山稜 その2
「ここが・・・あれ、薔薇の木だ」
「アルバローザ・・・うちの花・・・どうしてここに・・・」
「まっいいか、さて、ここじゃほじくり返されてる可能性あるなー・・・」
「シャベル貸して下さい、博士」
「何よ」
「ちょっとね・・・あ」
「豚」
「猪・・・」
「どう見ても豚、中国の東北地方にいる奴にそっくり・・・」
「変な事に詳しいですね」
「その肉美味なんだ」
「そっちかい、食い物か火山か・・・」
日にかざす猪のチャーム。
「この大きさならラトクリフかケイツビーの物の可能性高いな」
「ふーん・・・」
「いいこと思いついた」
「何」
「ネットオークションでリカーディアンに高く売りつけよう」
「ご当人様が何抜かす」
「生活費、足らないって知ってますか、博士」
「うそっ」
「締切破るからですよ、さっさと書き上げて下さい。おまんま食い上げでどーやって火山調べるおつもりですか」
「なるたけ頑張る」
「今月、定期預金崩してるって解ってますか」
「善処いたします、へーか」
くすくす笑う声が聞こえていた。女性の声。
「こんなところで漫才ですか」
「レディ・・・失礼ですが、お名前伺ってもよろしいでしょうか」
「え、ああ、アンジェラ・グリーと申します。作家ですの」
「取材ですか」
「ええ、お二人は」
「地質の調査です。ここじゃいいサンプルえられそうも無いので移動しようかと」
「やっぱ無理」
「発掘調査の痕跡見られますよ、これじゃ無理です」
「あっそ・・・」
「最近のアイスランドからのテフラなら、データありますよ、それで計れませんか、あとインドネシアからのもの」
「つまり・・・ここじゃダメか」
「自然の大地がこうも少ないと無理でしょう」
「さっきチャームがどうのこうのって」
女性がそう声をかけてきた。
「ああ、これ、大きめだし、造りもいいし、これならきっとリチャード三世の家臣でも近い立場の人間の物だと思われますからね」
「で、どうしようと」
「知らんぷりしてネットオークションにかけて一発・・・」
「私が買います」
「では、値段交渉しましょう」
「・・・…あのさ」
「あなたは黙っていて下さい」
「闇だよ」
「五百年前の落とし物なぞ何じゃらほいですよ、博士」
「・・・ワル」
「おまんま食い上げだけは嫌です」
「はいどーぞ、お願いいたしますです」
そして・・・。
「高い、もう少しプライスダウン」
「ネットにします」
「解ったわ、その言い値で買うわ」
「あのさあ・・・」
博士がそう言うが。
「何ですか」
「どーしてそう生活能力高いの、アンタ」
「あなたが火山バカだからでしょう」
「俺のせいなの」
「目の前で火山とあたしとどっちが大事なのって叫ばれて奥方に逃げられたあなた見ていれば、そうもなりますよ」
「・・・うそ」
「ホントです」
「あなた・・・誰なの・・・」
「何か」
「私の知り合いだったのよ、リチャード三世の遺骨見つけたの・・・顔を復元してみたの、その顔にそっくりよ」
「偶然でしょう」
「ウィンザーの教授がくれた写真・・・目、鼻、口の位置関係が・・・その遺骨と符合するのよ、同一人物でなければありえない」
「赤の他人ですよ」
「嘘よ」
「だとしても、五百年前の人間が生きている訳ないでしょう」
「どこから来たの」
「火山の・・・火口近くでこの博士に救助された遭難者ですよ、ただそれだけです」
「でも・・・」
「五百年前の人間が生きている訳ないでしょう」
「・・・納得して欲しいのね」
「ええ」
「解ったわ・・・このチャームは」
「おそらくは・・・リチャード・ラトクリフに贈与したものです、リチャード王が」
「あなたが、なのね」
「大きさと形状から見て・・・確かです、覚えてます、彼は戦死したときに落としたのだと・・・思います」
「それだけ聞ければいいわ、ごきげんよう、陛下」
「・・・そなたも、レディ」
突然変わった口調に博士が驚く。
