夢見る化石・その2
鞄の中にあの少年の手紙があった。よく見るとRが二つ片隅に記されてあった。国王を意味する印だ。封蝋の横にラテン語で記された文字を見つめた。
「イングランド国王リチャード三世…」
聞き覚えのない名前。リチャードはたしか…次男の名前。王位に就いた事は想像出来るが、リチャード二世になるはずだ。リチャード三世、そしてその横にまた署名があった。受け取った印なのか、イングランド国王エドワード四世とある。あの二人は彼よりも未来の人間だ。
「何故、この世界にいるんだ、未来の…」
支え合って生きている…それに気付いた。そして、化け物と思い込んだスタッフ達。耐え難い孤独感が彼を襲っていた。訳のわからない世界、通じない言葉、聞いた事もないイングランド国王の名前。もう一度手紙を開く。
「親愛なる兄上様…」
あの少年は、あの青年と兄弟。
「病身ゆえ、騎士の務め果たす事かなわず、この上は騎士号と爵位の返上を願いたく…」
一生、幽閉もしくは出家を願い出ている手紙。
「ヨーク王家より廃嫡を願い出る事、ここにお許し願いたく…」
モットーと名前。爵位の名前はない。
「王族であることを捨てると…一体どういうことだ…」
先ほど訪れた廃墟の城にはリチャードの城というあだ名がついていた。プレートには、リチャード三世が即位前に住んでいたとあった。なんとか意味が拾えた。ミドラムに城塞があったのは知っていた。そのミドラムの城だと彼は気付いていた。
「ここはイングランドなのか…」
それでも、彼は信じられなかった。本当にイングランドなら、知っている建物があるはずだ、そう思いついた。どこか通じそうな言葉、つながっていそうな史跡。馬に跨がって旅を続けながら、彼は脳裏に残っているイングランドの地名、地図を思い起こしていた。


ある村に到着した。その村には人影がほとんどなく、小屋の中に入り込んでも誰も来なかった。
「ここに泊まるか」
小屋の中で、連れてきた馬とともに休んだ。
「ここは異世界ではない…私のいた世界とどこか通じるところがある…」
そう思ったが、解らない。炎を見つめながら、過ごした。借りた馬は大人しく草をはんでいた。
「おまえはいいな…」
そう呟いた。夜は冷えた。炎を絶やさないよう、彼は気を遣った。膝を抱えながら、考えた。
「この目で確かめなければ気が済まない。無茶なのかも知れないが、なあ、おまえはどう思う?」
馬に話しかけたのか、自分自身に話しかけたのか、判断出来なかったが、それでも口から出た言葉はそれだった。夜が明けると彼はまた馬に跨がった。
「ここも人影が…少ないな」
「お兄さん」
驚いて振り向くと老婆が立っていた。
「事情がありそうだけど、やるよ」
彼女はある包みを手渡してくれた。
「ありがとう」
老婆との会話は成り立っていなかった。その包みはほのかに暖かった。村外れの野原で馬をとめ、包みを開くとサンドイッチが入っていた。彼には見た事もない品物だった。
「肉の香り・・食べ物か」
手をいれ、ひとつつまんで、口に持っていった。美味だった。空腹でもあったせいか、全部食べてしまってから、しまったと思った。
「これから先、食べ物手に入るか解らないのに…まずったな」
そうぼやき、また馬に乗った。
「言葉が通じないにしても、見聞を広めることは出来るはずだ。ここはどう考えてもイングランドだ。そうとしか思えない。ならば…とことん見聞きする。何か掴めるはずだ。この世界が何なのか。この世界でどう生きるべきか」
朝の空気も何もかも変わっていない気がする。森が少なくなってしまったが。
「ここが間違いなくイングランドならば…いや、イングランドなのか確かめるが、先だな」
馬を進める。不可思議な道は触った感覚で馬の脚には良くない気がして、通ることはなるべく避けようと思いついていた。




