碧空2
-
空港近くのホテルの一室。銀時は落ち込んでいた。
「便が取れなかったんだ、我慢しろ」
「んなこと言ったってえ…」
多串君と一緒の部屋なんて。
「ダブルの方が良かったか?」
「いやでーすっ」
「なら我慢しろ、さっさと風呂入ってこいよ、下着は買ってあるから」
どうせ似たようなサイズだろと、渡された新品の下着。
「あのさ」
「トレーナーの上下で我慢しろ」
「うへー…」
臭いんだよ、その服、と土方が言う。仕方なくビニールに着ていた服をまとめて放り込み、貸してもらった風呂敷に包んだ。風呂はユニットバスで暖まるも何もない。ただ、汗を流すだけだ。傷は諦めた。縫うような傷ではないが、しみた。
「見せろ」
意外と土方は親切に手当してくれた。
「いいなー…自分ちよりクッションいいでやんの」
「そりゃおまえんちのせんべいに比べりゃ安ホテルでも天国だろうよ」
もっともうちの布団も変わらないけどよ、と土方は呟く。テレビを何気なくリモコンでつけてみた土方は意外なニュースに溜息をついた。札幌の空港が管制トラブルにより閉鎖されているという。それで、携帯から鉄道への乗り換えを申し込んだ。江戸までのチケットは途切れ途切れながら手に入った。
「どした」
「空港閉鎖くらった」
「ありま、テロ?」
「違う、マシントラブルだそうだ。管制塔のコンピューターがトラブったらしい」
「うへー…」
陸路で戻るとなると、時間がかかる。ここから本州までは船、青森からは特急、それも盛岡あたりで、途切れ、盛岡からは福島、福島から江戸と言った具合に途切れ途切れになっている。高速の鉄路、言うなれば新幹線もあるが、その予約は出来なかった。新しく増築されたばかりの新幹線は人気があり、とてもじゃないが、利用は出来なかった。
「新幹線」
「満席でござーい」
「くそー、折角のチャンス」
「残念だったな、万事屋」
その先はいつもなら、言うのだが、狭いホテルの一室でドンパチやらかすつもりは土方にはなかった。
「仕方ねーか」
ホテルのレストランで夕食。土方はマヨネーズを使わなかった。
「忘れたの」
「ああ」
隊の上着とベストは着ていない。
「制服」
「ここじゃまずい」
見回すと、雰囲気が違う。持ってきたのか、普通のジャケットをひっかけていた。銀時はトレーナーの上下だったが、カジュアルなタイプのホテルのせいか、何も言われなかった。和定食を頼み、酒は取らなかった。
「いちおー職務中だからな」
「あっそ」
「容疑者護送中ってことになっている」
「うえ…」
「そうしておけば、請求書、こねえぞ、万事屋」
「まさか、ここの宿泊代とか、運賃とか…」
「ふつーだったらよこせ、と言う」
「うー…背に腹はかえられねーかー」
「だから我慢しろ」
好意だろう、きっと。そう銀時は思った。
「近藤さんも総悟も意地が悪いよな。まったく」
「へ」
「土方さん、いってらっしゃい、だとよ」
「…ほんとだ」
近親憎悪みたいな間柄なのに、同行させるなんて。北海道らしい海の幸が沢山盛り込まれた夕食だったが。あまりおいしいものとは互いには思えなかったようだった。大人しく、部屋で寝る。久しぶりの普通の布団。銀時はあっさりと寝入ってしまった。翌朝、朝飯を取ると、二人は駅に向かい、そのまま列車に乗り込んだ。函館行きの列車。
「いかそうめん…」
「おまえなあ」
「せっかくなのにー」
「温泉もイカもぜーんぶ諦めろ」
函館から青森行きの船。その甲板での事。
「で、どうしたよ、高杉」
「あー、あいつは逃げちまったわ」
「そうか」
土方は聞かない。過去が怪しいと言われても、何故か聞かなかった。
「坂本だっけ、宇宙に行ってる変態」
「辰馬がどーしたよ」
「一緒に来ないかと昔誘われた」
「え」
「そいつは全部、話していった。仲間の事とか。ただ、名前の覚え方が雑というか、いい加減というか…」
「あっそ」
「金時ってのは、おまえの事だろう」
「やろー…」
「ヅラにしんちゃん、だからなあ、あいつ」
「あっそ」
相変わらず力の抜ける奴だ。
「まあ、抜け目のない男なのは確かだが、ちょっと違うと思って、行かなかった」
「ふーん」
近藤とはもう知り合っていたのだろう。そのせいだ、銀時はそう思う。
「時々、行ってれば良かったかもと思う時もある」
「なんで…」
「あいつの薬…とか医者とか」
土方のただ一人の人。
「でも、それは」
「あいつが反対するだろうな、きっと」
「あ、そーいうことね」
ミツバという名前の、人。土方の生き方を変える事にきっと同意などするわけがない。
「まあ、後悔するのも人間ってことなのかも知れんが」
人間ね。鬼の副長と呼ばれても、彼は優しい人だ。それは銀時も知っている。
「おまえも曲がらないんだな」
意味が一瞬、解らなかった。青森の駅から特急に乗る。駅弁を手渡され、銀時はああ、と思った。
「時間、かかるぞ、食っておけ」
「そうだねー」
甘味はついていない。が、彼もマヨネーズはない。お互い我慢か、と思った。函館、青森の間の船の甲板の上でしか、土方は話をしなかった。報告書を読むか、難しい法律の本を読むか、していた。アンダーラインの引かれた本。盗み見するとそれは警察関係者として当たり前に知らなければならない法律の本だった。途中の駅で銀時に文庫本を買ってくれた。お菓子もついていた。文庫本は純文学の本で、しかも海外のものだった。
「いくら読んでも、猥褻になるとは思えん」
そう言って土方は苦笑している。
「あっそー、多串君、やはり嫌味ったらしい」
