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      「なんで、こいつがいるのさ」
      「マシンの暴走だよ、我慢してくれ」
      「やだ」
      そう言うと、小さな背中を見せて、去っていった。
      「そんなこと言ったって…仕方ないだろう、リシィ…」
      閉ざされた扉をジョージは見ていた。銀色の髪、皺のある顔、悲しそうに閉ざされた瞼が、ふいに開く。
      「移民局と市民課に連絡を」
      「ハイ、所長」
      命じた声、そして振り返った顔をエドワードは見ていた。
      「おまえは…」
      「嫌だ、と言えるリチャードが羨ましいよ、俺には言えない。ここの責任者だからな…」
      「所長、受付、終了しましたよ」
      「ああ、ありがとう…マージョリーを呼んでおいてくれ。出来ればレイチェルも。リース夫妻も」
      「はい…所長は」
      「大学の方に用がある。辞令が下りたんだ、こことは兼任になるから…副所長はマージョリーだから、頼んだよ」
      「いってらっしゃいませ、所長」
      そのやりとりをエドワードは呆然と見ていた。
      「ジョージ…」
      その呼びかけに所長と呼ばれる男は答えず、外に通じるらしい扉から出ていった。

      そこはイングランドに気候が似ていた。似ているけれど、地球ではないと聞かされた。植えられた樹木も足下の草もイングランドのものと変わらなく見える。不思議な紫色の花を咲かせる木を見つけた。
      「これは…」
      「東洋の木なの」
      初老の夫人がそう言った。
      「なんて名前の」
      「桐…」
      美しいな、と思う花だ。
      「虫を寄せ付けない木で東洋の娘達はこれでタンスを作ってもらったそうよ」
      「この木で、ですか」
      「ええ。女の子が生まれると庭に植えたとか。その子が嫁ぐときにタンスに出来るように、と」
      「小さくはないのですか」
      「その国の人達は材木を扱うのがとても上手なの、大きなお城もみな木で建てたわ。だから大丈夫よ」
      「所変われば変わる物なんですね」
      「石で作られた家はその国は多湿なので、暮らせない…木は倒されても息をするから…快適だったそうよ」
      「あなたは」
      「ジゼル・リースと申します」
      軽い足音がした。
      「母様」
      「リシィ…」
      「父様は」
      「もう家に着いてるわ。迎えに来たのよ。食事は」
      「マージョリー達と食べたよ」
      「そう…あまり遅いから、あなたの分は用意しなくても良さそうだと」
      「つまり、家には」
      「ないのよ。マージョリーの料理もなかなかでしょう」
      「うん」
      「さあ、帰りましょう」
      「桐の花、どうかしたの」
      「何でもないのよ」
      背の高い夫人がかけていたショールを外し、少年にかけた。
      「上着忘れちゃ駄目と言ったでしょ、リシィ」
      「ごめんなさい」
      ショールをすっぽりとかぶり、その少年はエドワードの横を素知らぬ顔をして通り過ぎて行った。
      「失礼します」
      夫人も去っていった。夫人を見上げて笑った顔。エドワードは声も出せなかった。
      「それは、私の弟だ」
      二人が立ち去ってから、やっとエドワードは声を絞り出していた。

