一尺二寸の雪
 「とーたん、かーたん、いなーよ」
三歳になる娘・サダエの声にケイキチは固まった。最新型のラジオは東京市全域に戒厳令をしくと放送している。
 「どどどどこへ行ったんだー、キシコ、キシコはいるのか」
 「旦那さん、キシコ嬢ちゃんなら俺の背中にいるっす」
イチドンと呼ばれる丁稚の少年が言う。確かに彼の背中には赤ん坊がいた。
 「ハルヒサはいるな、マスヨ、マサコ、ヨシコ・・・いるな、モヨーっ、どこ行ったーーーっ」
珍しく慌てている。こんな父親の姿には子ども達は驚いてどうしたらいいのか、わからないらしく戸惑っている。
 「かーたん、どこ」
サダエという先ほどの娘がもう一度言う。
 「お買い物行くって言ったの、お父さん」
長女・マサコの言葉にケイキチは青ざめていた。
 「このご時勢にか・・・あいつの太っ腹にもほどがあるな・・・」
溜息をついた。ひどい雪だ。こんな中に買い物か。そして・・・


 「大変申し訳ありませんでした」
ケイキチは巡査に頭を下げた。疲れた顔をして妻・モヨがその巡査の横にいる。買い物籠には何も入っておらず、雪にまみれたストールがモヨの肩に掛かっている。
 「いやあ、奥さん見かけた時は肝が冷えましたよ、とにかく良かった。暫くこの事態が続きます。外出は避けて下さい、というより絶対外出はなりませんから。戒厳令というのはそういう事です」
 「申し訳ありません、お手数かけまして」
 「いいえー馴染みのところですからねーここは」
この巡査には養う人間が多く、警察からの給料では間に合わなくなり、質草片手にこの質屋に駆け込んでいたのであった。 質屋を営むからにはこの家は割合裕福と言えた。モヨは時々銀座に出かけており、錦紗の着物、羽織を何枚か持っている。子ども達全員七歳のお祝いを正絹の上等な着物で祝ったくらいである。この時には上の娘三人だけがそれを済ませ、マスヨと呼ばれる娘だけ、三歳のお祝いをしたのもついこの間の事の様だった。マスヨが生まれたとき、妻・モヨが厄年に当たるため、男子だったら養子に出す習慣を行うはずだった。が、娘だったと言う事で彼女はケイキチ・モヨ夫婦の子どもとして養育されることになった。そのため、マスヨだけ三歳の祝い着をあしらえたのだ。厄年の子どもで男子は家を滅ぼし、女子は家を富ませるという迷信があったためだ。 質屋夫婦には六人の子どもがいる。本当は七人だったが、赤子の時亡くなった娘、エイコがいた。上からマサコ、ヨシコ、その下がエイコ、マスヨ、ハルヒサ、サダエ、キシコ。ほとんど年子に近く、この子ども達の年齢差は当時としてはあまりない方だ。 巡査が帰り、モヨは珍しく穏やかな人柄という評判のケイキチの怒鳴り声を聞く羽目になった。


  いつから降り出したのか、雪はやまず、子ども達が騒いでいた。
 「どのくらい積もったのかしら」
母親の和裁用の長尺を手にヨシコが庭に降りる。
 「気をつけてね」
腕にまだ幼い子を抱いてモヨが声をかけた。庭先用の下駄を引っかけ、持っていた長尺をさくっと雪の中へヨシコが突き立てた。
 「一尺・・・越えたわね」
溜息をつく。雪かきをしなければ、きっとお客さん大変と思うはずなのだが・・・戒厳令下、そんな事は許されない。学校は当然の様に休校となり、小学校高学年の娘達も家にいる。庭先にちょっと降りるだけが関の山だ。それ以上の外出は一切禁止なのだ。
 「赤坂の方で何があったのかしらね」
何も知らない。何も解らない。この質屋があるところは町屋というところだ。荒川区町屋3丁目1300番台の一軒家だ。第五峡田(はけた)小学校前、それがこの質屋の場所だった。
 質屋の店の玄関脇には観音竹の植木鉢があり、店の奥は倉が繋がっている。倉の反対側には家族と丁稚の少年二人が住まう住まいがあった。その住まいに面して小さな庭があった。この家には当時としては裕福な家しか持てない自前の風呂があった。台所も広く、使い勝手が良かった。ケイキチは質屋の主としては人が好すぎる側面があり、それを妻・モヨが補っていた。
 ケイキチのお人好し加減は、この質屋は別名・小さな動物園と呼ばれ、近所でも評判だった事でも解る。質草でやってきた動物たちがいたせいである。誰も元ペットたちの質草など引き取らないため、そのままこの質屋に落ち着いていた。庭にはシェパード、座敷にはプードル、鳥かごには文鳥とリス、そして小さな猿までいる。えさ代も馬鹿にはならないが、子ども達が喜ぶので、そのまま彼らは飼われ続けていた。
 そんな質屋の夫婦の前に突然、軍事クーデター、テロ事件が発生したのだ。発生したと行っても赤坂あたりでは遠く、山手線や路線電車を乗り継がなくては到着できない距離だ。だから実感はなかった。商店は全て閉まり、市街地には軍人と警察官が行き交い、市民達の姿はない。もっともあまりに降り続いた雪のため、動くつもりもなかった。結局、もう一度計り直して見たところ、雪の深さは一尺二寸に達していた。一寸がおよそ3.8センチだから四十五センチ近く雪が積もった事になる。これは言うなれば異常気象とも言えた。
 そんな時に夕飯の買い出しにモヨは出かけたのだ。質屋の事、部屋の掃除、子ども達の世話と立ち働いていた彼女には戒厳令の事は何一つ解っていなかったのだ。そして・・・


