The sky of the passenger pigeion1(旅行鳩の空)

何とか一矢報いたいと思うけれど。無駄なのは解っている。刀は手元にはないし、体力、腕力は劣っていることは承知しているつもりだ。仕方なく、その男を眺める。上からの威圧的な眼差し。見上げる形で、見たその男は思ったよりも整った顔をしていた。

 「口惜しいかえ」

答えない。いや、何を言っても負け惜しみにしかならない。にらみつけるしかない総悟の頬をその男は撫でた。

 「女子みてぇな顔して、猛獣なみだと言うがねえ」

大嫌いな言葉。けれど。不思議なことに嫌悪感がない。何故だ、と思って彼を見つめる。ああ、と思う。高杉は思ったよりも小柄で、かすめた手の筋張った細さに彼なりのコンプレックスを感じたからだろう。

 「もっとたくましいのかと思った」

ふ、と彼は笑った。

 「痛いとこ突きやがるな、おまえ」

ふいっと顔をそらすと、高杉はもう一度笑った。女物の艶やかな着物、片方の目を覆う包帯。そして、煙管。不気味な雰囲気は何故か今はない。

 「ん?」

不思議そうに眺めた総悟の眼差しに気付いて、もう一度、その男は笑った。

 「黒づくめか」

くいっと幹部制服の象徴でもある上着の裾を引く。

 「とぼしい飾りだねえ」

こんっと煙管が灰皿を叩く。パイピングと肩にあるボタン。それに総悟は視線を向けた。あと目立つものは胸元のスカーフだけ。

 「いい布使ってるじゃねえか」

スカーフを手にとり、高杉はまた、笑った。

 「ここだけ、絹かえ」

 「絹?」

滑らかな、不思議な布だが、まさかそんな素材とは思わなかった。

 「これだけ、もらっておこうか」

するりとスカーフを高杉は取り去った。それを鼻先に持っていき、くんと匂いをかいだ。

 「石鹸の香りか、ガキ」

そう言ってからかうような眼差しを向ける。

 「なんならいいんだよ」

 「さてな。ここから動くなよ、もっとも嬲り者にされたきゃかまわねえがな」

ぞっとする言葉。嫌いだが、この顔で惑わされる者は多い。だから、この部屋でじっとしているしかない、と思う。高杉が出ていくと、鍵のかかる音がした。きっと、この部屋の鍵は高杉だけが持っているに違いない。読めない男だ。さらわれてここに連れ込まれたときには、意識がなかった。今も薬の影響で身体に力が入らない。どさっと音を立てて総悟はその部屋のベッドに横になった。先ほどから座り込んでいたのは、そこだった。白い清潔なシーツにほどよいクッションのマットレス。贅沢な作りの家具。小さな本棚がある。それに三味線。変な取り合わせだが、趣味はいい。成金趣味なきらびやかさはなく、質素に見えて実は高価な物もあるというが、それなのではないか、と総悟は思った。

 「犯罪者の癖に贅沢な」

家具に施された彫刻は繊細で美しい。そして、作りもかなりいい。読めない文字で書かれた本が見えた。起きあがって、その本を手に取り、ベッドに戻って開いてみた。中に描かれてある文字は読めないが、美しい絵で、見知らぬ動植物が描かれてあった。しおりに気付き、そのページを開く。鳩の絵だ。が、知っている鳩とは色が違う。脚の色、腹の色、羽の色全て違う。挟まれたしおりとともにメモがあった。

 「パッセンジャー・ピジョン、アメリカリョコウバトとも言う。乱獲の為、絶滅」と。

 「絶滅…?」

絶滅と書かれた日本語の隣にそれと同じ意味を持つ英語の文字・Extinctイラストに描かれている動植物全てにその文字が添えられている。あわてて表紙を見ると、絶滅種図鑑を意味する言葉が書かれてあった。不吉な、と言っていいのだろうか。解らなくなった。

 

 

高杉は二度と来なかった。鍵は開けられることはないのかも知れない。部屋には風呂も付いていたし、着替えも揃っていた。非常食まで置いてあるが、十日あるとは思えない。ここで、ひからびて死ぬのか、と思った。扉に体力があるうちに体当たりしてみたが、やはり開く気配はない。耳をすますとこの屋敷にはもう誰もいないのが解った。窓もない部屋。軟禁状態だと解る。椅子にのって天井を調べ、溜息をついた。蔵の中の隠し部屋だとわかったからだ。灯りはつけたままになっている。そして、時計はない。ポケットにあったはずの携帯もない。勿論、武器は全て取り上げられた。助けを待つしかないのか、そう思った。

 

どのくらい時間が過ぎたのか解らない頃、何かの気配がした。爆音だ。総悟は部屋の中にある物を物色し始めた。細い針金状の物があれば、と思った。壊れた柱時計に気付き、それを床にたたきつけた。バラバラになった時計の部品から、針金状のものを見付け、鍵穴に差し込んでみた。手探りで鍵穴を探っていたら、カチリと音がした。

