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- 小さなメモリービット。機械に差し込んでみたのは、宇宙軍総裁の副官だった。リース家の居間での事だ。
「あ、トマス殿、そのデータは開いても…って遅いか」
「コーラス、いえ、これ」
「ユニゾンですね。男声の歌ですが、音程は同じ高さですから」
「なんて言ってるんですか」
「これ、解ったら、宗教学者になれますよ…」
神妙な顔して少年が言った。
「は」
「仏教は哲学的要素が強くて、その…教義を簡単には説明出来ないんですよ…」
「仏教…」
「古い宗教で、開祖は古代で八十歳を越えて亡くなったそうですから…えっと、衛生環境も良くない、疫病などが流行りやすいインドの人ですから…その、生きる苦しみ、生きる喜びについて沢山の教えを説いたとか」
「でも、これは」
「ああ、日本の古い寺院に伝わる音楽です。声明といいます。経文を唱えているんですよ。不断の行として名高い修二会の声明です」
「え」
「千年以上続いたとか。えとね、僕の生まれた年ですでに七百回目…で」
「は」
「一三五二年では六〇〇回目ですね」
「……この音楽はその頃からの」
「そうです。七五二年にはすでにあったんではないかと」
「…」
「僧侶しか参加してませんけれどね…このコーラス」
「なんていうか」
「口伝だったので、楽譜はないそうです」
「…覚えられるものなのですかね、いくら僧侶といえど」
「覚えなければ参加出来ないらしいです。これ、この短い詩の、僧侶の事ですよ」
お水取りや こおりの僧の沓の音…。
「こおり、ですか」
「冬から春に季節が変わるころとはいえ、夜は凍り付くような寒さでしょうね…」
画像を見せて、少年は微笑んでいた。
「この火の粉があったとしても…」
大松明が走っていく映像。
「これ、鎮魂のミサと同じ意味合いがあるんですよ、宗教行事で亡き魂のための鎮魂の行事」
「祭にしか見えませんね」
「火の祭に見えますけど、この松明の火で水を清めるんですよ…だから水の行事です」
「水…」
走り去る沓の音がした。続く声明を少年は聞いていた。
「いろんな地域の宗教、調べているんです…それ、研究して大学に残ろうと思ってるんです、僕」
そう彼は告げた。しかし、その少年は学士論文も仕上げたどうかもわからぬうちに没し、次に出会った彼は幼児で、何も覚えてはいなかった。
観世音菩薩に帰依し奉る…。そう書かれた冊子がリース家に残っていると言うが、トマスは目にしたことはない