アルデモード夫人はそんなにきつい人には思えなかった。彼女はきつくはない。訓練がきついだけだ。宇宙飛行士の訓練、戦闘機の取り扱い、慣れない機械の操作。それがきつかった。毎日毎日繰り返されるのは、吐きそうなほど乗り物酔いに酔った後に綿密なパソコン操作などこの女性はドSではないかと疑ったほどだ。が、彼女のあたりは柔らかい。なので、逆らう事は考えられなかった。トマスも同じ目にとっくに遭っていた。
「今日もきつかったですね」
「そうだな」
ヘルメット片手に到着デッキから居住スペースへ続く長い廊下を歩いた。最新型パイロットスーツは軽く出来ていたため、身動きはスムーズに出来る。
「どうも、射撃になれなくて」
彼はそう言う。後から追いついてきたアルデモード夫人が苦笑していた。
「閣下は下手でも構いませんわ」
「いや、いざとなったら困る。甘いことは言ってられない」
「閣下が前線になど宇宙軍兵士がさせませんわ、それは宇宙軍最大の危機となりましょう」
「レディ、そういう場合はあなたも出るのか」
「予備役ですけど、巡洋艦の艦長あるいは副艦長に着任いたしますので、出る時は出ます」
「そうか」
「閣下、私は弱い女ではございません」
「妻としては弱いのは知っている」
「夫もここに勤めておりましてよ、トマス殿の軍事教官が私の夫ですの」
「ウィリー殿もなかなか」
トマスがそう言った。
「本職は社会学の教授です、あの人は」
「文武両道なのか」
「私も総合大学では教授です」
居住スペース。食堂や着替えるための部屋などが並んでいる。もっともパイロットスーツはボタン一つで着脱可能だが、下着姿を他人にさらす趣味はない。それで各個室に入り、艦橋用の服装に三人とも着替えた。
「お好みなら以前の服を着ても構いませんのよ、閣下」
「いや、これでいい」
階級章の着いた簡素な軍服は一般兵士と基本的デザインは変化がない。階級章だけが違う。アルデモード夫人の階級は大佐をしめしていた。トマスには少将の階級が着いていた。
「結構、高位なのだな」
「あなたは将軍の上の元帥、宇宙軍総裁ですから。トマス殿は将軍の位が必要です」
「なぜ」
「あなたの副官であると言う事は代理も務めねばなりませんもの、佐官程度で大艦隊が統率できますか」
「なるほど・・・」
「それから・・・旗艦と専用戦闘機に紋章を付けることになりますが・・・どういたしますか」
「私の、か」
「はい。ただ・・・古式イングランド王家の紋章はちょっと」
「ちょっと・・・ね」
「区別が付かない人が沢山いましてね、閣下の呼び名でも、その・・・多分、マーチ殿もラドローの御方も閣下にちなんでの命名ですから」
「平和の楯なら・・・どうだろう」
「平和の・・・ああ、エノー縁の・・・わかりました、紋章課に連絡して早速、旗艦に装着いたします。それから、旗艦の一部を黒く塗装いたしました」
「黒く、か」
「マークスのクソジジイの時は真っ赤でしたもの」
「クソジジイ、ねえ」
苦笑するしかない。よほど不満だったのだろう。
「私は宇宙軍を率いる人格などありませんもの」
「・・・そーとー追いかけ回されたみたいだね」
「ええ、それはもう」
背が高く、美しい女人だ。驚いた事に父王とあまり変わらない長身には最初のけぞったものだ。ドレス姿も見事だろう。が、彼女の普段着は男物ではないかと思うほどあっさりしていた。
「閣下、明日の予定は地球に降下訓練になります。目的地はご自身でお決め下さい。なお、降下訓練は危険をともないますので、二人乗りの物を使用いたします。厳しいけれど、副操縦士は私ではありません」
「誰、かな」
「トマス殿ですわ」
にっこり。この笑顔も美しいけれど恐ろしい。そう思うのはトマスだけだが。
「そ、そう・・・」
ちらりと見たトマスの顔が心なしか青ざめて見えた。
「地球はコロニーの大半がある隣接太陽系の第三惑星と重力に差があります。その差については調べて下さい。突入角度の計算はご自身で。よろしいでしょうか」
「解った」
個室に戻って与えられたパソコンで計算を試みる。トマスも同じ課題に取り組んでいた。
「目的地は」
「アキテーヌに」
「では、そう設定して計算しましょう」
「大気圏突入角度計算ミス発覚、殿下、アキテーヌに着陸は出来ませんっ」
「え」
「イングランド、ヨークシャーディルになります、あ、白薔薇亭のポイントより四キロ東地点に野原があります。そこに着陸ポイント設定しました、機首をあげて下さい、このままでは大破します」
「解った」
機首をあげ、角度を調整する。
「降下開始、こちら宇宙軍総裁機、イングランド支部通信傍受願いたい」
「こちらイングランド支部、着陸許可いたします。手動着陸でお願いします」
「うっそおおおっ、手動っっっ」
トマスの悲鳴。
「了解、ええーい、一か八かっ」
「殿下―――っ、無茶はやめてくださーーーーいっっっ、ぎゃああああっっっ」
大破か無事生還か。ぎりぎりだった。大破しても生命維持脱出用ポットは装備されてはいたが、その事を二人はまだ知らなかった・・・。ひどい。
