君影草


鬼兵隊本部と思われるアジト。土方は一番隊に突入を命じた。隊長として総悟は真っ先に飛び込んでいった。奥の部屋まで迷わず飛び込み、そうして…。
 「しまった…」
幹部のほとんどがその部屋にはいた。総悟一人では敵わない。
 「くくっ、万斉」
 「晋助」
 「相手してやれ」
それがきっかけ。総悟の刀はあっという間に手から離れていった。
 「生け捕りにしろよ」
その命令に彼らは従う。似蔵が総悟のみぞおちに拳をいれた。
 「ぐっ…」
意識を失った総悟の身体を抱え、彼らは隠し通路から姿を消した。
 「副長、誰もいませんっ」
 「なんだと、総悟は」
 「それが…これが」
菊一文字とその鞘を一番隊の隊士が差し出した。
 「総悟は」
 「それが…どこにも…」
 「いないと言うのかっ」
 「は、はい…」
隊士の困惑した声。土方は焦りを憶えた。
 「くまなく探せ」
隠し通路は見つかったが、誰一人、姿はなかった。
 「総悟が…行方不明」
近藤はその知らせに愕然としていた。


 「触るなよ、商品価値が下がるじゃねえか」
高杉はそう言って、襲いかかろうとした部下を止めた。
 「商品価値とは」
 「闇市に出せ」
目を見開く総悟。猿ぐつわと後ろ手にくくられ、足も枷がついていた。
 「この美しさだ、いい値段がつくだろうよ」
くいっと顎を持ち上げる高杉の手。
 「資金源にもなる。億単位がつかなかったら、万斉、殺せ」
 「わかった」
部下に命じ、万斉は闇市の頭領に総悟を手渡した。
 「億単位だ、それが希望でね」
 「これなら、当然だろうよ」
出されたところは人身売買の競り市だった。そこに居合わせたのは、売春宿の女将や主。
 「あの子、似ている…」
 「千景姐さん」
 「協力しておくれ」
三軒の宿屋の女将が競りに参加した。
 「一億三千万で加賀屋」
千景と呼ばれる加賀屋の女将は総悟を連れ帰った。縄も猿ぐつわもそのままに。
 「姐さん」
 「似ているのよ、ちか姐さんに」
 「それが理由なの、だってまずいじゃない、あれは…」
 「しっ、買ったからには私の店の子、文句はないはずよ、態度が悪かったら払い下げるわ、まあ期待しないで待っていてよ」
 「そうね」
二人の女将は姿を消した。宿屋に帰る車中で、女将は総悟の猿くつわをほどいた。
 「馬鹿な真似はしないでよ、大金はたいたんだからね」
 「あんたはいったい…」
 「うちに着けばわかるよ。損はさせないでおくれ、いいね」
 「損…」
 「女将さん」
運転手が話しかけた。
 「この子のそばに付ける兄さん方に帯刀はさせなさんなよ、格闘技の得意な奴をつけな」
 「へい」
 「それから、千鶴と組ませる。部屋は安宅だ」
 「承知」
意味が解らなかった。普通の宿屋に見えたが、裏から運転していた男に抱えられて、入れられた場所は怪しげな雰囲気がただよっていた。
 「着替えさせな」
女将はそう告げると自室に入ってしまった。屈強な男達に囲まれ、着ていた服を脱がされた。あの制服は高杉らによってとうに奪われていた。
 「それが今度の子か、あいつも物好きだな、身体、調べろ」
 「やっ…」
押さえ付けられ、裸にさせられた。
 「ちぃっと傷があるな、経験は、なしか」
下半身をまさぐられ、総悟は唇を噛みしめた。
 「舌を噛むなよ、にーちゃん」
ぐいっと口元をつかむ大きな手。
 「うっぐうっ…」
痛みに震え、顔を上げた。
 「へえ、こんな綺麗な顔してんのに、初物かよ」
 「千鶴と組ませるそうですぜ」
 「千鶴を呼べ」
主はそう言った。
 「へい」
呼ばれた少年は美しかったが、片足を引きずっていた。
 「新入りだ、おまえと組ませる、面倒みてやんな」
 「女将はなんて」
 「さてな、あいつの物好きさ加減は面倒見きれねえな」
 「わかりやした」
千鶴は箪笥から着物を一枚取り出した。それをみて男達も主も去っていった。
 「着なよ」
ぱさりとかけられた着物は色鮮やかで、派手。香も焚きしめられ、艶やかだ。
 「下着」
 「んなもん、俺等はつけねえ、まあ、下はいいけどね」
 「つけ…ないって」
 「陰間茶屋だよ、ここは」
千鶴の言葉に目の前が真っ暗になった。
 「あー闇市で手に入れたのか、やだねえ、女衒通さねえなんて、珍しいな」
 「女衒…」
 「出たいだろ、ここからさ」
 「そりゃ」
 「無理だろうよ、あんたいくらだったんだよ」
 「いくらって…」
 「競り」
 「億単位だった…」
 「あーそりゃ一生無理だなあ」
