歩いて行くと農場があった。引っ越すのか、荷物を不思議な乗り物に積み込んでいる人物がいた。その人物はちらりと馬を見ていた。そして、馬のそばに近寄っていった。
「ごめんよ、おまえは誰もいらないんだってよ…どうしたらいいものかね」
ぽんぽんと馬の顔の横側に手をやる農夫の寂しそうな顔。その農夫のそばに彼は立っていた。
「そなた、その馬、どうするつもりだ」
そう話しかけたが、通じないらしい。
「なんだい、にーさんは」
黙って馬を指さすと、農夫は頷いた。
「そうかい、馬が気になるかい」
「馬」
彼はそう言ってみた。
「馬が欲しいのかい」
農夫がそう言ったらしい。彼は頷いた。
「いいよ、これで良かったら」
差し出された馬。訳がわからないでいると農夫が苦笑していた。
「ここを離れなきゃならなくてな、家畜も始末しなきゃならないんだよ、必要ならやるよ」
馬具もついでに彼はつけてくれた。
「貸す、ではないか」
首を振る農夫。手綱を押しつけると農夫は去っていった。
「運が良いのか、悪いのか、解らないな」
馬に跨がり、また旅を始めた。
「学べることがあるのなら…学ぶ。ここで」
バックパッカーの宿の使い方も覚えた。村はずれの水飲み場、小さな教会や番小屋。そこを使いながら彼は歩み続けた。大きな町の郊外に辿り着いたが。
「この町は…」
カンタベリーと書かれた看板。
「カンタベリー、カンタベリーなのか」
大聖堂が見えた。
「カンタベリーの…」
大聖堂。懐かしいあの大聖堂。鐘の音が聞こえた。彼の知っている大聖堂ではなかった。どこか面影はあったが。
「馬は…いいのかな」
風習が違っていたら、と思う。あの不思議な乗り物を使うのなら、馬は街中には入れないのではないか、と思った。入って行く。馬を連れている彼を見かけた人はここは駄目だ、こっちだと指し示す事が多かった。そうしてあちこち、歩き回る羽目になった。ふと見るとあの宿のマークがあった。カンタベリー歴史保存地区のそばにあのバックパッカー専門宿があったのだ。
「馬を置いて行けば…でも…」
戸惑っているとその宿の主は庭先の木をしめした。雨風も防げる屋根があり、馬にも良いところだった。そこに馬をつなぎ、彼は宿の中に入っていった。簡素な鍵を渡された。鍵に書かれた文字と同じ文字が書かれた扉に鍵を差し込み、回す。扉が開く。簡素な、それでいて清潔な部屋が目の前にあった。鞄を置き、彼は付属のバスルームに入り込んだ。
もう慣れてしまった入浴をし、身体を乾かし、ベッドに腰をかけた。シーツも枕カバーも白く清潔だ。ベッドには独特のカバーがかかっていた。見ると細かな生地を継ぎ合わせて作られた者だと言う事が解った。それに丹念に刺繍が施されている。手作りの品物だった。
「この世界の人達はいったい…」
手作りの品物があったり、同じような品物がいくつもあったり。書かれている文字も読めるもの、読めないものといろいろだ。住人達との会話はほとんど片言で通じているのか不安になるほどだった。
カンタベリー。大聖堂を見たかった。けれど、許可制だった。カードがない。見学許可証のカードを彼は持っていなかった。街中に入ることさえ、歴史保存地区は許されなかった。仕方なく、バックパッカーの宿で遠くに見えるカンタベリー大聖堂を見上げるしかなかった。保存地区ぎりぎりの場所にあるバックパッカーの宿。
「アレ、そんなに見たいのかい」
女将の言葉。首をかしげると彼女は大聖堂を指さし、見たいかという単語を口にした。彼は頷いていた。
「ちょっとお待ち」
彼女はそう言ったが、彼には半分も意味が解らない。戻って来た彼女はあるカードを手にしていた。
「貸してやるよ」
差し出されたカード。見学許可証の文字を認めた。フランス語やそういう言語も書かれていた。
「これ…」
「見学終わったら返しておくれ」
女将はそう言った。返してくれ、と言われた気がした。カードを借り、彼は保存地区に入っていった。大聖堂にも入れたが、修復工事中のため、入れない場所もあった。
「レディチャペルもベケット廟も修復中か…」
ここはイングランドなのだ、それが解った。カンタベリー、そしてウォリックの城も見た。間違いなくイングランド。ベケットの霊廟の南。墓標があった。
「この墓標は…」
さりげなくあった看板の様な物に書かれた文字を見る。
「エドワード三世、王太子、エドワード・オブ・ウッドストック…これが、私の、墓標?」
ここにあるなんて、そんな筈はない。紋章も文字も王族の印も間違いなく彼自身をしめすものだった。