「行きましょう、博士、あ、そうそう、振り込み先はこちらですけど・・・振り込み確認出来ない場合はお渡しは出来ませんが」
「今するわ」
スマホで彼女は操作して、振り込んだ。
「確認終了。大事にしてやってくれ、あいつの為にも」
「はい、陛下」
腰をかがめて彼女はそう言った。
「へーかー、やっぱ阿蘇ダメみたいー」
「あたりまえでしょっ、さっさと論文書けっ、アンタそれでも学者かよっ」
「・・・・・・ごきげんよう、陛下」
なんで、ここで漫才で終わるのよ、と彼女は思っていた。
「報告なんて出来ないわ」
彼女がそう呟いた。漫才していても、幸せそうに見えたから。

博士が探し出したアパート。二部屋ある家の一部屋。そこが彼の部屋だ。シェアハウスにしてはみみっちい下宿だが、博士は一人娘の養育費や仕送りで大学唐の給料はほとんど費やしていた。余裕があっても、それは全て研究に回してしまっていた。
「どした・・・」
うずくまっている彼を博士は黙って見つめていた。
「どうして・・・ここで生きているんだろう」
くぐもった声。泣き言を言うなんて。
「知っちゃったの」
「負けたのだから、取り扱いが粗雑なのは解ってます、でも・・・悔しいと言うのか、悲しいと言うのか解らない。どんな誹謗中傷があっても仕方がないのは解ってる・・・どうして、あの時、死んでしまわなかったんだろう」
「あのさ、あの時って」
「十二歳の時・・・」
「背骨の・・・」
頷いた。
「兄上が魔物だって言ってた・・・蔭で聞いてしまった・・・あの言葉さえなかったら、私は」
「簒奪はしなかったと」
「あの女の息子なんか」
「そっちか・・・他人が入ると兄弟ってダメになるってホントやなー」
「なんで生きているんだろう」
「あのさ、聖戦って知ってる」
「何、それは」
「ムスリムの過激派がそう言ってテロ起こすんだけどさ・・・神様のために死ぬのって神様喜ぶかな」
「・・・博士」
「かーちゃんの国でクリスチャン弾圧されてたくさん処刑された。でもさあ・・・そういう死に方、神様は嬉しいかなと思うと納得出来ないんだよね、俺、殉教ってのは嫌なんだよ」
「博士・・・」
「国に殉じるのも嫌だね、この人の為なら、というのなら解る。存在さえわかんない神様とか国家とかそういうのには殉じたくないなあ」
「博士は噴火に巻き込まれたら」
「それは運命って言うんだよ」
「神様ではなく」
「ハワイの火山の女神様がおいらが欲しいのならくれてやってもいいけど、娘が泣くからそれはしない。それじゃダメなのかな」
「人を愛せる人なんですね、博士は」
「そうだといいね」
彼に触れて、博士は顔色を変えた。
「ベッドに入って。熱があるよ」
「ああ、はい」
手を貸してベッドに入れる。
「なるべく早く回復してくんね」
「何故です」
「アンタの入れたコーヒーじゃないと目が覚めないし、朝飯上手くないんだ」
「ああ、いいですよ・・・」
「とりあえずは、おいらのコーヒーのためにいてくれない、そんなところで、どうよ」
弟を抱くように、腕に納め、博士は笑った。そして・・・
「忘れてた」
「何ですか」
「フランシーくん来ている」
「え」
「殺しそうな目で睨んでるよー」
「あははは」
「笑い事じゃないって。マジこわいー」
ラヴェルが溜息をついていた。
「博士」
「どうかした」
まだ腕の中の人は博士に身を預けているままだ。
「朝食・・・」
「ああ、支度するよ、この人頼むわ、言うまでもないと思うけどね」
そっと寝かせると博士は台所に向かった。

「これ何ですか」
「おかゆ。中華風。米の、だけど・・・鶏ガラで出汁とったやつ」
「博士が、ですか」
「うっさいよ、これでもにーちゃんだ、下は全部妹だけどな」
「妹・・・」
「うん、裕子、八重子、春子って言うんだ」
「ヒロコ」