      その後。
      「ちゃんと話せ、何があった」
      弟はたいした返事もせず、唐突に語り出した。ここに来てからの事を。

      馬から落とされる、そう思ったところまで、覚えている。気付くと辺り一面濃霧がかかっていた。戦の最中のはず。なのに、何の物音もしない。荒野のはず。見回すと鬱蒼とした森だった。ボズワースにこんな場所、あっただろうか。片手に握っている戦闘用の斧。身につけた甲冑、頭にはまだサークレットがある。
      「王…私は…」
      いやだ、と思っていた。このサークレットは私の物じゃない。兄上の物だ…。仕方なく歩き始める。誰もいない森をただ一人歩き出す。ふと森を抜けた場所には見た事もない建物があった。緑色のスレート葺きの屋根、尖塔のついた奇妙なデザインの建物だ。それを見つめていた。その時、あるトラブルが起きていたが、来たばかりの彼には訳がわからなかった。そばにいた初老の女性が話していた。いくらか解る言葉だった。
      「ジョージ、聞いてる、あなたのところのマシン、またやらかしたわね」
      「聞いてるよ」
      「そちらに連れて行くわ。どこから来たのかも、そちらで聞くから」
      どこから男の声がしたのか、解らない。初老の女が振り向いた。
      「あ…」
      母に似ている、と思った。
      「こちらへ。ここでは…」
      ついてくるように、と彼女は言う。
      「ここは…いったい」
      「事情はあちらで説明いたしますわ、陛下」
      思わず眉をひそめてしまった。
      「お嫌いですか、陛下の呼びかけは」
      ふっと微笑んで、頷く。
      「でも、その甲冑も、サークレットも…イングランド国王の印でございましょう」
      「そうですけれど…私は、初めて会うあなたにこんな事、言うのは気が引けますが」
      「気が引ける…」
      「グロスター公爵のまま、ミドラムで終わりたかった…」
      「行きましょう」
      「どこへ」
      「この先に研究所があります。そちらに」
      「研究所…」
      その人と歩いて向かった不思議な建物。部屋に通され、彼女は着替えるように、と言う。
      「そうですね…甲冑はおかしいですね」
      「この先に風呂場があります」
      「風呂…」
      「はい、湯浴みしてらしてください」
      甲冑を脱ぎ、湯浴みをする。不思議な布がある。それで身体を拭き、たたまれていた衣服を身につけ、部屋に入る。甲冑もサークレットももうなかった。何故か、ほっとした。
      「ホントだ…ジゼル…ホントに…」
      初老の男が泣いていた。口元を押さえ、顔を覆い、声を押し殺したまま。
      「ジゼル…旦那、呼んでおいてくれ、中世の話し方出来るのは少ない」
      「いいわよ」
      ソファに腰を下ろした初老の男はかなわないな、と呟いて溜息をついた。
      「ジョージ、落ち着いて行動してよ、あなた、時々軽いんだから」
      「元々からの性格だよ、その軽はずみなのは」
      「直す気ないわけ」
      「三つ子の魂百まで」
      「しょうがない人ね」
      「ジゼル…俺、本当はイザベルに会いたい」
      そう彼は呟いた。
      「あなたが来た当初の法律では無理だったけれど、マージョリーと離婚出来るの」
      「しないよ、レイチェルに張り倒されるわ、言葉で」
      「娘には甘いのね」
      「まあね。イザベルとの娘にもホントは会いたい」
      「彼女は無理よ」
      「知ってるよ」
      彼は一度、言葉を切った。そして、立っているその人に向かった。
      「座ったらどうだ、立ったままでは疲れるだろ、リシィ」
      「え…」
      「ディッコン、座れよ」
      「ジョージ…?」
      ゆっくりと近付いて、ソファの男の顔を見つめた。
      「うーん、じーさんだからなあ、無理ないかな」
      「ジョージ…」
      頬に触れ、銀髪になった髪に触れ、笑顔を見つめる。
      「ジョージ…」
      抱きつくと、彼は笑った。
      「リシィ…」
      「あら、思ったより仲良かったのね」
      「ジゼルーっっっ」
      「まあ、いいわ。医者を手配して、所長様」
      「あー…」
      「医者」
      「うん、まあ、おまえを診てもらうんだよ、健康体でないと色々あってな」
      「健康…ジョージ」
      「背骨の事も」
      びくっとなった人をジョージは離すつもりはなかった。
      「それも診断の結果では…治療の予定もある」
      「治療って」
      「これは病気なんだよ、遺伝性と若年性が重なった結果の骨の病気。おまえが悪いんじゃない。この世界では信じられないかも知れないが差別はない。偏見も、だ」
      「いらない」
      「リシィ」
      「健康になっても、アンもあの子もいない。何も要らない」
      「だろーなー」
      泣き言を言う弟をジョージはただ抱き締めていた。
      「でも、生きろ、俺が言えるのはそれだけだ」
      「どうやって…」
      「そ、それを言われると困るな」
      俺もどうやってここまで来たのか、色々あってな、とジョージは言葉を濁した。傍らの黒い板を彼はそっと撫でた。自然と音楽が流れていた。
      「歌…」
      「おお、フランス語だ、娘だよ」
      ハスキーな声で歌っているのは、女性で、姪にあたるらしい。
      「愛の賛歌ね」
      「何」
      「ああ、恋人に死なれた女が歌った絶唱さ。うちのバカ娘にはまだ早いし、意味解ってねえな」
      「ジョージはイザベルに」
      「二度と会えない」
      すっぱりと言い切った。
      「僕はアンに会いたい」
      「諦めろって言えたらいいんだけどな…」
      また板きれを操作するジョージ。
      「医者を派遣してくれ。頼む」
      「了解、所長」
      また誰もいないのに違う男の声。
      「それ、何」
      「んー、そのうち説明するよ」