「家出するとはね」
「うーん…参ったな」
「どうするよ」
所長が苦笑していた。
「誘拐犯のところに素直に戻る人質がいるかよ」
「それもそーだけど、ここの風習とかそういうこと、一切知らないんだぜ、王子様だったし」
「どう思う」
所長がスタッフの一人に聞いて来た。
「体力的な問題か、回復した途端、いなくなっちゃうなんて…予想外」
「いや、らしいだろ、英雄様は」
「探すの」
「探す宛は」
「ないのかよ」
「まだ何もしてなかったんだよ、だから…探査は無理なんだ…」
所長の顔を二人のスタッフが唖然として見ていた。
「じゃあ…どうするの…」
「闇雲に探すのは無理だし…俺らで戻ってくれるとは思えない。夫人も使えないしな」
「ここのスタッフ信用してないもんね、殿下は」
「そうだな」
所長はそう言って、息一つ、吐いていた。

近隣の村に行くと黒髪の綺麗な青年に馬を盗まれたと騒ぐ村人がいた。探しに出たスタッフはその老人に会ってみた。
「どーもこーもねーよ、なんだかわかんない言葉を話すにーちゃんで、馬返してくれねえんだよ」
「その馬なら返せると思うが…馬の写真はあるかな」
「あるよ、これ」
差し出された馬の写真を見た。スタッフは隠し撮りだったが撮っておいた彼の写真を出してみた。
「そうそう、このにーちゃんだよ、上品そうなのになあ」
「二日ほどで返せると思う。長くても一週間、かな…ソレまでは…ああ、無料だったのか」
「俺にはあいつに運動させるにも限度があってな」
「解った、すまなかったな、助かったよ、探しているんだ、この人のこと」
「そうかい、早く見つかるといいな、なんか様子がおかしいと思ってた」
「様子がおかしい、か」
「言葉が解らないんじゃないか、それと具合悪そうだったな」
「具合…」
「無事だといいな、そのにーさん」
「ありがとう、すまなかった、じゃ」
自動運転装置のついた車にそのスタッフは乗り込んだ。医療用の装置も積み込んである。もちろん食糧も。
「さて、どこに行ったものかな」




この世界は別の世界だ。私は死んだはず。満足して終わった人生だった、そう思っていたのに。馬は黙って草をはんでいた。小川でノドを潤す馬。通りすがりの言葉も通じない人が包みを差し出してきた。
「やるよ」
受け取る。食べ物の匂い。それと水が入った不思議な入れ物。
「にーさん、バックパッカーだろ、休憩所なら、あの先」
言っている事が解らないが、指し示された先を見た。
「そういう旅行者専門の宿。お代は後払いでもいいんだぜ」
彼の言う言葉がわからない。彼は微笑むと去っていった。
「にーさん綺麗だね」
その言葉の意味も解らなかった。馬を連れたまま、その宿に入ると女将が部屋に案内してくれた。主人が馬を預かってくれた。部屋には浴槽があり、身体を清めることが出来た。蛇口をひねるとお湯も水も出る世界。そのうえ極上の香りを持つボディシャンプーや入浴剤もある。着た切り雀だった衣装を着替え、汚れを落とすため、洗濯もした。思わず苦笑を漏らした。こんな事、したことがなかったのに、と。申し分のない夕食だったが、言葉が通じなかった。暖炉の炎を眺めながら、森で一人、炎を見つめていた夜を思い出した。
「屋根がある…灯りがある…」
洗濯した衣服が乾くと彼はまた、馬に乗り、宿から出ていった。何やら渡された。カードだった。それを受け取ると、宿屋主人は静かに送り出してくれた。
「無銭飲食なのだが…いいのか」
不思議に思う。鞄に渡されたカードを仕舞い込む。馬に跨がり、走り続けた。どこなのか解らない、そう思っていた。町や村の看板で知っていたものはまだ彼の前には現れなかった。それでも、彼は進んでいった。そして。


