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ある日の白薔薇亭。
「あれ、今日は兄上だけ」
「ああ、そうだが」
「ご飯どうするの」
「おまえさ、俺が何も出来ないと思ってるんじゃないだろうな」
「うん」
そこで素直に頷くなっ、と白薔薇亭オーナー、元イングランド国王エドワード四世は思う。
「簡単な飯くらい作れる。味の保証は出来ないが」
「ええっ、味の保証ってここにあるのっ、いつもすんごいのが出て来るじゃんっ」
「いや、それは、な…驚くところはそこかよ…」
「ま、いいや。母様達出かけたの、よろしくね」
「薬とかは」
「大丈夫だよ」
「ホントか」
「うん」
おでこに手を当ててみると平熱だ。顔色もいい。
「おい…おまえ客室」
「兄上だけしかいないんじゃ、同じ部屋でいいじゃない」
すたすたと荷物持ってスタッフルームに入り込む弟。
「いいけどな」
ベッドは大きいし。スタッフルームの一室にオーナーの部屋がある。簡素な部屋だ。ベッドルームとクローゼット、共有のバスルーム。アンと料理長の部屋は別にある。料理長の親子は料理研究と称して出かけていていない。
「片付けなよ」
弟に言われるまでもなく多忙のせいで結構部屋は汚れていた。
「悪かったな、おい…」
ちょこまかと片付け始める弟を彼は止めた。
「やらなくていいよ」
「でも」
「いいんだよ。少し、こっちにこい」
「何」
「何だろうなあ…触っていたくなった」
「変なの」
そう言いながら、兄の腕の中にいる弟。ふと撫でた後頭部。気付いてふっと息を吐く。
「兄上」
「ん」
「憎いと思った事は事実だけどね、愛してた事はね、紛れもない事実だよ」
「ほんと人間の感情ってのはままならないなあ」
「いいじゃん、でさ、今日の夕飯なあに」
「多分、カレー」
「兄上の指は入らないよね」
「それはどうだろう…」
笑う。
「ナンは」
「ああ、暖めればいいだけだ」
「つまり、インド式」
「そーゆーこと」
「自信あるの」
「あると思うか」
「思わない。でも、食堂までだっこしていってよ」
「え」
触れ合っていたいんだよ、僕も、とそんな声がエドワードの耳に聞こえていた。
胸の内の内、心の奥底。
あくがるる
こころはさても…
白薔薇の王の美しい姿。それが自慢だった。その王の弟であることが何よりも嬉しかった。それを伝える言葉を弟は口に出来ず、そのまま、ただ抱きついていた。
「兄上ってさ、見てくれだけはいいよね」
「たまにはもっと誉めろ」
「図に乗るから嫌」
「そんな事だろうと思ったよ」
それでも嬉しい、と白薔薇の王は思う。細いな、と感じた時、家族の暖かさに、再会出来た歓びに彼は人知れず涙を流した。
今度こそ見守りたい、と願う。その心情が籠もった腕に弟が満足そうに微笑んだ事を彼、エドワードは知らない。
永遠を感じたい、そう願う。
「兄上」
戦場に散った弟の最後の思念が荒野に留まる。そしてそれは白薔薇を咲かせ…
「誉められるような弟ではありませんこと、ここにお詫びします…」
祈りの言葉をある人の母が読む。
「この祈祷書は渡しません。触るでない、よいか、これはこの母のものぞ」
「母上」
「一つ聞いて良いか」
「何を」
「いたずらに苦しめはしなかっただろうな」
「母上」
「あの御方はお優しい御方でした…」
「一瞬でしたから」
「ならよい」
祈祷書を抱き締めて、貴婦人が泣く。
「ほんにお優しい御方でした…」
「母上」
平穏を願う願文をその貴婦人が何度も撫でる。そして、それは今も残る。
「あれえ、これ残ってる」
身分証明書を差し出すと係員は祈祷書をケースから取り出した。
「どうぞ、陛下」
「ありがとう」
係員の肩より低い背の、子供。傍らに金髪の青年が立っていた。
「何、これ」
「僕の祈祷書。それからこっちは献呈されたマロリーの本」
「マロリー…ああ、あいつの…」
「兄上が書かせたんでしょ、このアーサー王のお話。印刷されたものだよ、コレ」
「ああ、そうか完成したのか…印刷って、おまえ」
「やろうとしてたじゃん」
「そうか、ありがとう」
ちゃんと遺志を継ごうとした形がある。それだけで嬉しい。
「もっとも印刷技術に関しては…」
「ちょっと待て」
「七百年代の東洋の経文では当たり前に使われていたという事実が…」
「へっ」
「壺に入って収められた経文が記録によると千以上あったらしく…」
「東洋ってわかんねーな」
「この技術は中国より伝わったもので、現物最古は七百年代の日本のもので…紀元前にはすでにあったものと推察される…」
「現役大学生って嫌いだ」
「ま、とにかくマロリーの本のコピーならここで作れるよ」
「コピーか」
「現物は統合政府文化庁公認宝物だから、無理」
「無理、か」
「それでも本物そっくりってわけ。はい、これがその本。ね、従兄殿にも見せてやってよ」
「あ、ああ、そうだな」
受け取る。
「献呈の文章まで入ってるけど、気にしないでよ」
「そうだな」
リチャード三世陛下に献じし奉る…とある文言。受け取った王のサイン。
「王の印か」
王になってもこの弟はモットーを変えることはなかった。
「なあ、おまえの忠誠って」
「聞きたいの」
「いや、いい」
「僕は国王になるつもりなんかなかったもん」
「そうだろうなあ…」
本を手に資料館を後にする。
「今晩は家に帰るのか」
「ううん、白薔薇亭」
「あいつ帰ってないんだけど」
「レストランで食事していこうよ、兄上のおかしくなった舌で出来た料理、もういいや」
「それに…あいつにしめられるんだよな」
「何枚割ったの、お皿」
「言いたくないな」
「おっそろし」
「二代目にもくどくど叱られそうだ」
「オーナーなんでしょ、兄上」
「料亭旅館ではシェフの方が上なんだよ」
「そりゃそうだね」
「あれ、殿下だ」
手を振る人。
「泊まれませんよ、あいついないんです」
「なら食事はここで。寝るくらいは出来るだろう」
「そうですけどね…綺麗とは言い難いですよ」
「構わないよ、珍しいね、仲よさそうにしている」
「喧嘩ばっかはしてませんよ、このところ、女癖もおさまっているし」
「おまえにぼこられるのが嫌なんだよ」
「うん、今度大学の仲間にやったら不能にしてやる」
「どうして、こう可愛くない…」
「嘘つきだね、君は」
総裁殿下が笑ってそう言った。
「どうかしたんですか」
「ん、その本は」
「アーサー王の本。こっちはあの時の山家集」
「ああ、読めるの」
「英訳のものですよ」
「そう…」
「ああ、あった…かたじけなさに涙こぼるる…」
「何」
「神様はさりげなくどこにでもいらっしゃるからそれに感謝して涙がこぼれます、って意味かなあ」
「神様、なの、君」
「ホントは違います」
ちらっとこちらを見た弟に金髪の青年は一瞬、意味が解らず戸惑っていた。
あなたの存在に感謝します…。