「日本の天皇と同じ誕生日だからそう名付けたって。ヤエコは女優の名前。ハルコもそう。英語の名前はないよ、おいらのフルネームはな、アーノルド・直哉・ペイジっての。ナオヤというのは志賀直哉って文学者にちなんだの、まあ覚めないうちに食べてよ」
「ありがとう、博士」
「早く直さないとね・・・あのね、台所が悲惨なの」
「あ、やっぱり」
ラヴェルが苦笑していた。

そして、暫く後の事。
「講義終わりましたか、博士」
「いーだっ、なんでそう意地悪・・・これで今月はなんとかやれそうってわけかい」
「もちろん」
「でも・・・なんかありそーね」
「教科書の寄稿が残ってますよ、博士。小学生向きと中学生向き」
「へっ」
「それと高校生のものも」
「・・・・・ふえ」
「それが出来れば、原稿代が入ります」
「そこで冷静に預金残高見ないでくんない、へーか」
「・・・・・・下宿探しますか、この間の下宿は大家の都合で追い出されちゃったし」
「暫く無理か」
「そーゆーことです、それに」
「それに、何」
「背中が思わしくないです、博士」
「そ、そうか・・・」
「さっき病院行って来ましたが、再手術したほうがいいらしいですよ、背骨の事ですが」
「あららん、それで」
「右側を下にしないように、でも仰向け苦しいですね」
「そりゃまずいじゃん」
「入院して加療しましょっていわれましたけど」
「・・・うん、治療したほうがいいね・・・彎曲が始まりかけたところで治療したほうが良かったんだけど・・・」
「思春期の頃でしたよ」
「・・・…それってね、まあいいか、過ぎちゃった事だし・・・ところでやっぱ研究室に詰めっきりは、怒られちゃった・・・」
「だって家、慰謝料にしちゃったんでしょ」
「うん」
「キャンピングカーは整備に出しちゃったし・・・ホテルにも泊まれるほどお金ないし・・・」
「だよな」
「安下宿借りますか」
「・・・…やっぱり」
「五階屋根裏、エレベーターなしなら、かなり安価」
「・・・…経済観念発達させるつもりなかったんだけどな」
「無理でしょ、博士なら」
「何、それ」
「いいから、論文書けよ、原稿料さえ入れば、楽なんだから・・・ってまた笑い声がしている」
「え」
「ああ、いつぞやの教授さん」
「二人に客だよ」
「私、にも、ですか、博士の他にも」
「まあ、ミズ・グリー、どうぞ」
「げ」
あの女性だった。
「本当に研究室なのね」
「ええ、まあ、そのね」
部屋の片隅には生活道具。
「キャンピングカー整備中だからってここに生活用具持ち込むなって言ってるだろ」
「・・・下宿先探すつもりでしたけどね、この先の五階建て、屋根裏、バスは共同、トイレ付き、ワンルームでエレベーターなし」
「それは学生用だっ、教授の為のならあるんだぞ」
「部屋代払えるほど、稼いでくれないのですが」
「ちょっと待って、私にアレの」
「ああ、キャンピングカーの整備代金と資料に消えましたよ、それなら」
「・・・…うそ」
「日本の大学の人から資料送ってもらったんですけどね、それの送料が・・・あの国、活火山で、活動開始してもおかしくないのが百超えていて、その火山毎の土壌サンプルを提供してもらったらすごいことになっちゃって・・・まだ整理ついてなくて」
指さす方向には段ボールの箱が群れていた。
「この数っ」
「場所毎に違うものですからねー、つい」
ついって・・・数じゃない。
「研究って面白いですからねー、あ、ちょっと待っていて下さい、お茶入れます。博士―、マフィン焼けましたよ、おやつにしましょ」
「助手なのか小間使いなのかはたまた伴侶なのかって悩んじゃいそう」
「気持ちはわかります、レディ」
「ちょっと待て、なんでオーブンレンジまで」
「電子レンジ兼用ですよ、教授」
すかさず告げた言葉にかっくりくる。鼻歌交じりに支度して、彼はテーブルにティセットを置いた。
「冷蔵庫までっ」
「生活道具一式あるのね・・・」
冷蔵庫からジャムとクリームの瓶を取り出し、スプーンを二種類、持ち込んできた。
