「トレセン学園のみなさーん、こっちですよー、集合してくださーい」
旗を持って陽気に声をかける女性。いやウマ娘だ。尻尾と耳がある。シンボリルドルフはその声に聞き覚えがあった。
「もしかして…君はタカイサミか」
「あら、やだ、ルナちゃん、もうばれちゃったの」
幼名で呼ぶと言うことは同期入学のウマ娘だった。
「何故、君、ガイド…」
「ああ、この土産物屋と観光ガイドの事務所は夫の経営なんです」
「おっとぉぉぉ」
「私、なんか変な事いいましたか」
「いや、結婚したなんて」
「トレーナーだったんですよ、彼。私が再起不能の怪我したらやめちゃって実家継いだんです」
「そんなひどい怪我だったのか」
「いえ、気持ちの問題。走りたくなくなっちゃったの」
彼女は昔から不器用でコーナリング下手くそで直線はいいのだが、少しでも曲がりそうになると途端にスピードの落ちる癖があった。
「故郷に帰るのも手だったんですけど、プロポーズしちゃったんですよね」
「え」
「しちゃったんです」
「は」
「だーからー私から申し込んだんですよ、やだなあ、もう」
後ろでエアグルーヴが目を丸くしていた。
「そんな性格だったっけ」
ふふっと彼女は笑った。そんな様子を一人の娘が見ていた。
「あ、お米っ」
「私はライスシャワーっていうの、もう」
「元気そうね」
「相変わらずひどいのね」
「その服かわいいじゃん、どうしたの」
「お姉様が用意してくれたの」
「へー女性のトレーナーなんだー」
「とってもいい人なの」
とろけそうな笑顔。幸せそうにライスシャワーが微笑んでいた。
「慰安旅行だっけ、みんな」
「そう。ここは何なの」
「鳥取砂丘って言うの、あっちの梨畑もらっきょうの畑も本当は砂丘なの」
一行がその言葉にざわめいた。
「えー、うそお」
「海まで行きましょ、ここは砂深いから足下気をつけてね。足取られたりするから」
松林を抜けてゆっくりと歩いて行く。海が見えた。
「海だ…」
夏合宿とは違って入れそうもない海が広がっていた。波は少し荒めだった。
「いい景色でしょう、ここ自慢なんだ」
誇らしげに彼女が言う。シンボリルドルフは思った。彼女のレースは終わってない、と。潮騒が観衆の拍手の様に聞こえた。七冠馬として耳にしてきた実況が聞こえた気がした。シンボリルドルフではなくタカイサミ、と放送している声。一着でゴールイン、の声が潮騒の向こう、遙か彼方から聞こえた気がした。
「幸せ、タカイサミ」
「シェフトよ、今の名前は」
そう言って彼女は手作りの旗を広げ、明るく笑っていた。
あのダービー、夢のダービー、
第四コーナーから沸き返るメインスタンドを
彼だけが駆け抜ける
ひとりぽっちのダービー あの海の潮騒が
彼への大歓声へと変わっていく
「会長」
オグリキャップが話しかけてきた。
「変なの、彼女に捧げる歌が聞こえた」
「あら、あなたもなの。みんな聞こえているみたいよ」
「幸せそう、あの人」
「そうね、中央で勝てばいいだけじゃないものね、人生って」
「あなたが言うと深いなあ」
「そうかしら」
「引退したら、そうねえ、私、お母さんになりたい」
エアグルーヴが突然そう言った。
「子育てって大変、私みたいなのが生まれてきたら」
「食費で震え上がるわね」とエアグルーヴ。
「そんなにすごいの」
シンボリルドルフが笑いながら聞いてきた。
「食堂のおばちゃんが悲鳴あげぱなしよー会長」
「あら、やだあ」
ころころと彼女は笑った。
「でもそんな苦労なら買ってみたいわ」
エアグルーヴは思ったよりも母性本能があった。
「いいお母さんになれるよ、君は」
そんな道も悪くはない。シンボリルドルフはそう思う。
「私にも聞こえたけど」
ナリタブライアンが姉に言ってる声が耳に入ってきた。
「お姉ちゃんは聞こえなかったの」
「聞こえたわ。何なのかしらね」
「お姉ちゃん」
「なあに」
「大好きっ」
ビワハヤヒデが嬉しそうに笑っていた。
「あなたのも…いつも聞こえているわ」
「え」
「いいのよ、うふふ」
彼女には妹は大丈夫だ…と繰り返す声がいつも聞こえていた。注・史実では「弟は大丈夫だ」です。
「あ、そうだ、ルナちゃん、これあげる」
ウサギのマスコットのついた耳飾りをシェフトが差し出した。
「売り物なんだけどね、旦那がいいって」
「え、買うよ…と」
えらくかわいらしい。
「旦那の手作りなの。かわいいでしょ、アクセサリー作家でもあるの、うちの人」
「ウサギ…」
「だって月にウサギはつきものでしょ」
「…ありがとう」
「あー会長だけずうるいー」
「うるさいなー、お店の見て買いなさいよ、あなたたちは」
「うん、見てみるっ」
みんな店に向かった。ルドルフの顔がいつもよりも柔らかい。リタイアしたけれど元気な子の姿はうれしいものだ。それをトレセンの仲間達は察していた。
「耳飾りに調節できますよ」
店主の声が聞こえていた。
さだまさし作の「ひとりぽっちのダービー」のモデルの馬、シェフトは現役時代はタカイサミ、一勝もせずに引退した。その後鳥取砂丘で子供らを乗せて砂丘を歩き続け、天寿を全うした。今は砂丘を見下ろす丘に眠っているという。砂丘を歩く観光乗馬の彼を見たさだまさしさんはサラブレッドだと気づき、経緯を聞き、的場均騎手(調教師)の1000勝祝いの曲として作りあげた。一勝も出来なかった子の物語は気がひけたらしいが、的場騎手はご家族共々喜んだそう。的場氏歌唱のものにはライスシャワーでメジロマックイーンの三連覇を阻んだ時の実況を用いている。「ライスシャワー駆け抜ける」で泣きそうになるわー…ちなみに私は彼がターフで息絶えた場面を生中継で見てしまいそれからしばらく競馬中継から離れてしまった。復活はなんと言ってもディープインパクトっっっ。なお、さだまさしさん歌唱のものには「ナリタブライアン」天皇賞優勝の実況が使用されている。
ひとりぽっちのダービー