
「あなたは・・・ヨークの」
「テューダーの名前はあまり使わない方がいいかも、ヨーク方の人間かなりここのコロニーにいるから」
「エリサベスはどこだ」
「知らない」
「知らない・・・そんなはずは」
「彼女からメールは来ていたけど・・・迷惑メールに振り分けていたから・・・今も送ってくることはないと思う。アドレス七回は変えたし」
「は・・・」
「最後に会った時はチャイニーズのコロニーの総合大学の学長夫人で、ここから確かシャトルで一ヶ月かかる距離にいるはず」
「1ヶ月」
「片道1ヶ月で半年に一度しか民間シャトルは飛ばない。滞在費とシャトル代で・・・私の給料でも半年分はパーになるほどの料金がかかるからあちらも滅多には来ないし、こちらから出かける人はまずいない・・・軍事シャトルなら1週間に1便出ているが、これは民間人には乗船許可は出ない」
「・・・どうすればいいんだ」
「これは教えていいのか、迷うけれど・・・彼女の再婚相手は・・・唐帝國の女帝のひ孫で、元の時代では母親の胎内で母親とともに死んだ人だ。母親は実の祖母に殺されたと聞いた」
「そんな男と」
「権力握ってさぞや楽しかったでしょう、ヘンリー。ベスの再婚相手は権力者に血祭りに上げられた胎児。ある意味滑稽ですね」
「おまえはどうだったと言うんだ」
「・・・出来れば王族になぞ生まれたくはなかったですね、それだけです。ベスを捜したかったら、ご勝手に。ただの男として彼女にすがればいいでしょう、私には関わりあいのない事です」
「貴様は」
「叔父でしたけれど、今はリース家の息子です。お忘れなく、失礼」
去っていく彼を見る。なんとしても彼女に会う、そう決めている。何年かかっても。そう思った。だから食い下がった。
リース家はごく普通の平屋建ての家だった。庭先に廻ると年老いた女性と彼は会話を楽しんでいた。笑顔が柔らかい。耳を澄ますとその老婦人を「母様」と呼んでいた。結構大柄な婦人で、年の割にはきびきびとした動きをする女性だ。庭の手入れに二人は熱心に取り組んでいた。カサブランカと呼ばれる百合が良い香りを放っていた。
「そろそろ、花を切って株を休ませましょう、花粉に気をつけてね、汚れたら落ちないから」
「はい、で、切ったらどうします」
「活けておいてちょうだい。水切り忘れないでね」
「はい」
カサブランカを抱えて彼は家に入って行く。暫くして戻ると手には刃物を持っていた。
「薔薇の剪定もするのでしょう」
「ええ、お願いね。かなり深く切り込んでいいわ。アーチの蔓薔薇もお願いね」
「確か、青い枝、でしたっけ・・・」
「アーチのは構わないわよ、原種に近いから大丈夫」
「じゃあ、こちらの大輪から片付けちゃいましょう」
持っていたはさみで惜しげもなく大輪に咲き誇る薔薇を切っていく。
「今年は冬が早いわ。他の物の植え付けもしてしまいましょう、どうせ、休みは今日しかないのでしょう」
「ええ」
手袋とはさみと・・・ガーデニング用のエプロン、ホースや肥料。それらの合間を動き回り、彼は庭仕事をしていた。
「姉様がね、果樹が欲しいって言ってましたけど、どうします」
「あの子の言う通りにしたら、ここは畑になっちゃうわ。駄目よ」
「でも、この梨の木は切らないんですね」
「あの人が好きだったのよ、花が」
「レイモンドが春の雨に濡れる梨の花は美人の泣き顔だって言ってましたよ」
「中国の傾国の美女ね」
「傾国ね」
「ファムファタルって知っていて、リチャード」
「いえ」
「宿命の女と言うのよ、男を破滅させる女の事よ。女には三種類あるんですって。宿命の女と聖母と乙女のね」
「母様」
「ただし、境界線があやふやなのが困りものなんですって。そうあの人が言っていたわ」
「どうかしたのですか」
「あなたにとって二人のエリザベスはファムファタルね。二人もいたのでは、どうにもならないわね」
「そうかも知れませんね・・・」
ちらりとリチャードの視線がヘンリーに向いた。
「ファムファタル・・・破滅の女、か」
ヘンリーに聞こえるようにそうつぶやき、彼は母に向かって告げる。
「ケイトという人がいたんです、そろそろ彼女を迎えようかと思うんですけど、母様はどう思いますか」
「あら」
「妻に、ですけど」
「いいんじゃないの」
あっさりと笑って言った老婦人の顔は聖母の顔だった。それでも庭先にたたずむと、彼の声が聞こえた。母の要請で本を音読しているらしい。
「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい・・・」
穏やかな静かな声が不思議な物語を紡ぎ出す。老婦人は片付け物をしながら彼の声を聞いている。その小説も不思議な話で、ヘンリーにはよく解らなかった。それが終わらないうちにヘンリーはそっと立ち去った。
「後にしよう・・・」
彼もまた、旅の途中であることに変わりはなかった。
漱石の草枕より梶井の檸檬の方が影響受けてます。笑。ヘンリー君、がんばれ。かつての妻に会えるのか。それは私にも解らない。