飯食うバンパイアの歌
「約束したんですよ」
「だからってこんなところに来るか、普通」
「似ているって言ってた」
十時は溜息をついた。少しぼろくなった大型のザック、肩には登山用のロープ。横にいる広瀬は大型ザックを背負いながら、真っ赤な傘を取り出した。登山用で、雷雨時にも大丈夫と謳い文句のついた代物。
「届けに来たぞ、高里」
そう言って傘を広げた。それを子供みたいに広瀬は振り回した。
「満足か」
「そうですね、帰るとしますか、日本へ」

だが、ギアナ高地で邦人男性二人行方不明、生存絶望のニュースが流れ、後藤が頭を抱え込んでいた。
「何しているんだ、あのバカは」
帰ったら、教職についてまっとうに生きると宣言して広瀬は旅立った。それになぜか十時もついていった。二人と後藤くらいしかあの高校の教師で生き残った者はいなかった。校舎倒壊と高潮で犠牲者は多数に上り、あの高校で助かった生徒もごくわずかで、結局、高校は廃校となり、新設の高校が代わりに建てられた。これは男女共学で、進学校であった。後藤と十時はその高校に赴任したが、広瀬につきあって十時は休暇を取り、旅行に行ってしまい、その上行方不明になった。

「ところでここはどこだ」
「十時さん…」
赤い傘さしたまま、広瀬は溜息をついた。行きかう人々の衣服は奇妙だ。周りの人間たちは口々に言っていた。
「海客だ」と。だが、二人とも濡れてはいない。テーブルマウンテンから下山したら、ここについただけだ。
「迷子にでもなったのかな」
「らしいですね」
「こんな町、あったっけ」
「いいえー」
おかしい。町なんかない。部落で、こんな石造りの家なんか一軒もなかった。ガイドたちの暮らす村は確か…。深く考えたくはない。
「異世界かも…」
「帰れるのですかね」
そこに駆けつけてきたのは、不思議な衣装を着た人々だった。その中に見知った顔がある。
「先生っ。なんで…」
「こっちが聞きたい…高里、ここどこだ」
「…海客が二人いるけど何も起きてないと聞かされて」
「ここがお前の世界か」
「ええ、はい」
「そっか。よかった」
にこっと広瀬が笑った。十時が苦笑している。
「よかったって…」
「表情が豊かになったな、おまえ。幸せの証拠だな」
台輔に向かって無礼な、という声をその高里と呼ばれる少年が制している。
「この方々は私の蓬莱での教師だった人で、恩人です。無礼は許しませんよ」
「ああ、そうだ、これ、約束の傘だ」
「‥‥先生」
「どうしたのか」
「もうあちらには帰れないんですよ」
「そーなのか…そりゃ困ったな。後藤先生にはちゃんとすると約束したのにな、合コンにも行く予定、あっととと」
高里が笑った。受け取った真っ赤な傘。多少汚れている。
「ギアナ高地でさしていたからな、すまん」
「こちらに」
目くばせで人を呼び、虎に似た獣の背に二人は乗るよう指示され、目を白黒させた。
「どこに行くんだ」
「僕のうちですよ」

うちじゃなくて宮殿ってやつじゃん、と広瀬がぼやく。十時もさすがに驚いていた。着替えるよう言われ、案内された部屋は浴室で、二人はそこでこの世界の衣服に手を通した。宮殿内の侍従のもので間に合わせたという。その次に案内された部屋には白髪で赤い目の男がいた。
「嵩里に聞いたが、伏礼はしない世界だそうだな。だから…お前たちもそう心得るように」
ちらっと彼は部下と思しき人々に視線をやる。
「えーっとあなたは」
「ここの王だ」
「泰の王…」
「知っていたのか」
「高里に聞いて…ただ詳しくは」
「世界の仕組みについてはおいおい学ばれよ。それで嵩里がな、手助けしてほしいそうだ」
「いえ、あの子の手を煩わせることはしたくありません。私達二人の事はお忘れください」
「そうきたか…まいったな」
「あの子を幸せにしてやるとお約束してください」
「…それが望みか」
「あの子はあちらではとても不幸でした。ですから…あなたに頼むが筋だと思うんです」
「他に望みは」
「ありません。そうですね、暮らしていける家、小さいもので十分ですから、それさえあれば、あとは自分たちで何とかします」
頑として二人は宮殿の暮らしを拒んだ。それを聞いて説得に走る泰麒との対面さえ拒んでいた。
「主上…」
「望みはあるかと聞いたら…彼はお前の幸せが望みだと言った」
幸せ。泰麒はその言葉に涙が出た。
「先生は難しい事を言う…」
そんな様子の泰麒に驍宗は嫉妬を覚えていた。

