悪い夢を見たのだ。夢だと、信じていたかった。土方の表情、仕草から悟った。見せてはならないものを銀時は土方に見せたのだ。同情ではない感情が揺らいで見えた。
「俺、仕事に…」
銀時が言う。
「無理だ。あんな姿をガキどもに見せられねえ。戻るな」
「そんなこと言ったってえ…」
「ガキどもには言ってねえが、階下のババアにはある程度話を通してある」
「でも、俺、帰りてぇよ」
「駄目だ」
土方はそう言って、一言だけ言った。
「ガキの頃の夢を見たんだよ、おまえは」
銀時はやっぱり、と呻いて俯いた。
「山崎、報告書」
「はい」
副長室で土方は告げた。銀時は蔵の中に閉じこもってしまった。差し入れの菓子にも半分しか手をつけないらしい。
「吉田松陽の私塾の門下生で生存が確認されたのは、五〜六人、女子一人はさる大名の側室となり、今は正室として暮らしています。もう一人の女子は快援隊の陸奥ではないか、と思われます。ただし、彼女の在籍期間は二ヶ月、男子の塾生は桂小太郎、高杉晋助、それと…白髪もしくは銀髪の子供がいたそうです。この子供の氏名は銀時、坂田銀時です。年齢も特徴も万事屋の旦那と符合します。この子供が攘夷戦争時の「白夜叉」ではないかと。吉田はこの子供を準養子として育成していた模様です。死別した年頃は十三才くらいかと。この子供の生まれた家は…」
「生まれた家か」
「攘夷戦争時に一族壊滅しています。本人は知らない様子です」
「知らない、ねえ」
「場所は京都の北の山里だそうです」
「そうか、ちょっと出かける。あいつの薬、用意してくれ」
「はい。その前に…副長、今朝方、桂を逮捕しました」
「こういうめんどい時に何であれは捕まるかねえ」
「副長…」
「ここに連れてこい、大至急だ」
「はい」
山崎が表側に去っていく。ここは隊士らが寝泊まりするプライベートな場所だと言ってもいい場所だ。
「何だ、こんな奥に」
連れて来られた桂はそう言った。
「あの白いのは、どうした」
「知らん」
「そうか、ちょっと来い」
縁側から庭へ、そして蔵へと桂を伴って土方は歩いた。
「蔵…?」
「ここは薬でやられた奴とかを押し込める場所だ。声も外には出ん」
「薬…」
鍵はかかっていなかったが、重い扉を開け、灯りをつける。
「銀時」
「うえっまぶしい」
「まぶしいじゃねえ、灯りくらいつけろ、つーか窓開くんだぞ、鍵は渡してあるはずだろーが」
「だってよお…」
「きしょい」
「ひでえ」
そう言ったところで、銀時はぎょっとした。桂がいた。手錠をかけられたまま。
「ちっ」
土方は手錠を外した。
「何故…」
「なんでこんなの、連れて来るんだよ、おい」
「お言葉だな、これがヅラ、なんだろう」
土方の言葉に頭を抱える銀時。
「ああ、そうだよ、チクショー」
「ヅラじゃない桂だ」
「てめえなあ」
ずれたこと言ってんじゃねえよ、と銀時がぼやく。
「なんで銀時がここにいる、土方」
「薬でやられた、まだ抜けきってねえ。ただ、その薬がちょっとな」
「ちょっとって…」
「子供の頃の悪い夢をみせちまったらしい」
桂の顔色も変わった。
「まさか」
「こいつが吉田門下なのもバレた。ただし、俺の他は誰も知らねえ。知られちゃいろいろとまずいんでね」
「まずい、か」
「あそこの塾生の大半はお尋ね者だ。女子二人は別として、生存者のほとんどが手配書に名前が記載されている。されてねえのは、こいつくらいのもんだ」
「されて、ない、か」
「戦争後、活動していないからな」
「土方…」
銀時は黙って二人を見ていた。
「おい、山崎、お茶とお菓子、もってこい」
土方は外にそう声をかけた。
「こんなとこで茶飲みかよ」
銀時がぼやく。
「いいから、つきあえ」
山崎が用意した盆を蔵の中に引き入れ、土方は座り込んだ。制服を着ていない。
「なあ、制服」
「おまえは俺の替えの制服までやっちまったんだよ、どうしてくれるんだ、任務に差し障りありすぎだ」
「わりい…」
「やっちまったって」
桂が聞く。
「涙と鼻水とよだれでぐちょぐちょ」
うわー、やはり耳にすると効くわ、そのお言葉、と銀時がわめく。
「それで聞きたいことがある、桂」
