「質問が熱いよね・・・」
理智はそう言って苦笑していた。
「また声でなくなるなんて、ほんっと不便・・・」
そう日本語で愚痴る。仕方なく、全て日本語で通し続けた。グレーの瞳を持ち、不思議な顔立ちの青年が英語を一つも話さない。そして、そのまま、真ん中に座すと仕舞を始めた。
「えー・・・」
学生達が驚く。一般の見学客も驚いていた。謡の声、舞姿、踏みしめる足拍子。掲げる扇、不思議な歩き方をする足の動き。
「ありがとうございました、質問はありますか」
息を整えてからそう言い出した。舞が終わってすぐの理智は肩で息をしていた。汗も噴き出していた。
「あの、そんなにきつい物なのですか」
「・・・人間の筋肉は動くように出来ています。私達の舞はバレエなどと違って動きを抑制するんです。
ブレーキをかけたまま、無理に動けば、エンジンに負担がかかりますよね、それと同じです。動きや感情を一度抑え込んでから、舞うんです。
ですから・・・身体には訓練しないとかなりの負担がかかります。舞台が終わるとかなり減量することになりますよ、言葉も難しいし・・・」
「それはどうやったら出来ますか」
「では、やってみましょう」
立ち方を教え、歩き方を教えてみた。
「太ももと腰にかなり効くはずです」
「・・・ぷるぷるしてる」
「もっと強い力で押さえ込んで歩くんです。たとえば・・・この一歩で今の京都から東京までの距離を表すこともありますから、軽々しい歩き方は出来ません」
一歩歩いてそう言ってみた。一同を見回すとみな驚いていた。
「一歩にも意味を持たせますから」
通訳を通して説明していた。
「理智さん、そろそろ」
「あ、はい」
一度下がり、飲み物を口にした。休まないといくら何でもきつかった。
「ひとつひとつの仕草が違って見える・・・不思議ね」
女学生がそう呟いていた。
「まるで宇宙人だ」
不思議な横顔の、遠い国の役者たち。黒い着物に縞模様の袴。それに独特の扇。
理智が下がり、他流のシテ方が今度は鬘物の仕舞を行った。その人はすっと下がると部屋から静かに出ていった。年齢的な問題もある。理智が代理になって質問を受け付けた。
「今の舞は女性のものです。恋した男を待ち続ける女の舞です」
扇の動かし方、泣き方、全て行動には決まった型があると説明する。それも集まった若者達にやらせてみた。
「違いますよ、もっとゆっくり」
上げ扇をしてみせる。
「早すぎます、もっとゆっくり、そんな上まで掲げる必要はありません。この位置で止めます。そうです」
セシリィは静かに見ていた。理智の違った顔が見る事が出来た。それに満足してセシリィは退席していった。
「もういいわ・・・あの子は大丈夫よ」
涙が出てきた。それをそっと拭うと彼女はその場所から自宅へ戻っていった。
「あの悠紀子さん、母は」
「もう帰りました。どこか満足そうなお顔で」
「そうですか・・・」
全て終わって、理智は部屋に戻って行った。部屋付きの電話が鳴り、受話器を取った。
「はい、あ、相談事、ですか。ではすぐ伺います」
ホテルの、師匠と同輩の人の部屋へ向かった。
「錦木です、先生」
「どうぞ」
ドアを開けてくれたのは若手の人達だった。シテ方の人達がほとんど集まっていた。居間付きの部屋だったため、多人数がいてもさほど狭くは感じられない。まだみんな着替えていなかった。
「困った事が起きてな、森君、お父様が入院してしまい、社中の事があって、こちらに戻れないそうだ。エジンバラの公演なんだが・・・」
「エジンバラの公演・・・というと・・・羽衣」
「そうだ、羽衣のシテ方をつとめるはずの・・・斉ちゃんがなー・・・」
「何かあったんですか」
「足痛めて出来なくなった」
「はい?」