      「そのうちってちゃんと聞いたのか」
      「聞いたよ、ジョージは、ジョージのスタッフはみんなちゃんと教えてくれたよ、母様もね」
      「おまえ…」
      「僕はリース家の子供なの。アンタとは他人」
      それは憎悪の瞳、軽蔑の瞳。
      「今更、兄貴風吹かせないでもらえない、迷惑だよ」
      その言葉を端で聞いていた宇宙軍総裁の副官がパソコンをいじる手を止めた。
      「殿下には言わないでね」
      「え、ああ、はい…」
      一人で残務処理に追われる彼は戸惑った顔を一瞬、浮かべた。
      「…やはり血筋かな、アンと似ているね」
      「そ、そうですか」
      「口元とか、目元が…似ている」
      子孫の娘を愛した人。トマスはふっと息をはき、そして、またパソコンを操作し始めていた。
      「殿下は来ないの」
      「今回ばかりは無理でしょうね、同時に休暇申請しましたが、アルデモードご夫妻も休暇で、家族旅行中だそうですから」
      「ああ、ナイアガラ見に行くって言ってた…」
      「滝廻りだと言ってましたよ、イグアスとヴィクトリア、現地の名前は失念しましたが、そこにも行くとか」
      「三つの大きな滝…」
      「で、どこにあるのでしょう」
      「北米と南米とアフリカ大陸だよ」
      「それでは、無理ですね…」
      トマスはついでに検索をかけてみたらしく、その画面を見つめていた。
      「こんなところもあるのですか」
      「人間ってちっちゃいよ、そう思えるところ…このヴィクトリアの滝は八千年前はここにあったって…」
      大きな溝をさすリチャードをトマスは見上げた。
      「小さいままで僕はいたい」
      「三世陛下」
      「それ…」
      「おいやでも、私は臣下の身分ですから」
      「ここではないよ、身分制度は」
      「では、通称で、お願いします」
      「いいけど」
      「エドマンド様の御子孫に無礼な事は出来ません」
      「お堅いねえ、あなたは」
      笑う顔には苦みがある。
      「浅はかでもいいの…僕は」
      「何か」
      「そのエドマンドの子孫でもいたくないの」
      「知ってます」
      絞り出すようにトマスがそう言った。
      「そのことも殿下には」
      「言いませんよ」
      言えませんよ、トマスはそうも言った。
      「ホントかな、あなたは殿下に問い詰められたら、あっけなく白状しちゃいそうだ」
      「そう見えますか」
      「うん」
      「私の口からは言いません、これは告げ口になりますよ、三世陛下」
      「あなたは優しいね、ウォリック伯爵」
      かつての身分で呼んだその人をトマスは見た。
      「その身分を否定なさったのに、ですか」
      「そうだったけれど、今は呼びたくなった、それじゃ駄目かな」
      エドワード四世は黙っている。
      「おまえは私とは本当に話したくないのだな」
      やっとそう言った。
      「そうだね」
      そう返事した弟をエドワードは抱き締めて、キスをした。
      「それでも、愛してると言う。おまえを、な」
      離れていく兄を何とも言えない顔で見送る弟の、その顔を見てしまったトマスは手を止めて、戸惑っていた。二人の顔を見てしまった、それが心に重かったトマスだった。
      「黙っていてね」
      「ええ…」
      「あなたも苦しめるつもりはないんだけど」
      「お気になさらずに…」
      どこか戸惑った口調になってしまい、トマスは口元を引き締めていた。
      「報告は終わったの」
      「ええ」
      「なら何をしているの」
      「見たい場所の検索ですね」
      少年がその画面を見た。
      「テーブルマウンテンだ」
      「不思議な処ですね」
      「新種の生物がたくさん発見されたって、あ、この滝…」
      「これが…滝壺がないんですね」
      「落差が激しいから水さえも霧散してしまう…」
      「滝口の映像は…こんな大きな川が消えてしまうんですか」
      「こんな風に消えられたらいいのに」
      「それは私は嫌ですね」
      画面をトマスは切り替えた。
      「ピラミッド」
      「これは何ですか」
      「神殿…の一つ…」
      「そうですか」
      「これを作らせた王様の像はね、これだけ」
      あまりにも小さい石像。
      「何故…」
      「さあ…解らない」
      「真の王とは何なのでしょうね」
      トマスは違う画面を出していた。黄金のマスク。
      「十九歳で死んでしまった王のマスク」
      「幾つで即位なさったので」
      「九つか十…」
      「幼い、ですね」
      「この王も最後の王みたいなもの。十八番目の王朝の直系男子最後の王」
      「そうですか…」
      「この王様も真の王になれなかったかも知れない」
      「あなたは…」
      「僕は愚かな裸の王様」
      「三世陛下」
      「殿下には伝えて。プランタジネット王朝を滅ぼしてすまなかったって…」
      「ご自身でお願いします」
      「そう…やってみるね」
      「そうして下さい…私は…」
      「ごめんなさい、あなたも苦しめるつもりはないんだ」
      「関わらずに済ませることは私には出来ませんよ」
      「ホントにあなたは優しくて、強いね」
      トマスの手が止まった。
      「昔、殿下にもそう言われた事、ありました」
      「嫌だった、今の言い方」
      「いいえ」
      かちゃりと音がした。食堂に入ってきた人。
      「何かあったのか、エドワード君がすごい顔してたけど」
      「よく、従兄殿が何も」
      「それで怒鳴られていたけど、エドワード君」
      「殿下、よくお時間が…」
      トマスがそう言った。
      「三時間だけ、時間もらった。食事だけ。すぐ行かなきゃならない…」
      「マークス元帥が」
      リチャードが言いかけた。
      「いや、ラヴェル艦長がね…行ってこいって」
      「フランシーが…勘いいね、あいつ」
      「やっちゃったんだね、兄上と」
      「うん…」
      「参ったな」
      「解ってるの、兄上だって…ホントは」
      「それが解っていて、君」
      「八つ当たりなのは解ってるの、でも、僕は」
      「食事にしよう。今は話さなくていい」
      頷く少年を殿下と呼ばれる人は見つめていた。