「どうぞ、博士、ほら、早く。お腹すいたって客前で愚痴らないでくださいよ」
「・・・・・なんて言うか」
「教授、誰かよこしてもらえませんか、この火山バカ、生活能力無いんですよ、一ヶ月ほど背中の治療で私、席外しますので」
「・・・…学生の誰かをよこすようにするよ」
彼がいないとなると・・・想像はしたくない。目も当てられないのは解っている。
「あら・・・恋人とかいらっしゃらないの、博士」
笑っている、爆笑する助手を博士が睨んでいる。
「逃げられました、女房に、ってそんなに笑うなっ」
「だって、無理」
「ふんっ」
「何でしょう・・・」
「ああ、簡単ですよ、レディ、火山と私どっちが大事なのって言われて、まともな返事返せなくて離婚ですから」
「あのねえ」
「そんなあほーな離婚劇、目の前で見せられたこっちの身にもなってくださいよ」
「・・・同情するわ」
「どーも」
にっこり。いいけど笑顔がチャーミングな人だ、とグリー女史は思っていた。
「私が締切に追われてなければお手伝いしても良かったけれど・・・編集者が怖いのよ」
「暖簾に腕押し、糠に釘、カエルのツラに小便なうちの博士とは違うンですね、レディ」
「あのねえ、ちっとは」
「お茶すんだら、教科書の原稿ですよ、博士。私は最初の箱の提供された土壌のチェックしますから」
「そっちがいいな」
「おあいにく様、火山のお話、私には書けませんよ、顕微鏡覗いて、成分分析してデータを出す・・・のが、ここのところの予定です」
何気ない仕草、ふとした表情、どう見ても身分の高い、教養のある人物に見える。細くて小柄だが、しっかりと鍛えてある肢体といい、やはり普通の人物には思えない。
「こんな暮らしでいいの」
「自分に出来る事はさほどあるとは思いませんが・・・博士に教わった事ならとりあえずは出来ますから・・・助手の生活も悪くはないですよ」
「そう・・・」
博士に向ける表情はどこか違って見えた。それが何なのか、彼女にはよく解らない。信頼、友情・・・愛情が見え隠れして目の前にある。ナプキンを渡す手、笑顔、辛辣な事言いながらも気にかけていると見える優しい視線。
「原案は出来ているんだ、見てくんない」
「はい」
先にお茶を済ませた彼がパソコンに向かった。そして、開いてある文書をチェックし始めていた。
「博士、これ、専門用語、多すぎ。コレじゃ小中学生には解りません。解説用語を付属するか、言い方変えて下さい」
「やっぱそう思う」
「思いますよ」
「つまり」
「書き直しです」
「高校生に転用は」
「出来ますけど、専門用語の説明を付属して下さい。普通の会話にはストロンボリ式もブルカノ式もプリニー式、ラハールもダメです」
「それ何」
「ほらね」
女史の言葉に溜息をつく人。
「なんでー」
「私達には普通ですけど、高校生には理解出来ませんよ」
「ふえー」
「高温ラハールと低温ラハールの解説、岩屑なだれ、火砕流、それから・・・」
「うん・・・それ無理だよね」
「解ってるなら書き直しして下さい」
「へいへい」
「で、小中学生向きのは・・・完全書き直しですね」
「よく解るね」
「ここに来たばかりの私には理解出来ない、それで想像出来ますから」
「そっか・・・」
「世間知らずの迷子でしたからね」
「やたらたくましいけどね」
「弱気になったら負けですよ」
「へ」
「身内で殺し合いしているバカ一族で生き抜くってそういう事ですから」
「あ、そ・・・」
辛辣。時々彼はそうなる。
「本当なら、博士」
「何」
「戦士にはなりたくはなかったですね・・・従兄殿の城に連れて行かれた時、騎士として色んな事させられましたけどね・・・貧血おこしてぶっ倒れるのがオチで正直言って部屋で大人しく本を読んでくらしていたかった」
「いや、それは無理だろ」
「アンとアンの母上がかばってくれなかったら、どうなっていたかと」
「あとあのフランシーくん」
「ああ、彼ね・・・博士は子供の頃何になりたかったですか」