「…ん」
見覚えのある川の風景。
「この川は…」
エイヴォン、か。セヴァーン川の支流の河川。そう思った。走り抜けた先にあった城を見て、呆然とした。
「トマスの…城」
ウォリック城だった。見覚えのある部分とない部分とがあるが、ウォリックの城は静かに建っていた。

脳裏によみがえる彼の姿、彼の言葉、クレシーの時のアドバイス。甲冑姿の彼、普段着の彼。優しく微笑む顔。身を案じて握ってきた大きな彼の手。かくん、と膝が力を失った。草原の上に彼の人は座り込み、城を見つめた。ぼやけて、よく解らない。頬に触れ、彼は溜息をついた。目頭が熱い。草を握りしめる手の横に雫が落ちていく。
「トマス…っ」
ここでその名前を呼んでも返事はない。返事はなくとも、呼んでいたかった。その名を口にしたかった。
「どこにいるんだ、おまえ…」
会いたい。そう切実に思った。けれど、かなわない。彼は死者の世界にいる。神の御許にいる。この世界に彼はいない。面影を求めたい。立ち上がって、彼は城に近付いていった。涙を拭うこともせずに。入り口を見る。涙を拭い、看板の文字に目をこらす。文字の並び。口に出して発音してみた。立ち入り禁止、という意味が辛うじてくみ取れた。
「立ち入り禁止か」
関係者以外立ち入り禁止、重要史跡の文字。何とか読める文字だった。
「そう言えば…」
教会があるはずだ。
「ここも、か」
立ち入り禁止となっていた。溜息をついていると、管理人らしき人が手招きしていた。近付くと入ってもいいらしい。管理人が馬を預かってくれたので、鞄片手に中に入ってみた。奥へ入って行くとボーシャン、ビーチャムの一族の霊廟があった。一際立派な墓標。
「トマス…」
そっと触れる。古びていた。修繕した後も見受けられる。何年経ってしまったのか、解らない。隔絶された、と思った。トマスは遠い世界にいる。この墓石の下にあるのは、骸でしかない。呼びかけても返事もしてくれない骸。触れることもかなわない。彼の愛した妻と彼の姿を写し取った墓標。モーティマーの姫君と仲むつまじく暮らしていた彼。第十一代目ウォリック伯爵・トマス・デ・ビーチャム。彼が爵位を受けたのはわずか二歳。父の顔も知らず育った彼は伯爵として振る舞うために厳しい教育を受けたという。武術の訓練もぬかりなく受けて育った彼はイングランドでも名だたる騎士となった。そして、彼はカンタベリーにやってきて…出会い、そして別れ。カンタベリーでの日々。平和だった日々は終わり、戦場。共に歩み、共に戦い、そして生と死によって隔絶され…ここにいる。彼、トマスを思い出させる品物は何一つ、彼の手元にはなかった。この霊廟の中にさえ。
「もう一度会わせてくれ…」
かなわない、そう思える願い事。
「もう一度、トマスの声を私に聞かせてくれ」
墓標の、古さは尋常ではなかった。修繕した痕跡も古くなっていた。古代の物語を見聞きしているようだ。古代の遺跡にしか見えないこの古さは一体何なのだろう。この世界は…。自分の存在していた世界とこの世界は繋がっている。時という大河の向こう側とこちら側に別れているが。
「私は…」
この世界全てが襲いかかってきそうな気がした。
トマスの墓標に触れ、それにキスを落とす。彼の魂はどこにいるのだろう、ふとそう思った。
「もう一度会わせてくれるのなら…何もいらない…命も何もいらない。もう一度、彼に会わせてくれ」
物音一つ、聞こえなかった。彼の問いかけに答えてくれる者はいなかった。
「沈黙するのか…」
神は沈黙する、その言葉を彼は思い出していた。