      「ジョージはどこ」
      ここに移民してきて、一晩寝た後、目覚めた途端、彼はそう言った。ジゼルは溜息をついていた。
      「仕事中よ」
      「どんな仕事…」
      「説明するのは難しいわ」
      彼女はそう言って、考え込んでいた。
      「起きられるとは思わなかった」
      「毒薬とでも思ったの」
      頷く。
      「仕方ないわね」
      診断の結果を彼女から聞いた。治療を望まないと告げたら、首を振った。
      「ジョージも駄目だと言った」
      「政府も駄目だと言ったわ」
      「政府…」
      「それ、どういう…」
      「正式にここの住人として登録されたの、ならば、住人としての任務は果たしてもらう、それだけよ」
      「国王より楽ですか」
      「一般庶民だから楽よ」
      「なら…従います」
      「では、ちょっと苦しいかも知れないけれど、我慢してね」
      その言葉の意味がわからなかった。

      「小さい」
      「背骨の治療のためよ」
      「十二歳からやり直しか」
      「そういう事ね」
      まさか、難病におかされるとは思わなかった。治療は嫌だとわがままを言った。ジゼル・リース夫人はその度に宥めて治療を受けさせる。
      「注射も投薬も嫌だってねえ…」
      彼女は笑う。
      「嫌なものは嫌だ」
      中身は大人。なのに言っている言葉は…幼い。ぷいと彼女から顔をそらす。無視できる程、強くはない。声音が母に似ている。仕草も、ふとした横顔も。
      「最後まで嫌だ、とは言わないのね」
      「だってあなたは…」
      母上に似ている、と言いかけてやめる。
      「私が母親なら無理にでも治療は受けさせるわよ、完治可能ですからね」
      「なら勝手にすればいい」
      「あらそう、ならば、この書類に署名して」
      もそりと起き上がって、書類を見つめる。
      「署名」
      「勝手にさせてもらうわよ、さあ、署名しなさい」
      渡された万年筆で署名する。モットーとリチャード、グロスター、と。
      「よろしい。あなた」
      ドアを開け、やってきた男に彼女はその書類を渡した。
      「移民局と市民課までよろしくね」
      「解った」
      書類を手に去っていった。
      「さて、受理はされるかしらね、どう思う?」
      「受理…今の届け出」
      「養子縁組手続きよ」
      大声挙げたけれど、彼女は澄ました顔をしていた。彼女のタブレットに連絡が入り、それを見た。
      「あなたは今日から、フランツ・フランシス・リースとジゼル・フランセス・リースの長男、リチャード・フランシス・リース。いいわね。さあ、飲みなさい、今日の昼の分よ」
      水と錠剤を前につきだして、彼女はそう言いきった。