簡単に言われてしまった。
 「一生、無理…」
信じられない。
 「御上も警察も宛にしなさんなよ、あいつら、思ったより腐ってやがるからなあ、袖の下で目ぇつぶっちまうからよ」
 「まさか」
 「真撰組の親分よりゃ上の奴らだよ、あの松平のおっさんさえ手出しは出来ねえ」
 「とっつぁんが…」
 「裏組織の献上金で潤っているんだ、仕方ねえよ」
薄々は知っていたけれど。
 「ここの女将さえ操るんだ、黙ってな」
 「そんなことよく解るな」
 「八歳の時から裏にいたんでね」
千鶴はそう言って、総悟を連れて二階に上がった。
 「あんたの部屋はここだよ」
開けられた襖。一見質素に見えるが、調度品は一級品が揃っていた。
 「ここはうちで一番お高い子の部屋さね、奥が寝室」
奥の寝室。
 「あんたは」
 「俺は隣だ、よろしくな」
差し出された白い手。その手を握る気持ちにもなれなかった。その部屋にひとりでいたくない。総悟は千鶴の後について彼の部屋に入り込んだ。千鶴はいやだとも何とも言わなかった。ただ、襖を閉じ、茶道具を引き寄せると、お茶を入れてくれた。手を叩いて誰かを呼び寄せ、食事を頼んだ。食事の世話をする男は老人で、二人の前に軽い定食風の料理が収まった箱膳を置くと即座に出ていった。
 「とりあえず、飯」
箱膳を開ける千鶴の態度は粗雑だった。顔の割にはあらっぽい。
 「石にかじりついても、草の根かじっても生きてやる」
誇りとか言うものはどうでもいい、徹底的に生きて生きて生き延びてやる、とその少年は言う。
 「お武家さんはすぐ死ぬ死ぬ言ってしょうがねえ」
顔だけは、絶世の美女顔負けの美貌を誇りながら、彼は中身は違っていた。
 「そうか」
 「生き抜くのも生き物の勤めさね」
総悟はその言葉に持っていた箸を取り落とした。
 「違うんかい?」
 「違わねえな」
その宿に何故、たどり着いたのか、運命の不思議さを総悟はよく知らない。ただ、高杉に捕らえられた後、ブラックマーケットに売り飛ばされた事だけは解っていた。舌を噛んで自害しないようにかまされた猿ぐつわや縄。屈辱だと思った。たどり着いた所は宿屋の看板は出しているものの、実際は売春宿だった。違法だが、抜け道はいくらでもあり、禁止法などあっても重視された試しはない。人身売買とて、禁止されているのは表向きで、裏のルートはいくらでもある。裏のルートの献金が幕府の懐を潤している以上は手出しはほとんど出来ないことは、いくらか知っていた。それを悪利用されるとは思ってもいなかった。
 「どういう事情でこんなところに流れてきたんだか、知らねえけどな、どうせ、二十歳になりゃ、客もつかなくなるから、払い下げになるまで我慢してりゃあいいんだよ、もっとも、あんたは…無理かもしんねえけど」
 「あんたは強いな」
 「八歳の時からこの世界だしな、俺は」
 「ふうん」
 「博打に負けた親父が売り飛ばしやがった」
それには、相槌を打てなくて、困った。
 「みんなそんなもんさ」
平然とそう言う。
 「後、話してないのは、何だっけ」
 「二人一組って何だ」
 「んー、先々代がこしらえたここの決まり事さ。色子を二人一組にして、片方が脚抜けしたり、客に逆らったりしたら、片方を痛めつけるって奴。ちなみにあんたの相棒は俺だ」
 「え」
 「友美の馬鹿がやらかしたんだ、おかげで紫乃がさ、しばかれたんだ、連れ戻されたあの馬鹿は天井裏につるされてる、紫乃ちゃんはもう、おかゆすすっているけどさ、馬鹿はしばらくお預けだろうよ」
 「ってことは・・・」
 「あんたが逃げたら、俺が半殺しの目に遭うってことさ。まあ、他人だからいいけどさ、互いに面倒をみてやることになってるから、簡単には割り切れねえよな」
 「面倒…」
 「病気の時とか、いろいろあるだろ、食事の世話も風呂も一緒なんだよ、俺等は」
 「じゃあ…俺が何かしでかしたら、あんたが…」
 「うん、別にどうでもいいけどよ、こんな事」
 「で、でも」
 「逃げたきゃ逃げりゃいいじゃん」
千鶴は脚が悪い。幼い頃、病でそうなってしまったという。強い存在とは思えない。体つきも細くて華奢だ。
 「逃げられるもんか…」
人を傷つけてまで、貫き通すほどのことじゃない、そう割り切るしかない。そう思った。
 「なあ、あんた、ほんとに何も知らねえよなあ…」
 「そうかも」
何も知らない。世間ずれしてない、と言われた様なものだ。
 「なんか、気の毒になってきたけどさ、一応、これだけは言っておくぜ」