「それでシテをお願いしたいのだが・・・」
「私に、ですか。私に合う面があるのでしょうか・・・森さんと私では衣装は合いますが・・・面は、中将や翁の面も実はその合っているとは疑問だったのですが、生意気かと思われますでしょうけれど」
「小面・増女は何種類も持参してきた。中将は合っていたよ、森君と君は雰囲気が似ているからな」
「でも、その・・・面を見ていいですか」
「そうだな、そちらが先だな、出してみなさい」
弟子に指示する。
「はい。ではこちらで」
ずらっと十種類は並んでいた。
「用意、いいですね」
「切羽詰まってますからね」
「はあ・・・」
小面の一つに理智はふと視線を送った。気になる面だった。
「あててみてくれ、それを」
「はい、失礼いたします」
一礼して、面をあててみた。
「おー・・・それでいいだろう」
先輩筋のその人がそう言った。
「それでお願いできないだろうか・・・」
「・・・私でよければ」
師匠との事もある。断ることは出来なかった。でも、羽衣は今の理智には重かった。重すぎるほど重かった。
「エジンバラにはいつ」
「明後日の朝に」
「解りました、では皆々様、よろしくお願いいたします」
苦しい、そう思う。
翌日の朝、理智はいつもの装束、黒い紋付に袴を身につけた。稽古用に借りた古い唐織を肩にかけ、ホテルから出て行った。
ヨークミンスター。その聖堂前の花売りから白薔薇を買おうとした。花売りはお代はいらない、と言う。
理智は受け取って欲しいと懇願し、お代の一割程度渡した。どうしても受け取りそうもなかったので、渋々決めた金額だ。
「ありがとう」
そう言って聖堂の中に入る。司教がいた。理智を見ると即座に上段の霊廟に案内してくれた。その霊廟の入り口で理智は雪駄を脱いで、そろえた。
白い足袋のまま、白薔薇の段に上がる。携えていた白薔薇を墓碑の上に置いた。そして唐織を外し、隅に置いてから墓碑のそばに座り込んだ。墓碑に寄りかかりそうになりながら、口を開いた。
「司教様」
手を組んで理智は司教に話しかけた。
「はい」
「あなたにも聞いて欲しい事があるのです。リチャード王に伺うつもりでここに来たのですが」
「何でしょう」
「私は異教徒です。キリスト教を信じてはいません。それはおわかりかと思いますが・・・」
「構いませんよ、宗教の事ではないのでしょう」
「はい・・・次の舞台で私は天女・・・天国の女人を演じることになってます」
「ほう・・・」
「純真無垢で穢れなき乙女なのです。人を疑うことも知らない・・・」
「難しい役柄ですね」
「心に迷いがあります。そして・・・自分の心に闇の一面があることが解るんです」
「闇の一面、ですか」
「兄の妻と甥が殺されました」
司教はぎよっとする。
「いやしい私は彼女の死と甥の死を喜んでしまったんです、結城の家のために。あの女の息がかかっていない甥なら許せると思っている私がここにいるんです。
あの女が結城の家を食いつぶすなら・・・私が手にかけてもいいと思っていた・・・そんなドス黒い心を抱えたまま、天女を演じていいのか、解らない」
司教は沈黙し、続きを促した。
「義理の姉は私のすぐ上の兄夫妻を間接的に殺したような女です。復讐を誓いそうになる度に・・・穢れたら二度と舞えない・・・そう思って食い止めてきた。
そうじれている矢先に次兄の妻の一族が義理の姉と甥を殺してしまった・・・それを喜んでいるんです、そんな心のまま、天女など・・・出来るはずがありません」
「人は諸刃の剣です」
「諸刃の剣・・・」
「リチャード王は甥殺しをしたと思いますか」
「いいえ・・・思いません」
「彼は正統な王で、寛大でとてもいい人でした。ヨークの人間は昔からそう信じてきました」