      「だまされて養子縁組ってなんじゃ、そら」
      「どちらかというと…売り言葉に買い言葉…」
      「つまり売られた喧嘩を買ったと言うのかよ、おまえ」
      「そうだけど」
      ジョージは唖然としていた。
      「でも、これでヨーク公爵家から離れられる」
      「そうだな」
      抱きついてきた弟をジョージは抱いて、その髪を撫でた。
      「親戚のおじちゃんって形かな、俺は」
      「…そうかなあ」

      その後やって来たエドワードには徹頭徹尾厳しい態度を崩さない弟にジョージは笑っていた。無理にだっこすれば、蹴飛ばすし、キスすれば、噛みつく。むかつけば、ひっかく。
      「懲りねーよな、兄上」
      「ほっといてくれ」
      絆創膏と湿布薬の世話になりつつ、エドワードは過ごしている。リース家に引き取られていった弟は夫妻が留守の場合はジョージの研究室に滞在していたが、エドワードが料亭旅館の経営に乗り出した時から、その旅館に預けられる事になったが…。
      「初日からごねまくったって訳か」
      料理長が苦笑する。みみず腫れの顔のままエドワードはさっきから鏡とにらめっこだ。
      「客商売だって言うのにー」
      「その位で済んで良かったな」
      「よかねーわ…」
      その顔で、百年戦争当初の英雄様と面会。しかも、穴にはまったまんまという…穴があったら入りたいと言うか、入っていたと言うか。

      その百年戦争の英雄様が手違いで、いらっしゃった。そもそも、リチャードもエドワードも手違いなのだから、何とも言えないのだが。国王陛下や王太子殿下で成人していた者はほとんどいない筈の世界。成人前の者は何人かいたりするが。
      「で、呼出はなんでリシィなんだよ、ジョージ」
      「あの子の方が国王陛下の自覚がないと言うか」
      「へ」
      「あいつ、言いやがった、立派な裸の王様、だとよ。虚栄と意地で国王をやっていたひねくれ者だそうだよ」
      「…自分のこと冷静に分析するのか、あいつ」
      「愚か者の王様だから、ほっといてくれ、なんだそうだ」
      「…頭痛いな」
      「簒奪者なのは変わりはない、あんたはあの子を大逆罪だって言っても構わない筈だろ」
      「…」
      「沈黙するなよ、マジ、あの女との結婚の前にやらかしてたんじゃないだろうな」
      「やらかしていた、その後整えなかったのは、怠慢だった」
      「それじゃ余計蹴飛ばされても文句言えないじゃん…」


      「簒奪した王冠をかぶった国王など、認めたくないと存じますが、殿下」
      以前来た時はこんな事は言わなかった、と思ったが。
      「では、なんて」
      「僕はただのリース家の子供です。今更、プランタジネット王家なんか知りません」
      責めたければ、勝手にどうぞ、と言う。
      「負けて王冠取られたアホなんぞ、どうでもいいじゃありませんか。僕は政府から言われた役目を果たすだけです」
      資料を並べる。
      「この資料に全て目を通して下さい。後の手続きは宇宙軍がします。姓名についてですが、プランタジネットのエドワードは沢山存在していますので、独自の由来のある地名か爵位から選んでおいて下さい。その氏名の署名をもって移民局と市民課の認証を得て、この世界の住人として登録されます」
      「地名…アキテーヌ…」
      「ウッドストックでも構いませんが」
      「いや、アキテーヌを使う」
      「殿下、オブは抜かして下さい、それが、氏名になります。ここには国王はいませんし、王太子の地位もありません。プランタジネットはセカンドネームか名字に使用することになります」
      「それから?」
      「補佐役や友人、それからかつての世界での伴侶は移民させることが可能です。精神安定の為に許可されています」
      「伴侶」
      「妻、ですね」
      「いや…彼女は…ウォリック伯は呼べるのか」
      「ウォリック…何代目ですか」
      「十一代目、ビーチャムの」
      「呼べます。正し、彼が拒否した場合は残念ですが」
      「解った」
      「では、手続きを取ります…」
      トマス・デ・ビーチャム。その人は…。