「・・・あーそう言えば・・・漠然と学者と思ってたなー」
「なんで火山」
「ハワイでキラウェア見た時、はまっちゃった・・・その後、あのセントヘレンズの山体崩壊の大噴火の画像見てから、かな」
「あー、あの山・・・成層火山と言うんでしったけ」
「そう、それがぺっこーんっと・・・まあスゴイ噴火だったわけで」
「教授、どうかしましたか」
「いや・・・何でも・・・従兄殿っていったい」
「内緒です」
「その人って」
女史が聞いた。
「いい人でしたよ、私はとっても好きでした」
「じゃあ」
「兄上が悪いんです、そこだけは許せない。あんな女と結婚して無責任しておいて後のツケはこっち・・・何も考えないノーテンキ野郎だったことは否めない」
「それってさあ」
「公人に自由があると思う方が愚か。ましてあの時代の行政担当者に自由恋愛なんてとんでもない」
「・・・それじゃああなたは」
「わたしの結婚も政略です。幼なじみだったから違っただけ」
「政略・・・」
「彼女は私にはもったいない貴婦人でしたよ」
微笑んでそう言った。
「ウエストミンスターの彼女を葬った場所、触ってきました。墓碑も用意出来なかった事は悔いですけど・・・」
「若い女性の遺体なら内陣から見つかったわ。それがアン・ネヴィルなのかは解らない」
「息子の遺体もどこにあるか解らない、墓碑だけは残っていると聞いてます」
「あの白いちっちゃい子供の、アレ・・・」
「作ったばっかりの頃の形と随分違っちゃって実感なかった」
「それであっさりしてたんか」
「振り返っても恋しくはないですよ、もう過ぎた事です。今は・・・博士、アレ、分類して整理しないと。分析もまだの火山灰が・・・」
「それ言わんといて」
どさっと摘まれた段ボール。
「あの中に火山弾と火山礫と火山灰が・・・分析待っているというか・・・。あーそれと、そっちのケースの溶岩も」
「はー・・・観察には暫くダメ」
「データ待ってますよ、いつもの火山学会のメンバーが」
「じゃあ」
「背中の事で入る前にせめて三箱は片付けたい」
「三・・・でかいよ」
「仕方ないでしょ、欲しがったのはどなたです、博士」
その箱に近寄ると一箱だけ、机の横に置いた。
「プレパラートになっている物もありますが・・・整理はしてないみたいですよ」
「うそっ」
「ホントです」
顕微鏡の調節をし、一つ一つ覗いている。
「・・・ガラス質が随分とがっている・・・噴火は新しいですね、これ。どこの山・・・桜島か」
「あそこは・・・ちょっと除外」
「こっちは鳥居を埋めたという土壌の見本・・・」
「見に行きた・・・」
「予算、ありませんから我慢して下さい」
「この間の長かったからなあ」
「半年も粘れば当然ですよ」
「楽しそうね」
女史がそう告げた。
「そう見えますか」
「ええ」
「いい人に拾われたと思いますよ」
「こいつが、か」
教授の言葉に彼は笑っていた。
「ええ、そいつが、です」
データをパソコンに打ち込みながら、彼はまた顕微鏡を覗いていた。
「済みません、立て込んでいて、お話相手出来ません」
「いいよ、続けて」
教授がそう言った。パソコンと万年筆片手にノートにも書き付けれている。
「アナログ」
「こっちの方が楽の場合、ありますから」
「この人の字って写本みたいに綺麗なんだ、カリグラフィーの上等なのみたいな感じ。名前だってねえ」
「そうですね」
小さなメモにリチャードと書き記す。それを女史に渡した。
「私に渡すと筆跡鑑定するわよ」
「ご自由にどうぞ」
「信じない、と思います。五百年前の人物がこの世にいるわけがない」
「ならはあなたは・・・」
「それは、ここで決めます、自分で」
「それでいいの」
「いいと思いますよ」


一ヶ月間、その研究室は扉が開かれる事はなかった。博士も助手もいなかった。


「一人でやればいいのに」
「あんたがいないと寂しい」