こちらでの暮らし。二人はまずこの国の寒さに驚いた。与えられた家を見て、改装を思いついた。
「床暖房にする」
「どうやって…」
「オンドルって聞いたことあるだろう、それをつくる」
仕組みはこうだ、と広瀬は図面を地面に書いた。
「ああ、なるほどな…」
「それから炭を焼く。薪では乗り越えられん。炭なら火を保てる。それから…消毒用アルコール」
「出来るのか」
「実験でやったことがある、その辺の雑草をつかうんだ、失敗したとしても、燃料にはなるさ」
広瀬は十時との会話はギアナに行ってから敬語はやめていた。
「薬草は手に入るかな…」
「入ったらいいな」
理科教師と医療関係者。こちらの世界で役立つことは多そうであった。周囲の人たちはこの突然やってきた人間たちとはかなりよそよそしい態度をとっていた。が、自国の麒麟の知り合いだという噂は当然たっており、なおの事、近所とは疎遠であった。が、二人のやる事には関心があるらしく、特に子供や青年たちが見学していた。オンドルは思ったより早く出来上がった。次には炭焼き窯を作り始めている。雑草から燃料作成の実験も続けている。冬はまじかになっている。雪が降る前には何とかしたい。防寒のためにザックにあった雨具とフリースはよく着用している。泰麒はやはり気になったのか、覗きに来ていた。
「え」
家が変わっていた。煙突の位置、それから炭焼き窯、刈り取った雑草が束になって置かれてある。
「先生…一体何を」
ついに話しかけることにした。
「来るなと言っただろ」
薪割りしながら広瀬が言う。
「家の作り、変えたんですか」
「ああ、床暖房にした。竈の位置を変えて高床にして、熱を床に通すよう作り変えたんだ」
「炭も作るんですか」
「薪より火持ちがいい。それに木を無駄にせずにすむ。それからな…これもやってみた」
ビンの中には透明な液体。
「バイオ燃料ってやつだ。大学の実験室でやっておいてよかった。本当は消毒用アルコール作るつもりが間違えた」
「これ、持って帰ってはダメですか」
「いいぞ、作り方はあとで教える」
「ありがとうございます。民に役立つかも」
「あのなあ、とにかく来るな。王様にうろつかれちゃたまらない」
「え」
「三度に一度は覗きに来ているぞ、おまえが来るたびに」
「…主上…」
「たぶん、やきもちだろうな」
「え」
あ、こりやダメだ、王様、お気の毒に。広瀬は即座にそう思った。
「邪魔するぞ」
驍宗の声だった。
「ほらな。とにかく帰ってくれ。二人とも」
「主上、これ見てください、この液体、燃えるんですよ」
「バカな」
訳がわからないらしい。
「外で試そう」
広瀬は火打石で火をつけ、地面にその液体を垂らし、近づけると炎が立った。
「これは…」
「使えるかもしれません、冬の暖房とか料理とか…」
「嵩里、やはり、この二人に仙籍を与える。暮らし向きのためにも必要だ、それに…」
「それに」
「なんでもない」
やきもち焼いてこんなところまでお出ましとは口が裂けても言えない驍宗だった。

「ところで、高里、仙籍ってなんだ」
「あー…」
説明しにくい。
「年取らず、死なないって言えばいいんですかね」
「バンパイアみたいにか」
「食事はしますよ」
苦笑するしかない。
「不便な不老不死だな」
「何がです」
「飯の心配しなきゃならん」
「その分、お給料でます」
「え。誰が払うんだ」
「国が…」
価値観が違うんだ、その思う。結局二人とも宮殿に転居したが、実験のためだと言ってあの貧相な家で暮らしている。暖房のための暖炉と調理の竈の配置や燃焼のための素材、それに十時は薬の開発を始めていた。
「ところで、王様」
「何かな」
「この国には桜とリンゴはありますか」
「あるが…」
「ここの気候なら、いい実が採れるはず。山形に似ているし、青森にも…」
「あまり美味ではない」
「テンサイは、サトウダイコン」
「ある。砂糖は生産しているはずだが」
「リンゴ、味見できますか」
「ほんとにまずいぞ、リンゴ」
使用人に命じて取り寄せたリンゴは紅玉によく似ていた。
「なる…これならジャム作れるな」
「じゃむとはなんだ」
「果物を砂糖で煮たものですよ、嗜好品としても、冬の野菜不足にもいい。さくらんぼも恐らくはあまり美味でないと」
「確かに」
「砂糖で煮れば日持ちがします、特産品に出来るかもしれない」
「だが、作っているところは…」
「一戸に一本ずつ木を植えてもらうのはいかがです、この味なら野生種と思われるので、手入れはさほど苦にはならないはず」
「ほう…」
「食べきれない実は税として納めてもらって、加工場を作るんですよ、瓶詰か、甕に入れて売る…」
「蓬莱は面白いな」
「祖母の田舎が東北で、果樹をたくさん植えてそれが収入源になっていたんです。寒くて雪も多くて…土地も痩せていた。米がとれない代わりに果樹から収入を」
「この国でそれが出来るとは…」
「やってみてダメなら次の手考えましょ」
この知識に驍宗はやはり嫉妬を覚える。そのくせ、知識が欲しくて何度も訪ねる。理科の教師でよかった、と彼は笑うが、驍宗には意味が分からなかった。