      まだ、トマスはブラックプリンスに面会はしていなかった。
      「ああ、そうそう、あちらの部屋でお待ちです、殿下が」
      「…あの扉の向こうに、ですか」
      「そうです」
      「係員が案内しますので」
      移民局の係員が彼を連れていった。

      殿下がやってきた。
      「殿下」
      跪こうとしたが。
      「ここには身分制度はありませんので、その礼は取らないようお願いします。あなたの身分も、その御方の身分も、僕の身分も対等です。神の元の平等ではなく、真実平等です。肩書きによって収入は違いますが、ここには国王も王太子も存在いたしませんので、あしからず」
      「君は…」
      トマスが目を見開いて小柄な少年を見る。
      「あの頃の身分制度を適応すれば、僕はイングランド国王リチャード三世になりますが、この世界では総合大学史学科教授フランツ・リースの長男、リチャード・リース、総合大学聴講生の資格しかありません。能力と身体的理由により、公立、もしくは私立の小学校に通うことは出来ませんので、家庭教師をつけている学生にもなれない子供です、こういう事に慣れて下さい、あなたのウォリック伯爵の爵位も、ビーチャム一族の長であった事もここでは無意味ですから」
      「君…きつくなったね」
      殿下がそう言った。
      「事実です。受け止めきれなければ、前時代に戻って下さい。迷惑にしかなりませんので」
      喧嘩腰の少年に二人は何も言わなかった。
      「お二人の事は宇宙軍が引き受けるそうですから。その係員が来るまではどうぞごゆっくりと言いたい所だけど、その資料の読み込みだけはしといてくださいね。あーそれから、身の回りの事は自分でして下さい。よろしく。部屋はそのドアの向こうにありますから」
      指さした場所に二つのドア。
      「浴室付きの寝室です。まだ休むような時間ではないと思いますが、二時間はお二人でごゆっくり過ごし下さい。そのポットに飲み物入ってますから。籠のものはお菓子です。では僕は一度席外しますので」
      そう告げ終わると去ってしまった。
      「えらくつっけんどんですね…」
      「拗ねているみたいな感じがするけど…予定があったのかな、あの子」
      お茶とお菓子は口にしたことはほちとんどないものだった。中世にはなかった習慣。
      「うーん、私のせいかな」
      「殿下」
      「きっとそうだろうな」
      「楽しそうですね」
      「そりゃまあ…だって、あの子」
      「エドマンド様に似ている」
      ジョージがやって来て、宇宙軍の係員に二人を預けた。

      リチャード・リース。その名前の、彼とは何度も接触があった。簒奪王だと名乗った。けれど、その顔にあったものに気付いて、ブラックプリンスは何も言えなかった。
      「お嫌いではなかったんですか、簒奪王者なんか」
      白薔薇亭で、彼は聞いて来た。
      「どんな事情で、そうなったんだ」
      「あのクソバカ兄貴が結婚の書類を二枚も書きやがったから」
      「…ああ、そう」
      頭痛を覚えた。
      「ウッドヴィルの義姉上は妾妃という立場になり、甥にも姪にも正嫡王子、正嫡王女の名称は与えること出来なくなったから。こんなはみだしもんに王位預けるなんて、みんなバカじゃねえのってずっと思っている、でいいでしょうか、殿下」
      「その場合は…」
      「それならいっそのことと思って母上に僕の出生を疑わせる様な事言ってくれと言ったらひっぱたかれた。運のないことにきょうだいの中で一番父上に似ているんだって、僕が」
      「…そりゃ君」
      「母上にも告げた、僕の嫡子は長くは生きられないって。なのに、王だって…我が子の死に目くらい見たかったのに…」
      「君…」
      「王冠なんていらないっ、あんなもん、僕がかぶって何になるのさ、息が詰まる。ユアグレース、そんな称号聞きたくもない…」
      「落ち着いて」
      「ごめんなさい…王冠が頭上に輝いたときから転がり落ちていくのなんか解ってた…解っていて、王位を受けるとしか言えなかった。言いたくなかった、王なんて僕は…なりたくなかった…ミドラムのお城で親子で過ごしたかった…あの子もアンもきっと…」
      「もういい」
      「ミドラムのお城で死にたかった…アンと同じ病で」
      そっとその場を離れていく彼。
      「聞かなければ良かったのか、トマス」
      「知らなければならなかった…そう思います」
      「ご先祖様」
      アンがそう呼びかける。
      「それは」
      「私は幸せでした。幼なじみとの初恋を実らせることが出来て…ただ、あの人を一人残したくはなかった…それがつらかった…それだけは解って下さい」
      「今も慰めにはならないと」
      「ええ、一度傷ついたあの人が…兄上を許す気にはなれないでしょう…許せなくとも、兄上として愛しているのは変わりはありませんけれど」