チャタレイ夫人の恋人と題された本だ。翻訳した作家が検挙され、猥褻と扱われたが、結局うやむやになったものだ。
「戦争に行って不能ねえ」
解らないでもない事情。が、妻を満足させられず、いらだちだけをぶつけた彼は妻に捨てられ、よりにもよって妻は使用人の男と夫婦になってしまったという話だ。
「姦通罪ってのはねえんだ」
「ねえな」
「そっかー」
「まあ、あった頃はちょっとな」
「・・・人妻にも、かよ」
「若かったから、というのと興味津々というのかね」
「ろくでなし」
「そういうおまえはどうなんだよ」
それは、言えません。もてなかった訳じゃない。かなりアブノーマルな事もした。その自覚はある。土方が買ってくれたそれは新訳で、今までカットされてきた描写もしっかり掲載されていたが、ただの恋愛小説としか思えなかった。土方は時々、薬を飲んでいた。聞こうと思ったが、聞けなかった。薬のパックに頭痛薬とあった。何か嫌な予感がした。けれど、何も言えなかった。
福島。薬は効かなかったらしい。激しい頭痛。銀時は車両の中を走り回り、医者を捜したが、いなかった。仕方なく、列車を降り、福島の病院に運び込んだ。尋常ではない苦しみに驚いたが、冷静に対処するしかない。
「このまま、うちの車で江戸までお連れ致します」
落ち着いたら、そうしたいと医者が言う。
「え、あの」
「ここで手当いたしましても…施設がその」
江戸の病院の方がマシだと言う。
「ご家族の方ですか」
「いいえ」
「ご友人」
「そうなります」
「あまりよくない病です」
「あの」
「こちらへ」
医者の個室へと銀時は招かれた。
「江戸の病院で治療出来るか、どうか…」
「どういう…」
「脳幹に腫瘍があります」
「腫瘍って」
「悪性です。お気の毒ですが…」
聞きたくなかった、そう思った。
「本人には」
「告げようかと思っています」
告げる。もう数ヶ月しか生きられない、と。
「あの」
「どうか」
「いえ、いいです」
立ち上がって病室へ銀時は向かった。
「よう」
発作が収まったのか、土方は静に横たわっていただけだった。
「迷惑かけたな」
「いんや…ただ、そのな、頭痛、いつから」
「三ヶ月くらい前からかな」
「医者…」
「行けば良かったのか」
「行っても間にあわねえよ…」
「そうか」
覚悟していたのか、静に土方は溜息をついた。
「悪い病気じゃないか、とずっと思っていた」
「なんで」
「目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったりもした。頭痛と関係していると思っていた」
「あのさ…」
「近藤さんには自分で言う」
「沖田君には」
「ああ、あいつには…頼む」
それはないよ、と言いかけて、銀時はやめた。知っている。姉の事があるせいか、沖田は土方に自分の想いを告げることはなかった。その想いを銀時は知っている。
「他の奴らには」
「言うな」
「わかった…」
そうして、病室を出る。いつの間にか、朝が来ていた。碧い、碧い空が広がっていた。
「悲しいほどいいお天気だよな、ちくしょう」
病院の庭で、銀時はそう毒づいた。
「白河か」
福島の病院の車中、土方がそう言った。
「何」
「ここが総悟の親の生まれ故郷だ。あいつ、時々、こっちの訛りがでるんだよ」
「あ、そうか、江戸弁なのに、どこかしら…と思ったら、こっちの…」
「もっとも親の顔も覚えてないがな、あいつ」
白河はあっという間に通り過ぎていく。
「覚えてない…」
「五つにもならなかったそうだ、ミツバの話では」
まだ少女の彼女と幼子二人の姉弟。
「タケノコ生活していたらしいが、いよいよ食えなくなって…近藤さんの家に預けられたんだ」
「ふーん」
「ミツバは縫い物などして養っていたが、あの通り病気がちで…総悟は一日一食だった時もあった」
「そりゃひでえな」
背伸びして、背伸びして、七センチの差に文句を言う顔を思い出す。
「体質もあって、あれ以上はのびねえだろうな」
大人になった総悟を見たかったな、と土方は呟いた。見りゃいいじゃん、と言いたかった。けれど。銀時は黙っているしかなかった。
注意・タケノコ生活。若いお嬢様方には解らないお話ですね。あるもの売り払って食っていくという貧ちゃん神さんが肩に乗っかっている生活の事です。戦後まもなくの華族、皇族はそうやって食いつないだそうです・・・。庶民もな。うちの祖母は錦紗(正絹の布地のこと)羽織を売って米に変えて子供ら(つまりは母と伯母、伯父たちの事よね)に与えていたという・・・。金になりそうなもの、売って食いつなぐ・・・という貧窮した生活のことで、働けない人で物持ちはよくやったらしい・・・。戦後でなくても・・・そういうのはあった。祖父母は質屋していたので、質流れしていく品物の多さにかなりめげた頃もあったみたいな。質流れに「猿」「カナリヤ」「プードル」「シェパード」「リス」というのはなんか違うよな、違うよね。でも、どこも引き取らないので、仕方なく飼育していたそうだ・・・。じーちゃんお人好しだったのかな。
もうひとつ。「チャタレイ夫人の恋人」は唯一日本でだけ、猥褻発行物とされました。いくら読んでもとてもそうとは思えないんだが・・・18禁についての云々は、これについての研究書物など読んだりするとよりじっくりと、じんわりと考えられますよ。特に文書きの場合は。でも、猥褻と芸術の差がわかんねーよー・・・なつんたには「ブタに真珠」だったみたいな。