「無事到着、お喜び申し上げます」
レイモンド博士がそう言った。
「何か言ってるの・・・」
「このバカ、ドジ、何してんだ、あほー、休暇は三日カットね、だそうです、殿下」
「あ、やっぱりね」
「それからアキテーヌ地方への旅行もなしだそうです。予約はキャンセルさせたとか」
「そうきたかー・・・」
「でも、白薔薇亭でお過ごし下さい」
いまいち納得出来ない彼だったが、トマスは・・・ものすごーくほっとしていた。そこにへたりこむほど、ほっとしていた。どちらかと言えば、生きて着陸出来た方に安堵していたのかも知れないが。
「では、リムジンにどうぞ」
「そう」
白薔薇亭の門が開く。もう自動開閉にも慣れた。
「パイロットスーツとその備品はお預かりいたします、洗浄して三日後には迎えの巡洋艦に搭乗予定になりますので。それから巡洋艦には手動操縦で着艦して欲しいそうです」
「・・・それも訓練」
「はい」
「では、どうぞ、ごゆるりと」
「ありがとう」
休暇になるよーなならないよーな。そんな気がした彼だった。着艦のための計算だけで二日はかかりそうだ・・・げんなり。
「ようこそ、白薔薇亭へ」
オーナーが笑って出迎えてくれた。
「あれ、食べられるかな、オーナー、あのポリネシアン」
「はい・・・な、なんとか」
ここでもかの有名な「エドワードほいほい」はあるらしい。
「アルデモード夫人からの連絡、ありますよ」
お説教コースもあったか・・・。連絡ツールからのお小言…。
「大破一歩手前・・・閣下、いえ殿下、あなたが生きてらした頃のイングランドの王室予算一年分の三十五パーセントってお解りですか」
「それが何か」
「あの戦闘機の一機分の代金ですわ。大破したら給料から差し引くそうですわよ、予算委員会からの通知です」
ひらりんと渡された紙を見つめて・・・
「わかった、今後気をつける・・・」
すっげ高い。もっの高い。あの宝石どころか、王冠どころかと言いたくなるほど高い。壊さなくて良かった、と思う総裁閣下でした。
「で、計算出来たんですか」
「ええ」
「ならば夫人からの伝言です、メインパイロットはトマス殿、あなたが務めるように、と」
「夫人はどちらに」
「アフリカ支部に出かけました。食糧を届けに」
「届けに、とは」
「サハラ砂漠に訓練機が下りています」
博士はリモコンを操作するとオーディオシステムを稼働させた。
「リース夫人が言っていた、二十世紀最高の指揮者、カラヤンの管弦楽集です。ラベルのボレロ、オペラの前奏曲などです。よろしかったらお楽しみ下さい」
「ありがとうございます」
デジタルリマスタリングの上、音響システムを最新に設定したものだと言う。ボリューム調整をし、トマスは居間の応接セットに座ったまま、聞き入った。
「優雅だね、音楽か・・・」
彼、総裁がそう言った。
「これはなんて言う曲ですか」
「これ、ですか・・・ワーグナーの楽曲、ワルキューレですね、ワルキューレの騎行」
「華やかですね」
「百人くらいの楽人が必要なんです、この曲」
「百・・・」
トマスが何かの本を見ていた。
「あ、殿下」
「楽人がすぐそばにいるみたいだけど・・・録音なのか」
「この楽人達は五百年くらい前にみんな死んでいますよ」
「すごいな」
「トマス殿、リース夫人がこのメモリービットをどうぞと」
「え、何ですか」
「この音楽のデータが入ってます。それから解説書として、その本も」
「よろしいのですか」
「ええ。お土産ですって」
「お礼を言っておいて下さい」
「時間ですね・・・戦闘機は門前にございます。殿下、離陸は殿下がメインです。巡洋艦は地中海上のどこかにいるそうです。着艦はあくまでも手動で。着艦はトマス殿メインに切り替えるよう指導が入ってます。着艦ミスの場合は巡洋艦の方でキャッチします。その場合も機体に損傷多少でます・・・その時は殿下」
「もしかして」
「損傷箇所修理代は殿下の給料からですので、トマス殿」
「頑張ります」
「では、グッドラック」
にっこり。その場からの離陸が出来るようにセットアップしてあった戦闘機がふわりと空に舞った。
「おまえ・・・割と操縦上手いね・・・私より」
「殿下の給料がマイナスになってもいいんですかっ、この先、服も装飾品も買えませんよっ」
「そうか・・・」
「私の給料も差し引くそうですよ・・・その場合は。張り切らなくてどうします」
「そういうものなのか」
「嗜好品全てカットで支給品だけで暮らせるとでも」
「いや、思ってない」
「ならば、きりきりやりませんとね。白薔薇亭がなんだというんだ、やってやろーじゃないか」
「・・・・・・…おまえ、なにか変な物食べたの」
「いえ別に食べていませんが」
「白薔薇亭にそーとートラウマあるみたいなんだけど、何なんだろ・・・」
「解らなければいいんです」
「次回はサハラ砂漠に着陸訓練だそうだ。トマス」
「巡洋艦からの発艦は殿下にお任せします。着陸引き受けますので」
「解った」
「やっぱり上手いね、トマス」
「大破したいんですか」
「それは嫌」
宇宙のマリンスノー・その1