 「開いた」

けれど、同士討ちなんて話にならない。そっと扉に身体を隠しながらゆっくりと開いた。ばっと開かれた扉にぎょっとするが、そこにいたのは、部下だった。

 「隊長」

一番隊の隊士ということは・・・。

 「よく無事で」

 「あ、ああ…」

訳がわからない。困惑したまま、部下の顔を見た。

 「どうした」

 「もぬけの殻でしたよ、でもまさか隊長が見つかるとは夢にも思いませんでした」

 「じゃあ…誰もここには」

 「ええ、鬼兵隊のアジトだった遺物はあるんですがねえ、おっと、副長に連絡しますね」

 「来ているんだ」

 「ええ」

幽閉されていた時間がどのくらい続いたのか、総悟には解らない。汗くさくなった隊服は結局、脱いで、かかってあった着物に袖を通していた。女物なのは気に入らないが、仕方ない。

 「それは」

 「この部屋にあったんで」

部屋の中を隊士が調べる。

 「驚いたな、台所に風呂場まである」

包丁などは処分されてなかったけれど。キッチンハサミくらいはあった。冷蔵庫は空だったが、カップ麺は置いてあった。

 「今日は何日だ」

隊士の答えに総悟は溜息をついた。

 「十日もいたのか…」

膝が力を失った。

 「大丈夫ですか」

 「安心したら気が抜けた…」

屯所に戻ると土方と近藤のあまりありがたくない熱い抱擁が待っていた。

「心配したんだぞ」

大泣きしている親代わりの人の優しい手にそっと総悟は手を重ねた。

 「すいやせん」

証拠物件だと言って運び込まれた物。あの本があった。

 「図鑑みたいです」

図鑑が七冊。外国語のもの、日本語のものと種類があった。

 「指紋は」

 「あ、それ、俺触ってる」

 「ああ、沖田さんの指紋は登録してありますから、判別出来ますよ、何人かの指紋を検出しましたが、確定には至りませんね」

 「高杉の指紋があるはずだ」

総悟はそう言った。

 「どれだか、ちょっと」

 「そうか」

 「みんな登録しておきますけどね」

 「で、その本は」

 「証拠品なので、倉庫に」

 「そうか」

 「で、このメモの書き手は解りますか」

 「高杉かもしれねえ」

 「そうですか」

鑑識を担当する隊士はそれも登録した。

 「絶滅、ですか」

 「挟まっていた本は絶滅した動植物の図鑑だろぃ」

 「ええ。何故、あったんですかねえ」

 「さあ」

リョコウバトのところにあったしおりとメモ。

 「みんな滅んでしまえってことかねぃ」

総悟はそう呟いた。

 「気味わりぃことぬかしてねえで休んでろ」

土方の言葉に頷く。

 「その気色悪い着物も脱げ」

 「へい」

女物の鮮やかな訪問着。身丈が長く、総悟は腰ひもを二重に巻き付けて、身につけていた。ふと気付く。

 「まさか」

あの部屋にあった着物。高杉には似合わなさそうに見える色だ。証拠品の着物を土方は不愉快そうに見ていた。

 「なんか、総悟に似合いそうだよな、この色」

 「え」

違和感。そうだ、この着物は。

 「まさか、ね」

 「なんだぁ、総悟」

 「俺に合わせて作らせた?」

 「ええっ」

けれど、その言葉には違わない。

 「そう言えば、その色、薄い水色、沖田さんに似合いますねえ」

山崎の言葉に土方は眉間に皺を寄せた。薄い水色地に熨斗模様。肩に描かれた結び目から、リボン状になって裾に落ちていく模様。その中に季節の花、流水模様が描き込まれた凝った友禅だ。

 「落款もありますよ、京都の有名作家のものですね」

山崎はそう言った。

 「なんで、おまえ」

 「ああ、この間、入り込んだ呉服屋で聞いたんですよ、あそこはシロでしたけどね」

 「へえ、これがね…」

ふと、総悟は姉ミツバにも似合うのではないか、と思った。

 「贅沢なもんなのかな」

 「でしょうね」

 「まあいいか、着替えてくる」

総悟は部屋に行こうとした。

 「おまえはもう休め」

 「へい」

土方の言葉に軽く返事を返すと、総悟は自室に戻った。そして、その着物を脱いだ。

 「そう言えば…」

その着物には着た痕跡はなかった。仕立て屋が施したしつけ糸が袖にまんまあった。

 「仕立て下ろしだ…」

細い白い絹糸が袖に着いている。一目落としと呼ばれる独特のしつけ。袖下に五つ、長い糸、袖口下に二つ長い糸、後は細かい縫い目。袖口にはぐししつけと呼ばれる着用しても取り去らないしつけがかかっていた。高級品の、柔らか物と仕立て屋が呼ぶ布地にのみかけるしつけ。男物にはありえない技法だ。

 「これって縮緬かなんかなのかな」

一越縮緬と呼ばれる生地だとは総悟は知らない。いつもの身だしなみを整えるために置いてある鏡に目をやった。途端に、悲鳴になった。肌に残るもの。座り込んで、狼狽える。もう、あの高杉に、嬲られていたのか。身体の奥が重くなった。総悟の声に飛び込んできた土方は肌に残った痕跡に青ざめた。土方の腕の中、呆然となっている。

 「医者を呼べ」

山崎に怒鳴った。

 「はい」

その返事の後のことを総悟は憶えていない。