 「な、何」
 「自分が一番不幸だと思うなよ」
その言葉には流石に目が覚めた。
 「そうだよな」
 「それから、楽な方に身を任せちまえ。それが先輩としてのアドバイスかな」
 「楽な方に、ねえ」
 「うん、快楽に身を任せちまえば、一晩くらい、どうにでもなるさ、薄汚ねえ男娼にもプライドはあるんさ、それだけは憶えときな」
ずきりとする言葉。彼は負けない。
 「よほどあんたの方が武士らしいな」
 「おもしれえな、あんた」
食事が済むと千鶴は文机の前に座った。いろんな道具が並んでいる。横でそれを見ていると、笑った。
 「何、これ」
 「花かんざしだよ、客の一人に作り方教わって、後は見よう見まねで作ってるんだ」
細かく切った縮緬の生地をピンセットで小さく折りたたみ、板の隅に糊で止め、ピンセットの先でふくらみをつけると花びらの形になった。それをいくつかまとめて、糊をつけ、花の形にしあげて、土台に貼り付ける。愛らしい小さな花が驚くような早さで仕上がっていく。土台の隙間に細い和紙をまいた針金を差し込み、それをまとめあげると半玉が挿す花かんざしの一部分が出来上がる。それにビラをつけ、挿す部品を付ける。
 「これで完成。後は糊を乾燥させて、つや出しをかければあがり」
 「すげえ…」
 「手先が器用で良かったと思うよ、俺」
 「これ、売ったりするの」
 「小間物屋におろしているよ」
 「プロじゃん…」
 「いや、親方が入門認めてくれないから、市場の半値以下なんだ」
 「え」
 「本業が娼妓じゃ、駄目なんだとよ、よくわかんねえけどよ」
 「なんか理不尽だな」
 「足を洗ったら、認めてやるってね、小間物屋の平助さんが身請けしてくれたら、正式にこれを仕事にするんだけどねえ…」
苦笑していることは…。
 「平助さん、ご家族説得中なんよ」
 「ふうん…」
 「愛人として囲ってもらう訳じゃないって言ってるんだけどねえ…」
 「だって通ってきているんだろ」
 「表に出たら、職人と依頼主になるだけだよ、俺はそれでいいと言ったんだ」
 「なんか、変」
 「決められた奥方もお子さんもいるお人だよ、悪いじゃん」
 「それでいいの」
 「んー、役に立てるなら、何でもいい」
そう言って千鶴は笑う。
 「役に立てるなら、それでいい…解らないでもないなあ」
そう呟く。もう遠くに行ってしまった気がした。あの人、そしてもう一人の人。
 「しかし、お育ち、いいなあ、あんた」
 「…あのさ、俺…両親はいねえよ、姉上も亡くなったし、身内はないんだけど…身内同然の人はいるけど、多分…」
 「ああ、その身内同然のお人のガードがよっぽどしっかりしてたんだなあ」
 「そうかも…」
 「もう会えないってことはねえよ、生きていればね」
また千鶴の手は動いて、花を作る。
 「流石に細かい菊だけは作れねえんだよなあ、あれは…」
ひょいと見せた菊花のかんざし。細かい重なりが見事だ。
 「ああ、これ、そんなに難しいんだ…っていくつ重なっているんだ、これ」
 「百以上だろ」
 「へー…」
驚いた。知らない事ばかりだ。千鶴の手作業を見ている合間に下男が総悟に伝言を渡した。
 「で、決まったの、あんた」
 「明日の夜だって」
 「そっか」
初めて客を取る日。旦那となる人が来る日。
 「よくわかんないけど…旦那って」
 「遊郭は行ったことない?」
 「うん」
 「太夫とか天神とか芸者には必ずパトロンがつくんだよ、それのこと。あんたは、うちじゃ一番高値がついたからね」
 「なんで」
 「武家育ちだから」
 「それって…」
 「立ち居振る舞いが綺麗だし、躾も行き届いてるだろ、俺みたいな田舎もんと違ってさ」
 「田舎もんは変わりないけど」
 「箸の上げ下ろしも違うじゃん」
 「そんなもんかな」
 「女将さんにまた怒られるんだよ、もう少し上品には出来ないのってね」
 「あー…」
 「解るだろ?」
食事のマナーは確かに彼はあまりよろしいとは言えない。
 「た、確かに、ねぶり箸とか引き寄せ箸とかはないと思うけどね…」
 「だろぃ?」
 「千鶴―」
下から女将の声がした。
 「あー客がきたみてぇ、ちょっと行ってくる。部屋に戻ってなよ、あっちだから」
廊下の奥を千鶴は示す。
 「あっち、ねえ」
 「安宅の間って言うんだよ」
 「そう、じゃまた」
その部屋はあまり好きになれないけれど、そこが暮らすしかない場所だ。廊下を伝い、部屋に入る。千鶴は階段を降りていき、派手な声で客を出迎えていた。