ここにいても仕方ない。また馬をかり、彷徨った。バックパッカー専門の宿はカードを渡すだけで、彼からしてみれば無銭飲食にしか思えないのだが…。
「ここで私は何をしているんだ、いったい……いや、この世界を見ている事にもなるな…私の目が曇っていなければ、だが…誰と触れ合うと言う、誰が私の…」
そこで考えを止め、苦笑しつつ、また馬をかる。おかしな道、おかしな乗り物を何度も見かけた。馬は乗り物におびえるそぶりを見せたので、山道の様な道を選んで移動を続けた。バックパッカーの宿に入り込み、またそこに宿を取った。

どの宿のベッドもシーツも清潔で、寝心地も良かった。食事も申し分ない。時にはワインも出る事があった。
「…話せる人もなく、か」
この世界の人々とまるで会話が成り立たない。孤独感がいっそう増していく。

だが、生きている。水が冷たい、風が頬を撫でる。それを感じながら、彼は進んでいった。太陽と星で位置を見定めながら、移動した。天気の悪い時は動かなかった。例の宿か、誰もいない番小屋の様な建物で過ごした。


「え、その人なら…うちにいるけど」
女将の言葉にスタッフの一人はほっとした。そしてその部屋に向かった。ノックをしてみた。返事はなかった。もう一度ノック。舌打ちがかすかに聞こえた。扉をあけた彼をスタッフは見ていた。スタッフ、あの青年だ。元国王だと名乗った、あの青年。
「探しました」
「探して、どうするつもりだ、出ていってくれ」
「でも、入りますよ」
閉めようとした扉を彼は自分の脚で押さえ、そうはさせなかった。
「失礼、殿下」
睨み付けてくる瞳の強さ。
「殿下…私も誘拐被害者ですよ、言うならば」
その言葉に目を見張った。
「よく納得出来たものだな」
「会いたい人間がいたんです」
「会いたい…人、か」
「何人も…贅沢ですけれど」
苦笑したその人の目が優しい。
「そうか」
仕方なく、部屋に入れた。
「良かった、無事で」
「自分の身ぐらい…」
「武器もなし、で、ですか」
ぐっと詰まった。この世界ではただの一人の青年に過ぎない。それに気付く。
「別に死んでも生きても構わないだろう」
彼の目が悲しそうな色に変わった。
「知り合いが弱っていくのを見捨てるほど私は冷血ではありませんのでね、殿下」
はっとする。
「あのモットーは生きてますよ、殿下。あれは騎士としてではなく、人間として当たり前の事だと私は思います」
窮地を救わん事を悪と見なす者に酬いあれ。
「私は…充分に生きた。第二の人生などいらぬ」
「…充分に、ですか」
「君は…どうなのだ」
「私は自らの愚かさで北に追いやってしまった弟にもう一度会いたかったんです、ただそれだけ」
頬を指し示すとみみず腫れが見えた。
「出かけ間際にひっかきやがって、まったくもー」
文句の中に愛情が見えて、おかしくなった。
「そうか…それで君は…」
「この世界でいる事に戸惑いはありませんよ、今は。殿下、第二の人生突っぱねるにしても、ここでは何にもなりません。ひとまず戻って下さい」
「…探したのか」
「ええ」
当然だという顔をして彼はいた。
「解った、戻る」
人の迷惑になっていた事。それを思い返した。
「すまなかった」
けれど、この男が何者なのか、彼はまだ思い出してはいなかった。
「いいえ」
馬はこのスタッフらしき男が飼い主に戻してくれると言う。その後、疲れていたのか、彼はそのまま、目を閉じた。眠り。静かな走りの車、不思議な言葉を話す住人達。どこかしら知っている言葉。目が醒めて、彼は鞄を手にしていた。あのいた場所には戻りたくない気持ちの方が勝っていた。しかし、馬は使わない方がいいと思い、馬は置いて行くことにした。
「まだ確かめていないことがある、すまないが、私は行く。それだけだ」
そう独り言を言うと彼は立ち去っていった。スタッフが目を離した隙に去っていったのだ。
「ハー…やはり消えちまったか」
溜息をついたあの青年。今度は徒歩か。そう思って探し回ると馬を手に入れたらしく、馬を使って移動していることが解った。