「私は彼とは違いますよ、彼よりも穢れているかも知れない」
「違いませんよ、あなたも人間です。むしろ暗黒面を知っているからこそ、天女になれると思います。きっとこの王、三世陛下もそう思われます、あなたは人間ですから・・・きっと・・・天女になれると私は信じます」
「お導き感謝します。ありがとうございました」
理智は墓碑にキスをした。
「母方の祖父母が昔聞いた事があるそうです、世迷い事だと彼らは笑い飛ばしたそうですが・・・祖父は幼い頃、誰かに言われたと」
「は・・・」
「行方不明になったリチャード王の三人目の庶子の血を受け継いでいるらしいとか」
「・・・それは」
「噂で確実な事は誰も知りません。本当なのかも誰も知らない。私はそんな馬鹿な事あるわけがないと思います。甥か姪の血は入ってるそうですけど・・」
「ヨーク朝の末裔にあたると」
「母はそうです。でも私は日本人です。この国の人間ではありませんし、この国の人間になるつもりはありません」
「そうでしたか」
「人は誰でも迷う、人は誰でも黒い一面を持つ・・・それだけ学べれば良いのかも知れません・・・司教様」
「はい」
「懺悔というのですか、聞いていただき、ありがとうございました。陛下、あなたにも」
跪き、最敬礼を送る。
「聞き流して下さいね、天女の舞の曲です」
正座して理智は扇子を取り出し、羽衣の一節を謡った。
東遊の 数々に 東遊の 数々に
その名も月の 色人は
三五夜中の 空にまた
満願真如の 影となり
御願円満 国土成就
七宝充満の 宝を降らし
国土にこれを 施し給ふ
さるほどに 時移つて 天の羽衣
浦風にたなびきたなびく
三保の松原 浮島が雲の
愛鷹山や 富士の高嶺
かすかになりて
天つ御空の 霞に紛れて 失せにけり
「精一杯、つとめさせて頂きます」
理智は日本の、茶道でも使われる「真」のお辞儀を墓碑に向かってした。それは片手ずつ手をつき、ゆっくりと奥深くお辞儀をする最大の敬意をもって行われるものだ。
その下に「行」、軽いお辞儀に「草」と呼ばれる物がある。司教は戸惑っていたが、最敬礼をしていた。
「素晴らしい・・・お声だ」
「ありがとうございます」
唐織を肩にかけると雪駄を履き、理智は聖堂から去っていった。
「噂や世迷い事ではないだろうな、真の御子孫・・・に間違いない」
そう司教が呟いた事を理智は知らない。来た時とは違い、理智は顔をあげ、堂々とした歩き方で去っていった。
それは貴人の品格を備えてもいた。その姿を見た市民達は呆然と理智を見つめ、会釈したり、中には片足を引いて王族に接するかのように振る舞う女性さえいた。高ぶった心のせいか、その様に彼は気付かないでいた。
「笑って下さらないかしら」
「無理だと思いますよ、相当たかぶっていらっしゃいますから、あの御方は」
司教がそう言った。
「舞台、見ましたの。不思議なお話でした」
花に宿る武人の魂の・・・話。
「次は天女、天の国に住む穢れなき乙女を演じるそうですよ」
「見てみたいわ」
「どうも、この町ではない様子ですが」
「まあ、残念」
天女。墓碑に眠る白薔薇の王はその言葉を聞いていた。
いや疑ひは人間にあり、天には偽りなきものを・・・
「疑うのは人間、天の者は嘘偽りを口にはしない・・・」
鏡の中の人がそれを言う。理智はそれを穏やかな目で見ていた。
「着替えて・・・土産でも買いに行くか」
理智はそう言って、紋付などを脱ぎ、洋服になった。そしてヨークの街中へ出かけていった。ヨークの城壁を見る。古い城壁だ。
リチャード三世が修繕の費用をグロスター公時代に出したと言う。だが、その後修理をしなければ、崩れるばかりだ。
ミドラムの城などが良い例だ。奈良にある古い神社仏閣の一番古いという法隆寺は一千二百年近く経過しているが、変わらずそこにあり、変わらず太子への敬愛がある。