 「あら巡査さん」
 「何やってるんですか、奥さん・・・こんな時に・・・」
 「お買い物よ、夕飯の。でもみんなお店しまっているの、どうしたのかしら」
 「ラジオ聞かなかったんですか」
 「ええ・・・」
 「お送りしますから、帰りましょう」
穏やかな巡査の顔が一際怖い。
 「このまま素直に帰らないとなると、警察に来て頂くというより逮捕します」
 「・・・帰ります、帰らせて下さい、私には子どもが」
 「ええ、だからお送りしますよ」
 「はい、すみません」
逮捕なんておよそ耳にした事のない言葉だ。しかもよりによって自分の身の上に降りかかるなんて。ストールをただし、モヨは注意深く雪の中を歩き始めた。すぐ横を歩く巡査はいつになく厳しい顔をしている。たまに通りすがりに軍人、警察官に尋問されたが、巡査が代わりに答えてくれた。そして彼らは事態を理解出来ない庶民の姿に最初、驚き、そして質屋の女将さんに同情し、無事に帰れるよう取りはからってくれた。いつもの自宅の門が見えた。巡査はそのまま、門を通り、質屋の玄関から声をかけた。

慌てふためいた質屋の主人の姿に巡査はほっとした声を漏らした。庶民の暮らしを守れたと思ったのかは彼の顔からはうかがい知れない。だが、馴染みの質屋の女将さんを逮捕など、彼には出来ない相談だ。彼女には政治的作為などおよそない。大勢いる子ども達と夫の酒の肴を買いに出かけただけなのだ。それが罪な訳はないたろう、彼はそう思った。

  二月二十八日になって決起部隊は投降し、東京は静かになった。が、戒厳令は七月まで続いた。新聞に載っていたのは殺害された政府要人の名前。大蔵大臣、教育総監ら名だたる人の命が失われていた。質屋の主人ケイキチはこれからどうなるのだろうと不安に思った。ラジオから聞こえた投稿を呼びかける音声には・・・天皇の怒りの文言が差し込まれていた。庶民には知られていないが、昭和天皇は大人しい穏やかな人柄で知られる学者肌の人だ。その人が怒りの感情を示したのはこのときと終戦のときだけであったと言う。

 戦争は激しさを増し、質屋一家はケイキチの故郷へ疎開し、二度と町屋には戻らなかった。マスヨという娘が思いきった行動に出て、美容師となり、群馬の地方都市で開業し、妹のサダエもそれに習った。この二人がケイキチ夫婦の面倒を終生見た。

  モヨはサダエの娘、孫娘に語って聞かせる、あの時、一尺二寸くらい雪が降ってね・・・と。孫娘は一尺二寸ってどのくらいなのと聞いてモヨを困らせた。この孫娘は後々和裁を習い、初めてそのときの雪の深さを知った。二尺差しのその場所に指で触れて、すごいわ、と呟く。モヨの弟は戦死し、海軍を退役してたはずの弟も応召され、戦艦の甲板で被弾し、大けがを負って復員した。質屋は空襲で丸焼けになり、近所の人々が倉なら大丈夫だろうと入れておいたミシンも焼夷弾の直撃を受けて破壊された。

 ささやかな暮らしを営んでいた質屋の夫婦にも戦争の暗い影がさし、東京で築いた全てを失う羽目になった。質屋で飼われていた動物たちは空襲で死んでしまった。シェパードは軍に出され、プードル以下小動物達はみなあの質屋の一室で最後を迎えた。サダエは今も動物を飼おうとは思わないという。何かあっても助けてあげられないからだ、と。戦争が終わったとき、彼女は思春期の始まり頃だった。思わぬ傷を少女の心に残し、軍部主体の政治体制酢は終わった。それが始まったのは、二月二十六日、一尺二寸の雪だった。

 「とーたん、かーたん、いなーよ」
舌足らずの声で告げた言葉とパニック状態の父親。一尺二寸の雪と決起部隊と・・・遠くの物音が静かに庶民の暮らしに暗い戦争の影を落としつつあった。それを祖母・モヨがどの程度解っていたのか、私は知らない。私はサダエの娘であることをここに明記しておく。                      終わり