「・・・博士、あんた、いくつ」
「四十は超えてる」
「いい大人が」
「いい大人でもダメな時はダメ」
ベッドの中の人は笑っていた。
「仕方のない人ですね」
背中の再手術を受け、リハビリの真っ最中だと言う人。
「片足のしびれ、取れないって、ホント」
「ええ、でも内臓疾患抱え込むよりは楽ですよ、ちょっと引きずるくらいなんでもない」
「痛まないんだ」
「軽減はしてますから」
「まるっきりじゃなく・・・」
「きるっきりは無理です、そういう身体だと・・・仕方ないですよ」
「そうやって諦めてきた」
「・・・そうかも知れませんね」
「でも、変だね、あんた幸せそうに見える」
「博士のおかげですよ」
「辛くないと言ったら嘘になる・・・。ホントはボズワース、見たくなかったんでしょ、あそこ、遺骨出たって聞いてる」
「私の部下は埋葬されなかった・・・」
「多分・・・正式ではなく野ざらしもいいところ」
「生きて見ていたらたまらない」
「かーちゃんの国の皇帝は敗戦国の皇帝で・・・戦で陣地が落とされる度に全滅した臣下の事、とても悲しんでいたって聞いた。戦の時が一番辛くて悲しかったって」
「博士」
「歌が流れたんだって、ラジオから、陣地を失う度毎に・・・玉砕のニュースを聞く度に」
「歌」
「海ゆかば、と言うの、もしも海に進軍するならば、水に浸かる屍、野山に進軍するならば、草むす屍、陛下の為ならば命など惜しくはない、後悔一つすることはないだろう・・・って意味の」
「喜べない・・・自分の為に死んでしまう人がいるなんて。その御方は」
「二度だけ怒ったってかーちゃんが言ってた。クーデターを起こして政府幹部を軍人が暗殺したときと敗戦の決定をもたついて決めかねた家臣たちを見かねて怒鳴ったって。それっきり怒ったことのない御方だったって。かーちゃんが教えてくれた、晩餐会の時、たこ糸切り忘れた肉料理が偶然その御方のところに運ばれたけど、ただ他の客人のところにこのような事はないだろうな、と確認しただけで料理人にはおとがめ無しだったとか」
「すさまじい人生ですね、博士」
「八十年は生きたよ、その御方。生物学者でさ、新種の生物見つけて、ラテン語の名前にその名を冠している生物、いっぱいいるんだってさ」
「それは」
「自然科学の分野では博士号は当然の行いなんだけど・・・彼は皇帝だから。君臨していた人だから・・・」
「どうかした、博士」
「すごく愛妻家だったって・・・」
「政略だったんでしょ」
「うん、今際の瀬戸際でも必ず妻はどうしているか、聞いたって話。良宮はいかがしておる・・・」
「ナガミヤ」
「皇后の呼び名。ホントの名前はナガコ様」
「そういう夫婦になりたかったんだ、博士」
「うん、失敗しちゃったけどね」
「まだやり直せますよ」
「彼女でなくては嫌なんだ、しかもあいつ再婚するんだって」
「博士」
「俺、ホントに泣きたいよ、もう。でもさあ」
「博士」
「なんだか知らないけど、いいことありそうな気がする」
「それでいいと思いますよ、良くなったらまた見に行きましょう、カムチャッカの研究者からメール届いているんでしょ」
「まあね・・・成層火山だらけでどれが噴火するかわかんねーの」
「その次の予定は」
「カルデラ、阿蘇の」
「まだ諦めてなかったんですか」
「もちろんっ」
「まあ、いいでしょう、付き合いますよ」
笑って言うと博士はその助手を抱き締めた。
「うん・・・助かる」

うん、助かる。それだけで、彼は博士のそばにいた。彼が本当は何者なのか、彼に出会った人は黙して語らず、彼は生涯博士の助手であり続けたと言う。結婚はしたのか、幸せな家庭を築いたのか、それは解らないが。


忠誠を第一に。そう書かれたモットーを博士はずっと持っていた。渡されたその文字の理由を聞くと彼は微笑んだと言う。

「兄上よりあなたの方がいい人だからですよ」と。


                 終わり