「ここはどこ・・・」
貧民街なのは解った。訛りでロンドンらしい事も解った。元の世紀であることも。
「ほー、これは上玉じゃないか」
どこか下品な男が舌なめずりして笑う。
「あの角の宿に売り飛ばすか、いい金になりそうだ」
後ろは壁だ。逃げだそうにも屈強の男三人に囲まれている。抵抗したが、あっさり掴まり、角の宿という場所に連れ込まれた。
「ここは・・・」
ケイトがいた淫売宿だ。兄の愛人で、手切れ金を持って行って・・・そのまま関係を持った女の。確か少年達もいた。彼らも身体を売っていた。大して年頃の変わらない少年達だった。
「ここに入っていろ」
放り出されるように入れられた部屋はベッドと簡単なサイドテーブルと椅子しかなかった。懐に入っていたタブレットに気付かれずに済んで、ほっと息をつく。この宿で行われる事はおぞましい。唇を噛みしめてうつむく。クロスビー・プレース。そこは確かあまり離れていなかったはず。
「ほう、上玉じゃないか」
ケイトの店の親父だ。
「しっかり稼げよ、おまえ高かったんだからな」
店の親父はそう言って扉を閉じ、去っていった。元の世界だ。今、何年だろうか、そう思う。カレンダーなど置いてあるわけがない。この部屋は見たことがある。宿の女や少年たちが客をとる部屋だ。ふと見るとタブレットは懐にあった。操作して、助けを呼ぶ信号を発信する。電池が足りない。三日しか発信出来ない。いや、このままこの部屋で客を取るという行為をしなければなるまい。ひ弱な子どもでしかない事に唇を噛みしめる。
「だけど・・・今、何年なんだ・・・クロスビー・プレースも暮らしていない時期もあるし、母上・・・」
母親と同居だったが、年齢が合わなければ、彼女には会えない。ショックを与えたくはない。ドアが開き、誰かが入ってきた。
「ああ、こいつでいい、酒を持ってこい」
貴族の男ならではの横柄な口調。宿の下働きが酒と簡単な料理を運び込むとごゆっくりと言って去っていった。
「べつに女も何も要らないんだがな・・・」
身なりのいい男だった。
「まあいいだろう、いくらだ」
その男は宿の主にそう聞いた。値段が聞こえ、リチャードは自嘲の笑みを浮かべた。
「ぼったくりだ・・・」
少し高すぎる、そう思う。男を残し、宿の主は去っていった。枕の下にタブレットを隠し、男を見上げたが、薄暗い宿の一室ではよく解らない。
「名は」
尋ねた男の訛りで気付いた。
「うそ・・・そんな趣味あったなんて」
「なんだ、変な子だな」
近づいてきた男を見つめる。男と言っても、まだ青年の年頃だった。
「あんなメス豚あてがわれて喜べるか、まったく」
「あ・・・」
よりによってフランシス・ラヴェルとは。
「おまえ、名前は」
しゃべらない方がよさそうだ、そう思う。
「どんな顔して・・・」
ラヴェルは蝋燭の明かりで確かめて、絶句していた。
「まさか、ヨーク公がセシリー様を置いて浮気などなさるはずもないし・・・あと可能性は・・・国王陛下の例の悪癖・・・まさかな」
「やっぱそっちにいくんだ・・・」
「そりゃいく・・・はて」
ラヴェルは少年の腕を引き寄せ、尋ねた。
「おまえ親は」
「遠くにいる」
「実の親か」
「確かに義父母だが・・・実の親は知らない」
「売り飛ばされたか、親に」
「まあ、いい、一晩相手してもらうぞ」
貴族ならではの政略結婚。フランシス・ラヴェルの妻になった女の事は知らない訳でもない。夫婦仲は当初から冷たく、ほとんど同居していないと聞いた。ミドラムに行く頃には彼女は修道院に入ってしまい、ほぼ離婚状態だった事も聞いている。だからと言って淫売宿で年端もいかない少年を買っていたなんて信じられなかった。
「な・・・あ・・・」
顎をすくわれ、焦ったが、身体が動かなかった。そのままキス。
「男も女も変わらんな、ここまでは」