何年も経つと二人とも言葉遣いも変わっていた。それには泰麒は寂しさを感じないではいられなかった。
「変わらない人間はいないものですよ、台輔」
広瀬に言われると余計寂しさが募る。
「また主上が嫉妬なされます」
「は」
「おわかりではおられないご様子で」
言われたくはない。わかってるけれど、素直に思いたくはない、それだった。リンゴのジャム、サクランボのコンポートはいつの間にか名産品になり、広瀬が持ち込んだ床暖房もバイオ燃料も一般で使われるようになっていた。

十時は片手間にギターを手作りし、ある歌を歌っていた。
「なぜ、その歌」
「国境のない医師団に恋人がいたんだよ」
「へー、で、その人は」
「死んだ。テロリストに殺された」
「…すまん」
滝のように流れ落ちる、よどみない命を生きたい、とその人は言っていたんだ、と十時はつぶやいた。
「野原に立つ野ウサギでいいから、ちゃんと生きたい」
写真を見て、広瀬は知っていた。ヨーロッパ人種の男性の写真を十時は肌身離さず持っている。その人が彼の恋人。一切何も言わない十時。消毒用アルコールの開発、簡素な外科の治療法の指導を彼は行っている。それから薬草から成分抽出も。

簡素な家は数年後に取り払われ、二人は別々の家を持ち、そこで弟子をとり暮らしている。
「飯食うバンパイア」
「またその話かよ」
効率のよいバイオ燃料研究に勤しむ広瀬は苦笑していた。泰麒は二人の元を訪ねることは減り、今では風の噂でしか聞いていない。
「幸せなのかな、高里」
「そうだろな」
戴の国はいつの間にか豊かになっていた。

十時はある曲を熱心につま弾いていた。
「尊敬してた…」
新聞が目の前にあった。
「いつか話していた水路作ってた医者、殺されたのか」
「うん」
「私に出来ることをやるだけ…さて、新薬の開発でもするか」
「この新聞」
「ああ、延台輔のお土産だ」
「そっか…」
昔ながらの漢方薬の知識を得ている現地の人たちとの交流で十時は何種類もの薬を作り出していた。
「ホウ酸の原材料、わかるか、広瀬」
「ネズミ捕りか」
「暖房がよくなると途端にこうくるからな」
「消毒薬も作らないと、家畜に無害なもの」
「気が遠くなってきた…」
「アフガンの夢に比べたら簡単だよ、私達には長い時間があるから」
「飯食うバンパイアだもんなー…」

その会話をそっと泰麒は聞いていた。
「アフガンの夢…なんだろう…」
聞きたいと思ったけれど、広瀬は嫌がるだろう。
「来ていたのか」
広瀬の声に苦笑する。
「はい」
「私に出来ることをなせばいい、と思ってる。それがアフガンの夢だよ」
「アフガンってアフガニスタンの事でしょ、先生」
「紛争地帯だが、水路を引いた人がいる。おかげで農地が出来て紛争が減った」
「なくなりは…してないんですね」
「減らすことは出来る、だから研究はする。それだけ。この国のために」
「ありがとうございます」
「幸せそうで何よりだ」
幸せ。それをこの人はいつも気にする。
「良き王でよかったな」
水路は…たくさん引いてある。あとは一人一人が出来ることをなすだけ。

「それだけが飯食うバンパイアの祈りさ」

変な言葉に泰麒は苦笑していた。