「レディチャペルにって遺言したはずだ…」
ふらつきながらも、ある遺物に気付いた。
「あ…」
使っていた品物だった。手袋、剣…着衣。看板にやはり、エドワード三世王太子の文字と名前がある。
「カンタベリー…に、確かに、だけど、どういうことだ?」
考えても解らない。
「誰かに聞かなくては…」
この世界の人間と言葉が通じない事に彼は気付いた。
「あの研究所の人達でなければ、無理か…」
戸惑ったまま、もう一度、墓標を見た。その時だった。聖歌が聞こえた。美しい歌声が聞こえた。澄んだ声。鎮魂のための聖歌だった。その歌声は彼を慰め、彼の横を風となって通り過ぎていった。
「聞かなくては…あの後のこと…全て」
立ち上がり、彼は前を見た。大聖堂の中を歩き、聖壇の前に立った。そこで膝を折り、彼は祈りを捧げた。祈った後、そっと立ち上がった。
「いや、ここであったとしても、ここはカンタベリーだ…」
一番心を磨いたところ。一番心を留め置いたところ。ここは聖なる場所だ。大聖堂から外に出ると空が見えた。空は変わらない気がした。
「空が変わらないのなら…どこまで変わってしまったのか、自分の目で確かめてみたい…。そうだ、この目で確かめる…今までも見てきたけれど…どこまで変わったのか、この目で見てやろう、その上で、あの研究所に戻って何があったのか、聞く。それがいい」
カンタベリーの町を見るが、人があまりにも少ない。何故、こんなにも人が少ないのか、その理由を知りたいとも思った。
女将が玄関で迎えてくれた。
「どうだったかい」
聞かれたが、粗野な言葉、聞き慣れない訛りで彼は何と言っていいのか、解らなかった。ただ、女将の手をとり、おしいただいて、貴婦人にするキスを送った。
「そうかい、よかったね」
女将の手がそっと髪を撫で、離れていった。何故、貸してくれたのか、訳がわからなかった。けれど、彼女に感謝した。態度でしめすしかなかった。いつもの様にカードを受け取り、馬をつれ、彼はどこに向かおうか、考えていた。
「ロンドンかウィンザー、ウィンザーに行ってみよう」
カンタベリーからウィンザーへの道はそれこそ見た事のないものばかりだった。
「迷子か…私は」
段々とこの世界のルールが解ってきた。不思議な乗り物と馬との関係、町の名前や長く続く道は不思議な石のようなもので出来ていた。馬の脚にはよくない気がした。あの乗り物が通らないときは彼は馬を走らせた。風は変わらない気がした。ウィンザーの城も見た事があるところとないところになっていた。やはり、許可制で中には入れなかった。そこにはあの女将の様な人はいなかった。ウインザーの城の近くにあった農場の小屋に辿り着いた。その農場にも人はいなかった。家畜もいなかった。小屋の中に入り込み、休んだ。野宿とバックパッカーの宿とそれを利用しながら、彷徨い続けた。その最中で思った事は…。
「今、この世界で使われている言葉を学び、ルールを学ばなけれは、私はただの異端者に過ぎないと言う事だ。学ぶ、か。それには、それなりの機関に通うべきだな、そして…何があったのか、聞くべきだ」
まず、文字、習慣、それから…政治体制、それから…。
「多いな…こんなところで遊んでいていいのか、本当に」
暖炉に火をくべながら、彼は一人、そう思った。
「あの機関に戻って、利用出来るのなら利用すべきかも知れない。ここで生きているのなら、生きていく方法を学ぶのもひとつの道かも知れない」
あそこのスタッフ達はきっと中世の、彼が生きていたころの会話をこなすために学んだのに違いない。あそこにいたスタッフはみな学んだのだ、話し方も、接し方も。それに気付いた。
「その学びを私は…無視したのか」
傷つけたのか、あそこの人々を。
「あそこに戻るのなら、自分で戻らなければ意味がない。ここで、この世界を一人で歩いて解った事があるのなら…見聞きすると決めて、歩いたのだから…」
どうしても思い出せないあの青年と以前会ったらしい記憶、そして世話をしてくれた夫人とも一度どこかで出会っている。なのに、思い出せなかった。
「思い出せないとしても、私は…学ぶためにも、ここで旅する事は重要か?」
解っている事、言葉も社会体制も解らないと言う事実。イングランドではあるけれど、時があまりにも経ちすぎていると言う事実。
「戻るか」
地図は手元にはないが、手に入れた馬で彼はあの村への道を探り始めていた。
「あの機関のあるのは…ヨークのそばだったな…」