形ある物はいつか滅する。それは解っていた。けれど、残っている城壁にリチャードへの敬愛が残っている。ここはあの王にとって幸せな土地だ。理智はそう思ってホテルへと戻った。
「不思議なものですねー、よくお一人で出かけられるものだ」
若手の一人がそう言ってホテルのロビーにいた。
「ここは・・・そういえば、リチャード三世の」
「ああ、理智さんの見ましたよ」
「それは」
「それを使って演技についてエジンバラで講義しないか、と言う話があるんですよ、そのためにその時の衣装、取材関係の人に持ってきてもらいましたから」
「羽衣の後にですか、衣装・・・ああ、確かに衣装の力を使ったのは認めますけど」
「舞台の翌日に、ですよ」
「・・・ワークショップですよね。私を前面に出すのはどうしてですか」
「・・・先生がもっと引っ込んだところで理智さんを使ったら、きっと隙を見て逃げ出すに違いない、と言い出したからです」
「それ」
「理智さん、解ってるはずですよ」
「う・・・確かに」
「ある意味便利な人ですよね」
「そうは言っても・・・他流ですし」
「海外公演では当たり前でしょ」
「結城の家のこと、きっと先生、いえ父は考えさせたくないのですね」
「あなたの為ですよ。結城の事はとにかく、これからの為にも、地固めをしておくべきだと六郎先生、おっしゃってましたから」
「かないませんね・・・結城の事よりこれから先、錦木六郎の名跡を継がなければならないのは、選んだ事とは言え、僕の人生ですし」
「選んだ、ですか」
「ええ、選んだ道です。選ぶことが出来たと言う事は幸運だと思います。その、あなたの様にそう言った家に生まれなかった事・・・」
「生まれた家でも選びますよ、僕はやりたいからやってるんです。同じですよ、変わらない」
「・・・変わらない・・・エジンバラの講義、やってみます」
「お願いしますね」
彼と連れだってホテルの奥へと入って行った。途中で別の若手が声をかけてきた。
「荷物まとめて置けって。バスの時間決まったから」
「ああ、はい」
移動の為の支度をしに部屋へとみな戻っていた。
その後、すぐエジンバラへ移動した。移動した先のホテルの一室で理智は装束の様子を見ていた。
「この白、ですか」
「ええ、白ですね」
「難しいんですよね・・・」
「理智さんなら大丈夫ですよ」
「森さんは」
「そりゃもう泣いてましたよ、この色はねえ・・・」
「僕も泣きたいです」
「ははは・・・」
長絹と呼ばれる装束だ。縫箔腰巻の色もそれに合わせてある。
「いつもならもっと色があるものを選びますよ、先生は」
「でしょうね、理智さん、思ったよりも派手な物似合いますから」
「でも、今回は」
「仕方ないんじゃないですか。六郎先生もいいとおっしゃったそうですよ、一応、写真撮ってメールに添付して御覧にいれたのですが」
「先生・・・ひどっ・・・」
僕は舞が下手ですーと理智がぼやく。
「嘘ばっかり」
「自信ないのにー・・・」
それには若手の仲間達が笑う。横で師匠筋の人達も苦笑している。
「冠の方はどうだろう、森君と頭の大きさが」
「ああ、それ、うっかりしていました、理智さん、見てみましょう」
天冠を取り出し、調整する。下がる金箔の装飾を確認すると右側のものが一つ、取れかけていた。
「ここ、危ないみたいですよ」
「ああ、ちゃんとくるんだのにー・・・」
手芸用のペンチを使って直すしかない。ビーズ細工にはまっているという鼓方の人が直してくれた。
「器用ですね・・・」
「まあまあ、気にしない気にしない」
和やかに過ごす本番前。ヨークミンスターでの出逢いに理智は感謝していた。
続く
鉄輪(かなわ)その5