「何を、だ」
「こいつはその松陽先生とやらに引き取られてからは、幸せだったんだな?」
「え、どういう意味だ、それは」
桂が不思議な面持ちで尋ねた。
「とにかく、だ、俺が知りたいのはそこだ。どう治療していいか、わからねぇと困るんだ」
「治療って」
銀時が疑問に思って口にした。
「精神科の医者からのアドバイスだ。医者が患者のプライバシーを保護するのは当然だが、その医者も忙しくてな、治療は家族が当たってくれ、だとよ。ところが、こいつにはまともな家族がいねえ。しかも発症したのはこの屯所の中だ。仕方ねえだろが」
「俺がやばいってのはそういうとこだったの…」
「だから、聞いてるんだ、どうなんだ、桂」
「少なくても、幸せだったはずだ、普通に笑っていたし、喜怒哀楽も普通だった」
「その前のことは知らねえよな」
「先生が連れてきた時は野良猫みたいだった、先生以外の人間には慣れなかった」
「そうか…」
土方はそう言って、お茶を飲んだ。山崎が用意してくれた大福にも銀時は手は出せなかった。
「きもいから、さっさと食えよ、万事屋」
「きもい、ですか」
銀時が渋々手を出すとそれは上手かった。
「いつもの駄菓子やのばあさんのところのだ、総悟とよく食っているだろ」
「そっか…」
桂はとっくに口にしていた。
「素朴だな」
田舎じみた粒餡の、時間が経てば硬くなるであろう餅に包まれた質素な菓子。
「武州には一軒しか駄菓子やがなくて、貧しかったから、満足に買ってやれなかったって近藤さんがいつも気にしていた」
「沖田君に、か」
「あいつは親の顔も知らねえからな。といっても俺も母親の顔もうろ覚えだ。父親は…生まれる前に死んだから知らねえし」
「けどよ、なんか土方君って」
「姉貴が育ててくれた。嫁に行った先で。実家はそんな余裕なかった。兄貴夫婦には邪魔者扱いされていたし、二番目の兄貴は生まれつき目が見えない」
「ふうん」
「寺子屋にも行かずに奉公に出されて、兄貴の借金のかたに売り飛ばされそうになって家出してそれっきり帰ってねえよ」
「げ」
「二番目の兄貴が一度くらい戻ってこいってうっせぇんだけど、なんかなあ」
「一番上の兄貴はどうしたよ」
「死んだよ、子供がなかった。二番目の兄貴が入ってる。そこには甥も姪もいる」
「なら戻ればいいじゃん」
「こんな仕事してるからなおさら行けねぇよ」
土方は自分の大福を銀時に渡した。
「だから同情じゃねえんだよ、一番上の兄貴のやりざま、思い返すとな、捨てられた方が何度マシかと思った、顔を傷つけようとしたら姉貴は大泣きするしよ」
「顔、って」
「売春宿に売ろうとしたんだよ、女みてぇな顔してるから、高く売れるだろうとか抜かしやがった」
「顔、ねえ」
ちろりと桂を見る。
「狂乱の貴公子か」
整った顔立ちをしている桂。
「情報に寄ると高杉が江戸にいるかもしんねえ、こんなややこしいときに桂に構っていられねえ」
「ややこしい、か」
「総悟が使えねえ。こんな時にあんたのお仲間さんに襲撃されたら困る。内緒だが」
「土方君何考えてんのよ、いったい」
「脱獄してくれねえかな、桂」
ぶーっと桂はお茶を噴いた。
「手はずは整えておくから」
「…策士だね、土方君」
「万事屋も動けねえんだ、あの破壊神を押さえられるのはこいつんとこだろう」
「押さえきれるとは限らんが」
「少なくとも江戸を火の海にはさせねえと俺は思うが、違うか」
「火の海、か」
桂は考え込んだ。
「あんたなら穏健派を全てまとめられる。奴にほいほいやられてたまるか、どうせ、そこがねらいなんだろうが」
「買いかぶりだ」
「いや、市民から恨みを買う真似はしたくねえはずだ。あんたは最近、奇妙に大人しい」
「奇妙にねえ」
「万事屋に手を回されるのは俺も気にいらねえ、あんたはどうなんだよ、桂」
銀時を示して土方がにやりと笑った。
「確かに気に触るな」
「あの白いのが、来るだろうな、待ってろよ」
土方はそう言うと桂に手錠をかけ、外に連れだした。
「いいのかよ」
「万事屋」
「あー」
「大人しくしていろよ」
「うー」
ボケ老人かよ、と土方がぼやく。桂が苦笑していた。