遠い、と思った。レスターという町にも立ち寄った。紋章がある橋、大聖堂、それに王冠を掲げる男の像。
「何だ、ここは」
大聖堂には難なく入れた。内陣に霊廟があった。
「イングランド国王・リチャード三世…」
年代を見て自分より百年後の人物と判断したが、訳がわからない。白い薔薇が飾られた墓の上には軍旗と国王のあの旗があった。
「そう言えば…」
橋の碑文に彼の名前があった、と気付いた。
「え、川に投げ捨て…その後、発見され、埋葬された…戦死…」
意味が解らない。
「どういうことだ…プランタジネット最後の王、最後の王…って」
血統が絶えた、まさか、と思った。そんなことはありえない、と思いたかった。
「後で確認すればいい、これは」
あの少年と医師だと名乗った男がある施設の前にいた。
「殿下…」
「ここは何だ」
少年は微苦笑していた。
「僕のお墓があった史跡です」
王冠とRとサードをしめす印が壁にある。
「この御方は僕達の連れです、一緒で構いませんか」
少年が係員に告げていた。
「どうぞ。リース教授にくれぐれもよろしく」
「はい」
中に入っていく。
「リース教授?」
「父です。養父の」
「あの夫人のご主人か…」
「大学教授なんです」
歩いて行く少年の手をあの医師がそっと握った。
「陛下、ご気分を損じかねない展示物がございます。私から離れないでくださいませ」
「ヘンリー」
「ウェストミンスターのあの宮殿に到着して、あの書き付けを見つけてから…私は」
「よりよい王が王であるべきだ。あなたは親戚同士の馬鹿な諍いを沈めた賢王だ。卑しむべきはそれに気付かず血まみれの王冠を自らかぶった僕の方にある、違うか」
「それがお解りになるから、あなたは厄介なのですよ」
「敗者に弁などない」
すっと指し示すと人間の骨。頭蓋骨に損傷が多多ある。そして、その奥には溝があった。
「この穴は」
「僕のお墓だったところです、殿下」
「墓石は」
「必要ありません」
「十年目に…王家の印のタイルを置かせました、それ以上の事は出来ないと判断しました」
「君は」
「私達はボスワースの荒野で戦い合った者同士です。私はこの御方から王冠を奪い、辱めた者です」
「敵同士が…なぜ」
「ここに来て私の気持ちをより理解してくださったのは、この御方だけです」
「ヘンリー」
「私は妻を娶らず一人で生きて死ぬつもりです。家族を望みません。前の時に妻とした女を愛していても、彼女は私を見る事はまずないでしょう」
「ヘンリー、父様たちが心配する、戻ろう、ここに来たのばれたら、僕ちょっとまずいんだよねー」
「え」
「内緒なの」
「リース夫人にも、ですか」
「うん」
「待って下さいよっ、それじゃ…」
「早く戻らないと激ヤバ」
「あー…それでも、大聖堂にはよりましょう」
「びみょー…」
「時間移民のサダメですよ、陛下」
「あ…これ」
映像がモニターに写し出されていた。
「五百年目の葬列ですね、この施主となった御方は」
「グロスター公爵リチャード王子殿下って」
「同じお名前ですね」
「うん」
大聖堂の内陣。軍旗と国王の印の旗、それに花束。
「なんかびみょー」
「そうですか、私は満足ですよ」
「僕は立派な…ああ、そう、裸の王様」
「何だ、それは」
彼はそう少年に尋ねた。
「裸の王様とは…なんだ」
「童話の一種ですよ、虚栄心を顕著に著したお話です。愚かな王の…戻りましょう、ヘンリー」
「この御方の事は」
「僕達は関係ない事にしておいた方がいいと思う」
「陛下」
「殿下、ご自身の事はご自身でお決め下さい。僕達はこれで失礼します」
少年と医師と名乗った男は最敬礼をし、去っていった。彼は足下にある墓を見ていた。あの少年が自分の墓だと告げた墓。白い薔薇が飾られてあった。それを見つめる。花。散っていく時期を見誤らない花。少年は、この墓の持ち主はその時を知っていた。それが戦場であろうとも。
「戻ろう、あの変な場所へ。そこで私は学ぶ。生きる術を、やるべき仕事を選び取る。薄気味悪いが、人間はそう変わらないはずだ、現にあの二人は人間だ、そう思えたのだから」」
ヨークシティを目指そう、そう思って馬を走らせた。そして、気付いた、あの村だ。出ていくときとは違った方向から戻ったせいか、よく解らなかった。確か、この先…、そう思う。
「休もう」
村にはパックパッカーの宿はなく、廃屋同然の番小屋で、休むしかなかった。一度、心を落ち着かせてから、そう彼は思った。
夢見る化石・その3