      オーナーは何も言わずに弟を見ていた。
      「兄上」
      「…リース夫人から連絡が」
      「知ってる」
      「三号室だ、リシィ」
      「ねえ、なんで大逆罪だって言わないの」
      「言って欲しいのか」
      「うん…」
      「言える立場じゃないから言わない」
      「僕は…枯れていいのか、咲いていいのか解らない」
      「おまえ」
      「兄上の顔、見たくない…兄上の声、聞きたくない。今でもいいから、言ってよ…レスマジエステ…」
      「駄目だ。おまえは正統な王だ」
      「…そんなの、まやかしだ…」
      「いい加減な事をしたのは事実だ」
      「じゃあ、兄上」
      「何だ」
      「一生、恨んでいていい?」
      「ああ、いいだろう」
      ひやりとする返答に立ち尽くすブラックプリンスに少年が微笑んだ。
      「ね、殿下、僕は簒奪したんだよ、卑怯者だと言ってよ」
      「…いや、それは」
      「休みます。失礼」
      少年が去っていく。兄から寝室の鍵を預かって。
      「怖い事を言う…」
      「ええ、一生恨んでいいとしか私には言えませんよ…」
      愛していると言っても、きっと…弟は答えない。


      「兄上、大好き」
      たまに囁いた言葉。
      「まだ聞いているの」
      「ええ、おんなじエドワードなのに、あんたは思い切りクソバカだ、というのも入ってますよ…」
      「それも…聞くのか」
      「聞くしかないんです…」
      暮らしていた家をエドワードは見ていた。その家を買い取り、白薔薇亭から離れて過ごすこともある。元の持ち主から弟の品物だけを受け取って、一室に元通りに並べた。小さな衣服、好んで読んだ本、ギターやピアノの楽譜。ベッドの上に広げたままの軍旗と国王の旗。リース夫人が手作りした薄汚れた白猪の縫いぐるみ。それらに囲まれて、弟が座っていた椅子に座ったまま、彼は一日過ごす事もあった。
      「一生、恨んでいい?」
      そう聞いた弟の顔。
      「食事だよ」
      ブラックプリンスがバスケットを手にしていた。
      「ここに置いておくから」
      「すみません」
      「いや…大した事じゃないし」
      窓から見えた曇天の空。
      「ここから見ていたのか」
      庭は綺麗に整備されていた。
      「リース夫人がくれた植物ですけどね…」
      薔薇は一本も植えられていなかった。野趣の趣のある草花が庭にある。
      「あの子がいなくなってから、あちらの家にも薔薇の木はないそうです」
      「そう…」
      「エニシダは植えましたけど」
      「エニシダ…」
      低く鳥が飛んで行った。エドワード四世だった男は黙って、見ていた。涙をたたえた目で。
      「恨んでいいか、リシィ、おまえの不在を」
      夫人が植えた桐という東洋の樹木が花を咲かせていた。
      「あの花は」
      「桐の花だそうです」
      東洋の木だと、エドワードは告げた。
      「綺麗だな」
      「東洋では高貴な植物して尊ばれていたそうですよ」
      その花を見つめながら、エドワードが続けた。
      「娘が生まれると庭に植え、その子が嫁ぐ時にはタンスにしたそうです、リース夫人にそう教わりました…」
      「娘が生まれると…」
      「アンが双子を産んだそうですよ」
      「女の子はあの二人の子、男の子は…あの子の細胞組織を使って生まれたと聞いたが」
      「ええ、でもあの子じゃない。あの子になるわけがない。まっさらな命として、ここにある…それだけです」
      一生、恨んでいいですか、と言った弟。なんて短い恨みの日々だったのか。
      「君は」
      「愚かな裸の王様はあの子じゃない…私の方です…それだけです…」
      握りこんだ手。

      崩れた城の、城主の部屋で
      待ち続ける人の瞳に
      映るのは、曇天の空…
      ロンドンの方向に向いたままの瞳を
      エドワードはついぞ知ることもない…。

      明鏡はすでにひび割れてない。それをエドワードは知らない。

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