「え」
「家に帰れるか、あのクソ女、居座りやがって」
少し酒に酔っているらしい。アルコール臭のする口だった。
「や・・・」
押さえ込まれて、涙が出る。が、身体をまさぐる手が衣服をはぎ取っていく。
「なんだか知らんが変わった服だな」
「違う、いい仕事があるって言うから」
「詐欺か、なるほどな・・・気が変わった、相手してもらおうか」
フランシーってこんな性格してたっけ、リチャードはそう思った。
「あの御方にそっくりなところが気に入らない」
そんなこと言われても。本人なんだし・・・。だから、やめて。そんな趣味あったなんて意外過ぎるから。そう言えば、女の噂聞いた事、なかったな・・・と思う。伸ばされた手は大きくてはねのける術はない。半泣きで、後ずさりするが、掴んできた手は力強く、逃げる事が出来そうもなかった。引き寄せられて、見ると、ラヴェルもまた若かった。確か二十歳前のはず。青年になったばかりの若々しい顔。
「女じゃなくてもいいんだ」
「変な女に手を出してボロを出す訳にはいかん」
「で、でも男にすること」
「その年頃ならどっちでも構うことはなかろ」
「年頃って、そっか・・・十二歳でも結婚はあり得るんだったな・・・」
ある公爵家に嫁いだ女はまだ幼い少年公爵と結婚したんだっけ。そのことをその少年公爵はずっといらついてた事を思い出す。それを思い出しながら、近づく青年の顔に恐怖を覚えていた。でも、この青年を怒らせる事はしたくないとも思っていた。
「痛い、やめて、痛い・・・」
うるさいと頬を平手打ち。この男がDV気味だったなんて知らなかった。悔しいのか、悲しいのか解らない感情のまま、嵐が過ぎるのをただ待った。それしかない、と思った。助けは・・・きっとない。ここで朽ち果てるのか、そう思った。朝になると彼は見下ろしていた。
「参ったな、またアレか、ディッコンに言わないとうるさいだろうな・・・」
「言わないと、うるさいって」
「陛下の隠し子だよ、始末つけてんだ、まったく、二十歳にもならない弟にそんなクソみたいな仕事押しつけやがって、あれでも兄貴か」
「ああ、アレか・・・」
「そこでおまえが納得するな、ちょっと待っていろ、服は早く着ておけ」
そう言って彼は去っていく。階下にある主のところへ行ったのだろうか。貴族様というのは、勝手な者だ、と誰かが言う。盥にお湯を入れて、下男が部屋に置いて行った。
「アンタを買い取るだとよ、あの貴族様。小姓にするんだとさ」
下男はそう言って笑った。
「運が良かったな、ここで死ぬまで客取りするよかマシだろうよ」
返事は出来なかった。お湯と雫をぬぐい取る布が用意されていた。痛む身体を引きずって湯浴みをする。いやなにおいがする。恐る恐る身体の奥に手を伸ばし、残滓をかきだし、身体を清めた。
「フランシー・・・」
ぽつっと涙が出た。知っていたけれど、女嫌いなのは。でも、こんな事するなんて、思ってもみなかった。涙を拭い、身体を拭い、衣服を身につけた。そしてベッドに座って空間を見ていた。ぼんやりとしか見えない。泣きたくなかったのに、馬鹿みたいだ、そう思った時、彼が戻ってきた。
「行くぞ」
「どこへ」
「私の屋敷だ」
「歩けない」
そう言うと彼は目を見開いた。
「足腰が弱いんだ、いつもの事だから気にしてなかった・・・それにそういう子なら逃げないだろうって」
「そりゃそうだな」
膝を抱え込んでうずくまると彼が溜息をついたのが解った。
「仕方ないな」
懐に入れたタブレットを気にかけながら、彼の腕の中に抱えられる。そして宿から外に出た。馬に乗せられ、たどり着いた先は何度も来たことのあるラヴェル家のロンドンでの住まいだった。ある商家から借りた一軒家だ。クロスビー・プレースは目と鼻の先だった。
高嶺の薔薇・同人誌見本